さよなら三角 また来て四角...日本編☆第二章☆

オーストラリアから10年ぶりに帰国。特別支援教育に携わりながら
市民農園・家庭菜園に励んでいます。

市井の人々

2011年02月01日 15時37分56秒 | Web log
先週、用事があって Perth CBD(Central Business District)に行ってきました。
ビジネスの中心街。

東京などとは 比べ物になりませんが、それでも 高層ビルが立ち並び、田舎ものの私などは、
単純に『すごいなぁ』と思います。

身なりをびしっと決めた人が 闊歩していて、白人系の人は、体格からしてスーツとか
とっても映えるし、老若男女を問わず「カッコイイなぁ」と思うのです。

が、わたしは市井の人にどうも目が行ってしまうんですね。

フードコートで一生懸命掃除している人とか

路上で「Big Issue」を売っている ホームレスの人とか

真っ赤に日焼けしながら、道路工事をしている人とか

重い荷物を抱えている人とか。

身なりをびしっと決めた人の 一体、何分の1の 時給で働いているんだろう

なんて、考えてしまう。

生産性が高く、高い知識とスキルを身につけた人は 当然、沢山のお給料をもらい
結果、素敵な洋服を着て、みんなの羨望の対象となり、ある側面、人間としての価値が
高いかのように思える、『市場』の価値観でいうなら

みんながやりたがらない、退屈あるいは非常に肉体的にきつい、時給の低い仕事を
一生懸命する人は、特にみんなからうらやましがられるわけでもなく、誰でもできる、
代替可能な存在とみなされ、結果、価値が低いということになるのだろうか・・なんて
思いました。

そういう風には、思いたくないなぁ。

一生懸命働いている人は、一様に、仕事の内容がどうあれ、偉いよなぁと思います。

でも、高い知識とスキルを身につけた人は、それなりに 頑張ってきた人だとも思うので、
それを 努力の結果と言うならば、それもそうだと思うし、

『大変なストレス抱えながら、頑張ってるんですよ!』といわれれば、それもそうだよな
とも思う。

資本主義社会は、時間までお金に換算されてしまう価値観に支配されていますが

そうじゃない価値観を忘れたくないし、そうじゃない視点で考え、判断したいものだなぁと
思ったひと時でした。

でも、生きていくには お金は 必要ですけどね。

署名

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