8月15日は終戦記念日。
戦争体験者ではありませんが、戦争について時々考える。
特に「もう、やってらんね~」と思うとき。
海外を夢見て日本を脱出なんていう人もいるかと思いますけれど
どこにいたって現実は甘くなかったりするのであります。
多少英語のできた私も、5年前にこちらに来たときは
「?????」ってことがありました。
何がいちばんつらかったかというと
何もわからないという状態。
ま、そういうのは調べればすぐ解決しますが
知っている人がいないってのつらかったな。
ちょっと話して、すっと通じるってのはやっぱり古くからの知り合いだからこそ成り立つものだしね。
でも、なんとか頑張って5年が経ち
それでも色々あるわけです。
そういうときは、最悪の状態を経た人々のことを考える。
よく考えるのはアウシュビッツ収容所に収容されたユダヤ人の人々。
いつか殺されるという恐怖におびえながら、どうやって正気を保っていったのか。
今の状態で、自分が正気を保てないほど辛い立場にあるわけではないけれど、それでも辛いときってあるじゃぁないですか、誰でもね。
喜んで兵役についたわけでもなく、国の命令で戦争にかりだされ、戦いの前線についた人たちとか。
どうやって極限の中を生き抜いたのか。
生き残るヒントはどうも、以下にあるようです。
第二次大戦の勝利者である連合軍は、あの過酷なアウシュヴィッツの環境で最後まで生を維持させた人間の特性に興味を抱き調査団を組織した。その報告が正確であるならば、生命の維持力と身体的な強靭さの間には何の関係も見出せなかった。
そして生命を最後まで維持させた人々の特性は次の3種類に分類された。
第1の分類には、過酷な環境にあっても「愛」を実践した人々が属した。
アウシュヴィッツの全員が飢えに苦しんでいる環境で、自分の乏しい食料を病人のために与えることを躊躇しないような人類愛に生きた人々が最後まで生存した。
第2の分類には、絶望的な環境にあっても「美」を意識できた人々が属した。
鉄格子の窓から見る若葉の芽生えや、軒を伝わる雨だれや、落葉の動きなどを美しいと感じる心を残していた人々が最後まで生存した。
第3の分類には「夢」を捨てない人々が属した。
戦争が終結したならばベルリンの目抜き通りにベーカリーを再開してドイツで一番に旨いパンを売ってやろう、この収容所を出られたならばカーネギーホールの舞台でショパンを演奏して観客の拍手を浴びたい、などの夢を抱くことができた人々が最後まで生存した。
「思いやり」
「美」
「夢」
だそうです。
これらは全て「自発的」なものであることがキーのようですね。
相手や環境は関係ない。
思いやりは、相手があって成り立ちますが、でも、相手から何かを得ようという魂胆があっての思いやりではないということです。というのは、アウシュビッツの中で、食べ物を分け与える相手は心以外、何ももっていないから。
日常で繰り広げられる「思いやり」ってちょっと違うというか、多かれ少なかれ相手からの何かを期待していたりするもんですよね。
これをあげたら、相手が自分を好きになってくれるかもしれないとか。
友達として認めてくれるかもしれないとか。
次に優しくしてくれるかもしれないとか。
次に助けてくれるかもしれないとか。
ね。
ま、それは当たり前のことなので、別にそれはそれでいいと思うんだけれど。
そう思っていると、相手が自分の意図と反することをしてきたときに
もう友達じゃないとか、信じられないとか、自分勝手な妄想で相手を非難したりしはじめちゃったりしますからね。
なぁんて、戦争で多くの人がどんな思いで命を落としたことを考えれば、彼らの生きた軌跡を自分の生活の生きるヒントにしようなんて、それもまた姑息なのかな。
あれこれ小さなことに不満を並べないで、今、こうして平和の中に生きているってだけで、やがて不満に思っていることが好転するチャンスが少なからずあると考えるだけで希望が持てるんだと思うと、自分のことはともかく、世界のどこかで繰り広げられている戦争が一日でも早く終わるようにと願わずにはいられません。
