10日、日曜の朝日新聞の記事/耕論...医療版「事故調」の課題より
以前から何度か、現代日本の医療が抱える問題点について、あれこれとひとりごと
をつぶやいてきました。
上記記事に、その課題、問題点の論旨が、医療事故という視点から述べられていま
すぜひとも、一度読んでおいていただければと思います。
かつて、医師は、尊敬の対象であり、抗うことのできない知識と技術と徳目を
そなえた存在、ある意味では神にも似た畏怖と信頼を寄せる存在であったと思います
それが、やがて、時代は移り、社会の目、人々の考えが変わり、
医師に対応する患者が、「患者さま」と呼ばれる時代がやってきました。
医師は、医療技術を有する技術集団であって、「治せてあたりまえ」「治せない
のは技術が不足しているから」「技術不足の医師は、間違いを犯す」「医師は過誤
を起こす」「医師は信用できない」という具合に、すっかり様変わりしてしまい
ました。
そうです、確かに、医師は神様ではありません。
では、神ならざる医師が治療において意図せずして発生する過誤は、医師の技術
不足のゆえなのでしょうか?
医師は神ではないと言いながら、医師に神と同じ結果を求めている。そのことに
何か、違うよ ? 何かへんだよ、と思いませんか ?
医師は、医師という職業と職責ゆえに法による処罰の対象になってしまいました。
では、側弯症を治療できると称して、患者から法外な施術料金をとりながら
結果として、側弯症が悪化して、手術となったり、手術さえも手遅れとなって
しまうような事態を発生させた整体やカイロやヨガの「先生」は法による処罰を
受けていますか?
医療事故とは、医師だけが発生させているのではありません。医療行為をしている
やからは世間には大勢います。彼らが悪化させた患者を救っているのは誰でしょう?
悪化した病気を治療しているのは誰でしょうか?
記事より :
「医療は人の命を助けるために行うが、患者を助けられないこともある。結果が
悪かったからといってすべての責任が追究されては、(医療は)成り立たない」
「調査組織は、個別の医療行為を評価するだけでなく、時には国の医療政策に注文
をつけて欲しい。その点で、英国の王立ブリストル病院事件は参考になる。...
英国の医療の質が正面から問われた。...政府の医療政策にも鋭く切り込んだ
.....新たな整備投資も不十分で、世界の医療の進歩から取り残されていた。
のちにブレア政権が医療費の増加政策に転じた......医療の質を向上させるため
のさまざまな精度改革を提言した」
「医師が警察に捕らえられることを心配しながら仕事をするという日本の状況は
特異と言わざるえない」
..............................................................
医師とて、ひとの子です。
医師とて、妻もこどももいます。患者のためにと精一杯の努力を重ねても
医療は不確定なもの。つねに合併症、偶発症、副作用というリスクは伴います。
それら、医師の手ではコントロールできない、いわば「偶然と運命」による
結果さえも、悪い結果は、すべて医師の技術過誤のせいとされている今の日本の
医療現場、社会通念は、医師にとっては、手足を縛って仕事をしろと言われてるの
と同じことですよ。
同じ手足を縛られているのなら、何かをして不運が発生することよりも、何もせず
に不運の発生するリスクを回するほうが、身のため。
そういう思いを抱くことを誰が非難できるのでしょう。
医療費を抑制するために、毎年毎年、医療現場の経費は削減を続けています。
医師は不足し、不足分を補うために、ひとりの医師の負担は増大するばかりです。
疲弊しきった医師は、いつミスしてもおかしくない状態におかれているのです。
....医療費が不足といいながら、霞ヶ関が裏に隠した特別財源は数兆円とも、
数十兆円とも言われています。自らが天下ることに汲々とし、現場の苦労も患者の
苦悶などどこふく風で、霞ヶ関官僚は、自分らだけが楽々と生きていくことだけを
考えて生きている。国民の血税が、彼らの懐を潤しているだけでしょ。
我々はもっと怒るべきです。患者とその家族はもっと声を上げるべきです。
皆さんが本当に助かりたいのなら、自分らが真に相手にすべき対象を見極めなけれ
ばなりません。それが民主主義であり、それが主権在民ということです。
それが、憲法の保証する生存権というものです。
以前から何度か、現代日本の医療が抱える問題点について、あれこれとひとりごと
をつぶやいてきました。
上記記事に、その課題、問題点の論旨が、医療事故という視点から述べられていま
すぜひとも、一度読んでおいていただければと思います。
かつて、医師は、尊敬の対象であり、抗うことのできない知識と技術と徳目を
そなえた存在、ある意味では神にも似た畏怖と信頼を寄せる存在であったと思います
それが、やがて、時代は移り、社会の目、人々の考えが変わり、
医師に対応する患者が、「患者さま」と呼ばれる時代がやってきました。
医師は、医療技術を有する技術集団であって、「治せてあたりまえ」「治せない
のは技術が不足しているから」「技術不足の医師は、間違いを犯す」「医師は過誤
を起こす」「医師は信用できない」という具合に、すっかり様変わりしてしまい
ました。
そうです、確かに、医師は神様ではありません。
では、神ならざる医師が治療において意図せずして発生する過誤は、医師の技術
不足のゆえなのでしょうか?
