オータムリーフの部屋

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マリモの話

2017-09-01 | 社会
阿寒湖を訪れる観光客らに、アイヌ民族の伝説として紹介されてきた「恋マリモ伝説」が、大阪市の元出版社社長(故人)による創作だったことが、遺族が釧路市教委へ寄せた資料から明らかになった。作者はアイヌ民族に聞いた話から着想を得たとのメモを残していた。阿寒観光協会まちづくり推進機構は「出典を明らかにした上で、今後も語り継いでいければ」としている。
 恋マリモ伝説は、恋仲となったアイヌ民族の若い男女が身分違いから結ばれず阿寒湖に身を投げ、魂が姿を変えてマリモになった物語。昭和初期に阿寒湖観光の宣伝で使われ始め、今もイベントなどで取り上げられている。ただ、アイヌ民族や研究者の間では和人の創作との見方もあった。釧路市教委マリモ研究室の若菜勇室長は十数年前、22年に朝日新聞社から発行された公募小説集「山の伝説と情話」にも同じ物語が収められ、作者が「永田耕作」だと突き止めた。
 今年7月、永田さんの次男夏雄さん(88)=大津市在住=から市教委に、永田さんの創作を裏付ける資料の寄贈の申し出があった。永田さんの手書きのメモには、釧路に住んでいた時に親しくなったアイヌ民族から聞いた話を基に「所も、話の筋も変えて作文をした」と記されている。
 阿寒湖畔で民芸店を営む阿寒アイヌ工芸協同組合長の西田正男さん(71)は「内容が面白く、阿寒湖観光を盛り上げている。アイヌ民族の伝説ではないと明確にすれば、今後も紹介してもいいのでは」と話す。(北海道新聞)
 
そして、本当のアイヌ民族の伝説は?
まりもはアイヌの人たちにとって、忌み嫌うものであった。まりもを「トーラサンペ」(湖の妖怪)と呼んでいた。まりもが増えると魚が取れなくなるという理由から、嫌っていたのであった。
そして彼らが語り継いでいたまりも伝説は次のようなものであった。
 
昔の阿寒湖にはベカンベ(菱の実)がたくさん実っていた。ところが湖の神(トウコロカムイ)はこのベカンベが嫌いであった。湖が汚れるという理由からであった。そしてとうとうベカンベを阿寒湖から追い出してしまったのである。ベカンベは湖の神になんとか阿寒に住まわせてくれることを懇願したが許されなかった。彼らは泣く泣く塘路湖(標茶町)に移動したのである。阿寒湖を去る時、ベカンベたちは悔しさのあまり、水辺の草をむしって湖に投げつけた。この草がまりもとなった。アイヌの人たちの主食でもあったベカンベが、塘路湖にあって阿寒湖になかった理由をも解く伝説である。
 
ベカンベは、道東では塘路湖にしか植生していないが、日本全国では古くから知られている。万葉集にも登場し、柿本人麻呂が、
「君がため 浮沼の池の 菱摘むと 我が染めし袖 濡れにけるかも」
と詠んでいる。
塘路湖では毎年九月にベカンベ祭りが催されていた。アイヌの人の重要な祭りで、神にお祈りをした翌日からベカンベの採集が許されたという。観光行事としても知られていた。中止の原因はよく分からないが、アイヌの人たちもいろいろな事情があるようである。
塘路の駅のそばには、このベカンベを入れたイモ団子が販売されているという。現在、ベカンベは管理され、かってに採集することはできない。
 
観光に役立つ伝承としてはやはり、創作の悲恋物語の方がよい。ベカンベが怒り狂って投げ捨てた草がマリモになったなんて・・・・・。愉快な話である。それに、恋物語の原作者の息子さんが創作である証拠を提出したり、アイヌ民族の方が創作に対して寛容なコメントをしたり、近頃稀に見る楽しい話題である。
 
もう一つ、阿寒湖にまつわる中国人女性の失踪も謎である。
天才少女画家と騒がれながら、冬の阿寒湖で謎の死を遂げた札幌の女子高生・加清純子。純子については、当時の恋人だった作家・渡辺淳一の小説「阿寒に果つ」の中で語られている。
純子はどうして吹雪の中、阿寒湖を目指そうとしたのか?
昭和27年の北海道の新聞に阿寒湖近くの山林の雪の中で発見された時の様子が載っているらしい。美貌と画家の才能そして文才に恵まれた少女が師事する画家の先生、新聞記者、医師、思想家であるカメラマンそして小説家と関係を結び彼らの生活の中に入り込み翻弄していく。ここで出てくる小説家とは渡辺淳一のことである。
純子は阿寒に発つ前、渡辺淳一の家の前まで別れを告げに来たという。その時会うことは無かったのだが、一本のバラの花が部屋の窓の外の雪の中に置いてあったそうだ。彼は純子が来たと思ったらしい。その後阿寒で死体が発見される。雪の中で睡眠薬を多量に服用していた。扶桑社文庫の表紙には加清純子が書いた自画像が印刷されている。研ぎ澄まされたタッチで描かれたその絵からは感性豊かな少女の一面をうかがい知ることができる。
 生きていた時よりも美しく、華麗に死ぬ方法はただ一つ、あの死に方しかない。あの澄んで冷え冷えとした死。
 純子はそのことを知っていたのであろうか。あの若さで、果たして死ぬ時、そこまで計算していたであろうか。
 「阿寒に果つ」渡辺純一著 冒頭。
 
内面の苦悩を打ち明けて本当に心を開くよりも、誰にも縛られない自由な自分を演出し続けた純子。失踪の中国人女性は純子の中に自分を重ね合わせたのかもしれない。繊細で感受性豊かな少女は自分が図太く鈍感に変容していかなければ生きていけない人生を拒絶したのかもしれない。

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