さよなら三角 また来て四角...日本編☆第二章☆

オーストラリアから10年ぶりに帰国。特別支援教育に携わりながら
市民農園・家庭菜園に励んでいます。

およそ師を誤るほど・・・

2009年07月22日 10時57分19秒 | Web log
オーム真理教による地下鉄サリン事件。
今から14年前。記憶には新しいですけれど
あれから14年も経ったんですね。

事件前日、友達が当時暮らしていたアパートに
泊まりに来ていて、朝、テレビをつけたらものすごい
ことになっていました。

忘れられません。

実行犯と麻原彰晃はすべて死刑を言い渡されましたが
その中の一人、林泰男という人物の判決文を最近読む
チャンスがありました。
裁判長の判決文の中に以下の一文があります。

「およそ師を誤るほど不運・不幸なことはない。」

林泰男という人物、父親は元在日北朝鮮人。
その父も母と子供を置いて失踪。
その後は母子家庭で苦労しながら、全日制中退、
定時制から大学へ進学・・・と学業に励む中、
インドを放浪しそしてオウム真理教へ傾倒していった。

第一審判決は、林泰男が真面目に学業や仕事に
取り組んでいたことなどを挙げ、「被告人を一個の
人間としてみるかぎり、被告人の資質ないし人間性
それ自体を取り立てて非難することはできない。」

「およそ師を誤ることほど不幸なことはなく
その意味において被告人もまた不幸かつ不運であった
といえる。」とも述べる。

死刑を言い渡した裁判長は彼の人物像を汲んだ上で
「麻原彰晃に出会ったがゆえに、あなたの人生は狂わされた。」
と彼に深い同情を寄せているように聞こえる。

信じるという行為は、ある種「思考停止」状態を促す。
辞書を見ても『信じる』というのは「思い込ませる」
ことだと書いている。

理屈や論理を飛躍させなければ、信じるという行為に
及ぶのは難しい。

理屈や論理を飛躍させるのは何か。

憧れか?期待か?恐怖か?不安か?

そして、いったん飛躍してしまったら、
「もう、何でもあり」になってしまう。

別に宗教でなくたって、誰しもが何かを信じている。

それが仕事(会社)だったり、価値観だったり、国だったり、
制度だったり、文化だったり、テレビからの情報だったり。

小泉首相在任中、日本国中、彼のカリスマ性に踊らされましたが、
彼が派遣切りの土台をつくっていると、当時、誰が気付いたでしょう。
(共産党さんはかなり反論していたそうです。でも、共産党が
主張することには、さほど気にしないことが多いでしょう。
メディアだって取り上げません。メディアが取り上げるのは
小泉のパフォーマンス性ばっかりでした。
X japan のコンサートに行っただの、相撲の表彰式で「感動した!」
と叫んだとかね。)

それが全てと思って、そこに落ち着くことを選びとる。

でも、「それって本当かな?」ってちょっと思考(理性)
を働かせるだけで、結果が大きく変わる可能性もある
ということを忘れてはいけないなと自戒の意味をこめて
そう思う。

署名

<script src="http://www.shomei.tv/project/blog_parts.php?pid=1655&amp;encoding=euc"></script>