オータムリーフの部屋

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障害者抹殺思想の蔓延

2016-08-04 | 社会
神奈川県相模原市で起きた障がい者大量殺害事件をめぐって、安倍政権支持のネトウヨの間で、「植松容疑者の主張は間違ってない」「障害者は税金を使う金食い虫」といった障がい者ヘイトが広がっている。
それもそのはず、容疑者がフォロ-し、弱者排除の思想を持つに至ったツイッターは、安倍晋三、百田尚樹、橋下徹、ケント・ギルバート、つるの剛士などなど、ネトウヨが好みそうな極右政治家、文化人が並んでいる。その中身も、最近、右派発言が目立つ村西とおるの「米軍の沖縄駐留は平和に大きく貢献している、米軍がいればこその安心なのです」という発言をリツイートしたり、「在日恐い」「翁長知事にハゲ野郎って伝えて!!」といった、ネトウヨ的志向がかいま見えるツイートも散見される。
 しかも、容疑者は、衆院議長公邸に「私の目標は重複障害者の方が家庭内での生活および社会的活動が極めて困難な場合、保護者の同意を得て安楽死できる世界です」といった手紙を届け、「障害者なんていなくなればいい」と供述している。手紙を届けたという行為から見ても、自分の行為が政権から支持されると思い込み、英雄気取りでいたことがわかる。異常でもなんでもなく、右翼政治家の弱者蔑視思想に強く影響を受け、正義と思って殺傷してしまったお調子者である。今回の犯行は、弱者を社会から排除するという思想の延長線上に出てきたもので、ヘイトクライムである。在日韓国人や弱者に対して、「死ね。日本から出て行け」などと叫んでいるネトウヨ的なメンタリティの延長線上にある。ネットのヘイト発言に触発されて行動を起こす第2第3の植松が出てこないことを祈るばかりだ。
 
 安倍政権の根幹を支える識者?たちにも弱者排除の思想は蔓延している。
 曽野綾子は、障害をもって生まれた野田の子どもにかかる治療費は小児ICUや何度もの手術費を含めれば数千万円となる。それは国民が支払う国民健康保険から捻出されているのだから、感謝しないのはおかしいという。「私の周囲には『どうしてそんな巨額の費用を私たちが負担するんですか』という人もいる。『野田さんの子供さんがお使いになるのは、ご病気なんですから仕方ありませんけど、ありがとうの一言もないんですね』と言った人もいた。『もしもの時は安心してください、というのは。遠慮もせずにどんどん使えということですか? そういう空気を煽るから、健康保険は破産するんですよ』という意見もあった。増税論が始終話題になるこの時期に、仕方ないとは思いつつ、皆、健康保険料を払うのも大変なのだ。私も後期高齢者医療制度の保険料を年額五十万円以上支払っているが。私にできる唯一のこととして、できるだけ医師にかからないようにしている」つまり障がい者は高額の医療費がかかる。そしてその医療を負担することは国の健康保険を障がい者が破綻させる、国に迷惑をかけていると言っている。相模原事件の植松容疑者の主張とまったく同じである。
難病や障がいを抱える子どもが医療を受けるのは、当然の権利であり、ほどこしではない。野田が高額医療について、自分だけが享受するのではなく、「高額医療は国が助けてくれるもので、みなさんも、もしものときは安心してください」と周知したのは、国会議員としてごく当たり前の行為だろう。むしろ、国会議員である野田が謝ったり過剰に感謝したりすることは、「高額医療を受けるのは申し訳ないこと」という意識を植え付け、福祉を受けるべき人が受けにくくなる弊害を生むことになる。
 
差別思想の持ち主である曾野は、個人的に書き散らしているだけではない。安倍政権のもと教育再生実行会議などに名を連ね、自己責任や愛国教育を推し進めている。自分の恵まれた環境を顧みることなく、弱者を叩き、国家に頼るなと自己責任を要求する。国家に貢献しない弱者は排除する。安倍支持者と共通する心性であり、こうした差別思想は、曽野綾子だけに限ったことでない。石原慎太郎や石原伸晃、麻生太郎らは、過去に障がい者や高齢者に対して安楽死を口にしたり、「いつまで生きているつもりなのか」などといった暴言を吐いてきた。公職にある大物政治家や大物作家たちが公然と障がい者差別や排除を声高に叫ぶ日本。その歪んだ考えが蔓延した末に起こったのが今回の事件だ。
 
