オータムリーフの部屋

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恐るべき同和教育

2012-07-20 | 社会

同和教育がどのようなものか、その辺も考え直す必要がある。私は北海道出身なので同和問題はよく知らない。東京に来て、「狭山出身なの?」と言う私の発言に激怒したり、飲んでいて急に辛い過去を思い出したのか、泣き出したり、特に関西の差別はひどかったということは理解している。しかし、そう言う問題に取り組み、一応の成果は出ているように思う。の権利を守りすぎて逆差別に近い現象も出てきているようだ。この辺で同和教育を見直す段階に来ている。同和教育は政治色の強い人権教育だということだが、人間全体の人権を守る教育にはなっていない。未だに自分達の人権だけに敏感な教育に終始しているようだ。

ハテラボに投稿されていた匿名日記が凄いので引用する。
大阪では年に数回、生徒全員が体育館に集められて、地区の委員会から派遣されてきた人が講演をする。でっぷりと太ったおっさんが「人権ってええで!ぬくいで!」「キミ等は結婚するときに差別したらアカンのや!」などと数時間にわたって叫びまくるイベントである。比喩ではなく本当に叫ぶ。
僕は、率直に言って、これは新興宗教がよくやる洗脳だなと感じていた。
おっさんの論理の飛躍は凄い。「差別は不当」「人権は大切」→「だから被差別出身者は優遇されるべき」と。 多感な中学生たちに対してこんなイベントが常に行なわれている。洗脳された友達もいた。

しかも、「事前学習」「事後学習」と題して、講演がないときも「人権」「差別」といったテーマで少ない授業時間を削って作文を書かされたりする。たとえば「人権」というテーマなら、「居住地を追われるネイティブ=アメリカンの人権問題」とか、いくらでもとらえようがあると思う。しかし、優秀なものとしてプリントになったり、賞をとったりするのは「差別」「在日差別」に関するものだけだ。
文化祭の劇では必ず一クラスが差別に関係する劇をやらねばならない。これはほとんど「にんげん」という教科書(年に一回使えばいいほう)の中から題材を選ぶ。この教科書はすごい。出身者が結婚を断られたら「差別だ!」就職を断られたら「差別だ!」と叫びまくるような話が延々と載っている。 これは小学校の時の話だが、僕は、別にその人がモテなかっただけではないか、就職するのに必要なスキルがなかっただけではないか、と教師に言ってみた。キレられた。
ニュースで「じんけん」の教科書には年間10億円以上が使われている、と聞いて、小学生の僕は怒っていた。 話を劇に戻す。僕が小学校5年か4年のとき、先輩の劇で強烈なセリフがあった。これは一字一句漏らさずに覚えているのだが、直接書くことに抵抗があるのでニュアンスだけ書く(それほど大阪出身者にとって委員会のプレッシャーは、怖い。特定される事はまずないだろうが僕はそれでも怖い)。
つまり、彼等出身者は、排泄物などの汚物を飲まねば生きられないシステムを他の地域の人に作られながらも生きてきた。だから今の時代では優遇しろ。当たり前だろ。ということであった。
あまり伝わらないと思うが、この劇の恐ろしさたるや、よくこんなものを小学生に演じさせられるな、と戦慄した。

ここに書いてあるような授業の元締めである大阪府(市)同和教育促進協議会の事務局と同じビルに事務所のある某組織の中の人だった俺が保証する。どれもおおむねホント、あるいは学校によっては更に凄かったよ。もちろん「自分は大阪出身だけどここまでではなかった」とコメントしてらっしゃる方が嘘をついてるとも思わない。たぶん、学区内に「行政が公認した対策事業対象地域」が存在しない学校だったんじゃないだろうか。地区外出身者への洗脳も凄かったけど、個人的にいちばんえぐいと思ってみてたのは、「出身者としての自覚を促す」とかの戯言に基づいて地区出身者に強要される「民宣言」だな。連中にとっちゃ、「地区出身であるにも関わらず自分が差別されてるとは特に感じてない」存在が許せんのだろうね。自分たちが運動を行い対策事業の恩恵にあずかる最大の根拠を身内に否定されてるようなもんだから。

橋下氏の同和教育に対する姿勢
《私の中学では同和教育をしている。前の学校では、ひとかけらもこんな教育を受けたことがなかった》
 橋下徹(はしもと・とおる)が中学時代に書いた卒業文集の一節だ。東京から大阪に移り、2度目の引っ越し先となった大阪市東淀川区での生活は、橋下自身が「僕の人格を作ってくれたところ」と振り返っている。中でも中学校で学んだ人権教育は、思春期の橋下にとって「カルチャーショック」とも言える出来事だった。「なんで夕方の6時で部活を終わらせなあかんのですか。夏場なんか、まだ明るいやないですか」。背景には、地域が抱える複雑な事情があった。学力が低かったり、生活面に問題を抱えたりしている生徒の指導のため、この学校では、教師が帰宅後の生徒の住む地域に出向く「訪問授業」を午後7時から行っていた。「いろんな子供がおるんや。先生たちだって一生懸命なんや」。ラグビー部顧問の黒田光(48)は必死でなだめたが、橋下は「なんで、ぼくらが犠牲にならなあかんのですか」としつこく食い下がり、結局、午後6時半まで練習時間を延長させたという。
 この経験が影響したのだろうか。橋下は文集に《まだまだ同和教育に反感をたくさんいだいている。完全に納得できないのもたくさんある》と書く一方、複雑な思いも記している。
 《でもその中でただ一つ「仲間づくり」の話だけは納得できるのは、その話が現実に起こったからだ。1年前、僕が自転車の事件を起こしたとき、みんな必死でかばってくれた》橋下は中学時代、自転車を盗んだ疑いをかけられ警察に補導された。「警察で、友達のことをしゃべらなかったら『しゃべれ!』って名簿みたいなんで背中たたかれて、これが警察かと。警察は暴力は絶対しないなんて言ってますけど、殴って吐かしてんだろうっていうのは、身にしみて体験したんです」 このとき、警察を出てきた橋下を温かく迎えてくれたのが仲間たちだったという。文集にはこうある。《前の学校だったらみんな逃げてしまっただろう》

 「私はいわゆる地区で育ったが、同和問題は全く解決されていない。ただ、差別意識があるからといって、特別な優遇措置を与えていいのかは別問題。一から総点検していただく」。補助金の見直しを求めた府の公開議論では、一向に具体案を提示しない担当職員を険しい表情で切り捨てる一幕もあった。「中身がまったく出てこない。府民に分かりにくい」。激怒した橋下はさらにこう続けた。「この問題に真っ正面から取り組まないと人権問題、同和問題は解決しない。逃げてはいけない」

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