医師は神ではないと言いながら、医師に神と同じ結果を求めている。そのことに
何か、違うよ ? 何かへんだよ、と思いませんか ?
医師は、医師という職業と職責ゆえに法による処罰の対象になってしまいました。
では、側弯症を治療できると称して、患者から法外な施術料金をとりながら
結果として、側弯症が悪化して、手術となったり、手術さえも手遅れとなって
しまうような事態を発生させた整体やカイロやヨガの「先生」は法による処罰を
受けていますか?
医療事故とは、医師だけが発生させているのではありません。医療行為をしている
やからは世間には大勢います。彼らが悪化させた患者を救っているのは誰でしょう?
悪化した病気を治療しているのは誰でしょうか?
記事より :
「医療は人の命を助けるために行うが、患者を助けられないこともある。結果が
悪かったからといってすべての責任が追究されては、(医療は)成り立たない」
「調査組織は、個別の医療行為を評価するだけでなく、時には国の医療政策に注文
をつけて欲しい。その点で、英国の王立ブリストル病院事件は参考になる。...
英国の医療の質が正面から問われた。...政府の医療政策にも鋭く切り込んだ
.....新たな整備投資も不十分で、世界の医療の進歩から取り残されていた。
のちにブレア政権が医療費の増加政策に転じた......医療の質を向上させるため
のさまざまな精度改革を提言した」
「医師が警察に捕らえられることを心配しながら仕事をするという日本の状況は
特異と言わざるえない」
..............................................................
医師とて、ひとの子です。
医師とて、妻もこどももいます。患者のためにと精一杯の努力を重ねても
医療は不確定なもの。つねに合併症、偶発症、副作用というリスクは伴います。
それら、医師の手ではコントロールできない、いわば「偶然と運命」による
結果さえも、悪い結果は、すべて医師の技術過誤のせいとされている今の日本の
医療現場、社会通念は、医師にとっては、手足を縛って仕事をしろと言われてるの
と同じことですよ。
同じ手足を縛られているのなら、何かをして不運が発生することよりも、何もせず
に不運の発生するリスクを回するほうが、身のため。
そういう思いを抱くことを誰が非難できるのでしょう。
医療費を抑制するために、毎年毎年、医療現場の経費は削減を続けています。
医師は不足し、不足分を補うために、ひとりの医師の負担は増大するばかりです。
疲弊しきった医師は、いつミスしてもおかしくない状態におかれているのです。
....医療費が不足といいながら、霞ヶ関が裏に隠した特別財源は数兆円とも、
数十兆円とも言われています。自らが天下ることに汲々とし、現場の苦労も患者の
苦悶などどこふく風で、霞ヶ関官僚は、自分らだけが楽々と生きていくことだけを
考えて生きている。国民の血税が、彼らの懐を潤しているだけでしょ。
我々はもっと怒るべきです。患者とその家族はもっと声を上げるべきです。
皆さんが本当に助かりたいのなら、自分らが真に相手にすべき対象を見極めなけれ
ばなりません。それが民主主義であり、それが主権在民ということです。
それが、憲法の保証する生存権というものです。