城址史跡を歩く。

日本の城や城址、史跡などを見て歩くのが好きです。
今のところ、九州の城址・史跡が中心です。

富来城跡(大分県)

2010-02-09 | 城(城址)歩き
2010年2月7日(日)

豊後高田城跡からの帰り道、
関ヶ原合戦時に黒田如水の軍勢が落とした城、富来城跡 を見てみたいと思い、
国東市国東町富来浦にやってきた。

車中からその城跡へ行く目印を探していると、
『宮本武蔵の古戦場・富来城跡』 と書かれた看板があった。

富来城 は1261年(弘長元年)、富来氏によって築城された。
『富来浦を見下ろす断崖の上に建つ堅固な城』 といわれた。
近くに紅葉で有名な富来寺(ふきじ)がある為、『ふきじょう』 なのかと思っていたが、『とみくじょう』 とよばれる。
1336年、富来氏9代~10代の時代に 足利尊氏 が入城したことがあるという。

18代城主・富来実直 大友宗麟 の近侍として活躍。
1594年(文禄3年)には秀吉の命により、垣見一直(名は家純)が入城する。
一直は 石田三成 と親しく、関ヶ原合戦には西軍方として出陣した。
しかし、大垣城(岐阜県大垣市)にて戦死する。
その間、城を守っていたのは兄の 垣見理右衛門 で、
石垣原合戦で勝利した黒田軍と交戦中、関ヶ原にて西軍敗退との知らせを受け開城した。

この戦いに剣豪として有名な 宮本武蔵 は黒田軍として参加。
奮闘の末に足を負傷したとされる。
この言い伝えは黒田家臣が伝記に記した物語らしいが、
黒田家の文書には記されており、こちらも有力な説とされている。

富来城跡 は城山子供公園という小さな公園として残っていた。



城跡としての面影はない。
大きな看板と案内板がある。

【富来城跡】

公園は城の本丸の一部で、園内には祠がある。



唯一、城跡らしい遺構は 石垣跡 が残されている。



合戦後に日出に入部した 木下延俊 は、
黒田軍との戦いでの垣見氏の大砲の威嚇にも一歩も引かなかった勇猛果敢な奮戦ぶりに感動し、
大手門扉を日出城の裏門に使用したという。

堅固な城といわれた富来城だが、
ほぼ跡かたもなく、小さな公園となっているのは寂しいが、
それもまた城址めぐりの面白さなのだろうと思う。


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