聖書に よきサマリア人のたとえ話 があります。
ある人がエルサレムからエリコへ下る道でおいはぎに襲われた。
おいはぎ達は服をはぎ取り金品を奪い、その上その人に大怪我をさせて置き去りにしてしまった。
たまたま通りかかった祭司は、反対側を通り過ぎていった。
同じように通りがかったレビ人も見て見ぬふりをした。
しかしあるサマリア人(※)は彼を見て憐れに思い、傷の手当をして自分の家畜に乗せて宿屋に連れて行き介抱してやった。
翌日、そのサマリア人は銀貨2枚を宿屋の主人に渡して言った。
『介抱してあげてください。もし足りなければ帰りに私が払います。』
― ルカによる福音書第10章第29~37節
祭司、レビ人という 宗教上高い位にある人たちの非情さへの痛烈な批判と
ユダヤ人と敵対関係にある異邦人(被差別側)サマリア人の行った行為に対する 差別を超えた
隣人愛への賞賛と、良き隣人になるということは、こういうことです、というイエスの具体的な
メッセージが示されています。
さて
昨日、ショッピングモールへ行ったら、偶然 ベンジャミンのモンテッソーリスクール時代の
同級生のお母さんとばったり遭遇。すごく人懐こくて、飾り気がなくて いい人だったので
ベンジャミンとジョナサンが着たユニフォームをもらってほしいなぁと思っていたのだけれど
どうやって連絡をとったらいいか、わからなくていたところの再会でした。
いやぁ、久しぶり!!というところから始まって、ユニフォームの話をしたら
実は ということで 彼女が遭遇したばかりの出来事を話してくれました。
子供を学校に連れて行って、ショッピングモールに来て、入り口が開くのを待っていたら
高齢のおじいさんが突然、目の前で倒れた。
とっても弱弱しい感じで、倒れた拍子にあちこち擦り傷ができて、意識はあったのだけれど
年齢を聞いても変な答えしか返ってこないし、救急車を呼ぶと言っても、拒否するし
近くの行きつけの医者に連れて行ってくれと言って聞かないし、困った挙句に
とにかく救急車を呼んだ ということでした。
彼女も かなり興奮していたようで、話しが止まらず、同じことを何度も言っていたし
眼がうるうるしていた。
ご苦労さまでした。Good job !!!!
面倒なことには関わらない。責任が自分に負いかぶさってくるから という理由で
見てみぬフリする人も多い中で、彼女は素晴らしいことをしたと思います。
で、手をかしてくれた お店の店員さんに チョコレートを買っくる と言ってました。
それって すごい 偉い。
じゃ、わたしが あなたにコーヒーをおごってあげるって 言ってあげればよかった。
わたしったら 気が利かない。
オーストラリアには Good Samaritan Law というのがあって、善意で誰かを助けて、後に
助けられた人になんらかの問題が生じても、訴えられない のだそうです。
それって 当然でしょう と思う人も 多いと思いますが、
以前、ある知人が 「 道端に誰かが倒れていても、救急車は呼ぶかもしれないけれど
後で 訴えられるといやなので 絶対に触らないし、介護しない 」と言ったのを聞いて、少なからず
ショックを受けたのですが、自分が責任を負いきれないと思った場合は、そういう選択肢があっても
しかたないのか と思いました。
そうであっても、 彼女の行った善意は すばらしいと思うし、精神的重圧は半端なものではなかった
と思いますが、敢えて善き行為を選択した彼女は 賞賛されなければならないと思いました。
逆に 善意を行うことをためらわせる風潮があったとしたら それは 社会として そして コミュニティ
として とっても悲しいことだな と思います。
ある人がエルサレムからエリコへ下る道でおいはぎに襲われた。
おいはぎ達は服をはぎ取り金品を奪い、その上その人に大怪我をさせて置き去りにしてしまった。
たまたま通りかかった祭司は、反対側を通り過ぎていった。
同じように通りがかったレビ人も見て見ぬふりをした。
しかしあるサマリア人(※)は彼を見て憐れに思い、傷の手当をして自分の家畜に乗せて宿屋に連れて行き介抱してやった。
翌日、そのサマリア人は銀貨2枚を宿屋の主人に渡して言った。
『介抱してあげてください。もし足りなければ帰りに私が払います。』
― ルカによる福音書第10章第29~37節
祭司、レビ人という 宗教上高い位にある人たちの非情さへの痛烈な批判と
ユダヤ人と敵対関係にある異邦人(被差別側)サマリア人の行った行為に対する 差別を超えた
隣人愛への賞賛と、良き隣人になるということは、こういうことです、というイエスの具体的な
メッセージが示されています。
さて
昨日、ショッピングモールへ行ったら、偶然 ベンジャミンのモンテッソーリスクール時代の
同級生のお母さんとばったり遭遇。すごく人懐こくて、飾り気がなくて いい人だったので
ベンジャミンとジョナサンが着たユニフォームをもらってほしいなぁと思っていたのだけれど
どうやって連絡をとったらいいか、わからなくていたところの再会でした。
いやぁ、久しぶり!!というところから始まって、ユニフォームの話をしたら
実は ということで 彼女が遭遇したばかりの出来事を話してくれました。
子供を学校に連れて行って、ショッピングモールに来て、入り口が開くのを待っていたら
高齢のおじいさんが突然、目の前で倒れた。
とっても弱弱しい感じで、倒れた拍子にあちこち擦り傷ができて、意識はあったのだけれど
年齢を聞いても変な答えしか返ってこないし、救急車を呼ぶと言っても、拒否するし
近くの行きつけの医者に連れて行ってくれと言って聞かないし、困った挙句に
とにかく救急車を呼んだ ということでした。
彼女も かなり興奮していたようで、話しが止まらず、同じことを何度も言っていたし
眼がうるうるしていた。
ご苦労さまでした。Good job !!!!
面倒なことには関わらない。責任が自分に負いかぶさってくるから という理由で
見てみぬフリする人も多い中で、彼女は素晴らしいことをしたと思います。
で、手をかしてくれた お店の店員さんに チョコレートを買っくる と言ってました。
それって すごい 偉い。
じゃ、わたしが あなたにコーヒーをおごってあげるって 言ってあげればよかった。
わたしったら 気が利かない。
オーストラリアには Good Samaritan Law というのがあって、善意で誰かを助けて、後に
助けられた人になんらかの問題が生じても、訴えられない のだそうです。
それって 当然でしょう と思う人も 多いと思いますが、
以前、ある知人が 「 道端に誰かが倒れていても、救急車は呼ぶかもしれないけれど
後で 訴えられるといやなので 絶対に触らないし、介護しない 」と言ったのを聞いて、少なからず
ショックを受けたのですが、自分が責任を負いきれないと思った場合は、そういう選択肢があっても
しかたないのか と思いました。
そうであっても、 彼女の行った善意は すばらしいと思うし、精神的重圧は半端なものではなかった
と思いますが、敢えて善き行為を選択した彼女は 賞賛されなければならないと思いました。
逆に 善意を行うことをためらわせる風潮があったとしたら それは 社会として そして コミュニティ
として とっても悲しいことだな と思います。