曽野やネトサポに批判される野田は、相模原事件発生後の7月26日のブログで、こう記している。
「亡くなられた方々に、弔意を。だけど、私の心は穏やかではない。自ら望んで障害と共に産まれてきたわけではない。こどもの障害を平気で受容出来る親はいない。しかし、健常者を名乗る人たちの一部には、老若男女問わず、有名無名問わず、この世に障害者はいらないと考えている。経済合理性やら優生思想やら、いろいろ。容疑者も産まれたときには、こんな考えはなかったはず。社会のどこかで誰かの話に食いついたのだ。同日、厚化粧の年増女、なる発言。全く脈絡が違うようには思えるが、根っこは繋がっている。この国で活躍すべきは男性であり女性は不要、小賢しいだけ。 最近はそんな発言する男を正直とほめる人たちがいる。単にデリカシーない無礼な所作だけど。先進国を標榜しながら、人は成熟しきれていない。正直、今のままの日本で、息子を残しては逝けない。大東京よ!健常者という曖昧な言葉を捨て、都民同列の優しい大人の都市になっておくれ。ダイバシティ上等!」
障がい者排除の思想が植松容疑者個人のものなどでなく、日本社会全体に蔓延している。その排除の空気は、障がい者に対してのみ向けられるものでなく、女性、高齢者、外国人、あらゆる弱者、あらゆる人間に向けられる。
 
 昨年11月に茨城県教育総合会議の席上で教育委員のひとりが「妊娠初期にもっと(障がいの有無が)わかるようにできないんでしょうか。4カ月以降になると堕ろせないですから」「(特別支援学級は)ものすごい人数の方が従事している。県としてもあれは大変な予算だろうと思った」「意識改革しないと。生まれてきてからでは本当に大変です」などと発言し、さらに橋本昌・茨城県知事までもが「産むかどうかを判断する機会を得られるのは悪いことではない」と擁護・同調するような発言をするという騒動があった。教育行政にかかわる人物が公然と「金のかかる障がい児は産むべきではない」と発言している。
 石原慎太郎は、都知事に就任したばかりの1999年9月に障がい者施設を訪れ、「ああいう人ってのは人格があるのかね。絶対よくならない、自分がだれだか分からない、人間として生まれてきたけれどああいう障害で、ああいう状況になって……。おそらく西洋人なんか切り捨てちゃうんじゃないかと思う。ああいう問題って安楽死なんかにつながるんじゃないかという気がする」
 ほとんど植松容疑者の言っていることと大差なく、違いは実行しないだけだ。舛添のせこい公私混同より石原の差別発言のほうがよほど問題だと思うが、当時この発言を問題視する報道は少なく、その後、4期13年にわたって都民は石原を都知事に選び続けた。
 
一般的には、こんな差別思想の人間は疎んじられ、周囲から相手にされなくなる。しかし「政治屋」という家系に生まれて、世襲制になると事情は異なる。アホな故に、思いついたことは何でも実行し、それがたまたま、一部の国民に受け、功を奏したから、大得意で政策とは言えない紙幣の印刷とばらまきだけで、経済成長が可能だと思い込む。
賛成しかしない頭数だけいればOKの政治家に多額の報酬を払っているのだから、嫌になる。思考停止の「障害だらけの政治屋」が国会議員にも地方議員にも大量に存在して、国民の税金を浪費している。
特に地方議員の無能ぶりはひどく、地方議員数が多いにもかかわらず、土建などの既得権益にしがみつく人々のために働く議員はいても、市町村全体の利益を考えて行動している地方議員など皆無であろう。
大体、官僚とトップがいれば、政治は滞りなく、進むのである。「官僚支配をぶっ壊す」とか、「官僚から主導権を取り戻す」という前に無駄な政治家の数を減らす方がどれだけ財源が浮くことか。
地方議会の定足数を1議席減らせば、年間500万円の財源が浮くという。報酬以外の歳費(例えば、政策費など)を含めれば、もっと削減できるはずだ。
 
薄っぺらな批判だけで何もしない、実績(国会議員の場合は法案の提出件数)のない政治家を選挙の際に落とすぐらいしか国民にはできないが、実績のない議員が殆どだから、結局国民にはなすすべがない。議員の一定の割合を障害者や生活保護世帯など、弱者代表にして、政治に参加させるような仕組みをつくらなければ、弱者にやさしい社会の実現は不可能だろう。

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