戦争体験者ではありませんが、戦争について時々考える。
特に「もう、やってらんね~」と思うとき。
海外を夢見て日本を脱出なんていう人もいるかと思いますけれど
どこにいたって現実は甘くなかったりするのであります。
多少英語のできた私も、5年前にこちらに来たときは
「?????」ってことがありました。
何がいちばんつらかったかというと
何もわからないという状態。
ま、そういうのは調べればすぐ解決しますが
知っている人がいないってのつらかったな。
ちょっと話して、すっと通じるってのはやっぱり古くからの知り合いだからこそ成り立つものだしね。
でも、なんとか頑張って5年が経ち
それでも色々あるわけです。
そういうときは、最悪の状態を経た人々のことを考える。
よく考えるのはアウシュビッツ収容所に収容されたユダヤ人の人々。
いつか殺されるという恐怖におびえながら、どうやって正気を保っていったのか。
今の状態で、自分が正気を保てないほど辛い立場にあるわけではないけれど、それでも辛いときってあるじゃぁないですか、誰でもね。
喜んで兵役についたわけでもなく、国の命令で戦争にかりだされ、戦いの前線についた人たちとか。
どうやって極限の中を生き抜いたのか。
生き残るヒントはどうも、以下にあるようです。
第二次大戦の勝利者である連合軍は、あの過酷なアウシュヴィッツの環境で最後まで生を維持させた人間の特性に興味を抱き調査団を組織した。その報告が正確であるならば、生命の維持力と身体的な強靭さの間には何の関係も見出せなかった。
そして生命を最後まで維持させた人々の特性は次の3種類に分類された。
第1の分類には、過酷な環境にあっても「愛」を実践した人々が属した。
アウシュヴィッツの全員が飢えに苦しんでいる環境で、自分の乏しい食料を病人のために与えることを躊躇しないような人類愛に生きた人々が最後まで生存した。
第2の分類には、絶望的な環境にあっても「美」を意識できた人々が属した。
鉄格子の窓から見る若葉の芽生えや、軒を伝わる雨だれや、落葉の動きなどを美しいと感じる心を残していた人々が最後まで生存した。
第3の分類には「夢」を捨てない人々が属した。
戦争が終結したならばベルリンの目抜き通りにベーカリーを再開してドイツで一番に旨いパンを売ってやろう、この収容所を出られたならばカーネギーホールの舞台でショパンを演奏して観客の拍手を浴びたい、などの夢を抱くことができた人々が最後まで生存した。
「思いやり」
「美」
「夢」
だそうです。
これらは全て「自発的」なものであることがキーのようですね。
相手や環境は関係ない。
思いやりは、相手があって成り立ちますが、でも、相手から何かを得ようという魂胆があっての思いやりではないということです。というのは、アウシュビッツの中で、食べ物を分け与える相手は心以外、何ももっていないから。
日常で繰り広げられる「思いやり」ってちょっと違うというか、多かれ少なかれ相手からの何かを期待していたりするもんですよね。
これをあげたら、相手が自分を好きになってくれるかもしれないとか。
友達として認めてくれるかもしれないとか。
次に優しくしてくれるかもしれないとか。
次に助けてくれるかもしれないとか。
ね。
ま、それは当たり前のことなので、別にそれはそれでいいと思うんだけれど。
そう思っていると、相手が自分の意図と反することをしてきたときに
もう友達じゃないとか、信じられないとか、自分勝手な妄想で相手を非難したりしはじめちゃったりしますからね。
なぁんて、戦争で多くの人がどんな思いで命を落としたことを考えれば、彼らの生きた軌跡を自分の生活の生きるヒントにしようなんて、それもまた姑息なのかな。
あれこれ小さなことに不満を並べないで、今、こうして平和の中に生きているってだけで、やがて不満に思っていることが好転するチャンスが少なからずあると考えるだけで希望が持てるんだと思うと、自分のことはともかく、世界のどこかで繰り広げられている戦争が一日でも早く終わるようにと願わずにはいられません。