関西アテルイ・モレの会からのお知らせ

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『阿弖流為・母禮之碑』法要に参加して

2023-05-04 10:14:38 | 日記

 

さいたま市の川村三郎さんが「在京石鳥谷町人会だより」に『阿弖流為・母禮之碑』法要に参加してという記事を寄稿されましたので、ご本人の了解を得て会員の皆様に紹介致します。

(事務局:和賀記)

               『阿弖流為・母禮之碑』法要に参加して

令和4年11月12日(土)京都音羽山清水寺に於いて、第29回阿弖流為・母禮之碑の法要があると高橋会長より紹介をして頂いた時、すかさず参加の意向を伝えました。

 高橋会長に参加申し込みをして頂き、関西アテルイ・モレの会に了解を頂き、私の家内も含めて3人で参加してまいりました。高橋会長は既に6年位前からこの会の会員になっているそうです。私達は歴史好きな同伴者という立場で参加しました。当日はとても暖かく、土曜日ということもあり、人が参道を埋め尽くし清水寺へ押し寄せる川の様でした。

 私が参加することを決めたのには以前NHKの大河ドラマにもなった「炎立つ」という高橋克彦氏が書いた小説を読んだことがあり、北東北に生息し独自の文化を持ち生きた蝦夷と呼ばれた人達がいて、岩手県人である私にとっては自分達のルーツではないかと思ったことがありました。その蝦夷の統領である「阿弖流為」が朝廷の都である京都にいたのは蝦夷討伐の征夷大将軍坂上田村麻呂と戦い和解し、和解したことで朝廷に疑われた田村麻呂を助ける為に来て殺害されたという歴史を知り無念の思いを抱いたことがありました。この清水寺は坂上田村麻呂が寄進した土地だそうです。その子孫が平泉に藤原清衡、基衡、秀衡の三代に渡り栄華な文化を築いた事は歴史の事実です。岩手県人の私としてはとても誇りに思っていましたし、阿弖流為・母禮の無念さを鎮めて上げられればと思い、法要への参加を強く望みました。

 高橋会長は大阪市に赴任していた頃にこの会を知り会員になっていたそうです。この石碑は清水寺がユネスコ世界遺産に登録された年に建立されたそうです。

 今回(29回)の法要では8:30に仁王門前に集合して受付をしましたが、あまりの観光客の多さに迷子になるのではないかと心配しました。時間になると清水寺学芸員坂井輝久先生の案内と説明により清水の舞台を廻り、普段では一般の人は入ることのできない「奥の院内陣」に誘導されました。今回の清水寺の修復、改修により奥の院内陣も大きく変わったようでした。以前がどのようだったか知らないので驚くことばかりでしたが、追い打ちをかける様に坂井先生に「では中に入りましょう」と案内された時は、見てはいけない物が観られるという高揚感でドキドキし、マスクの中では口が開きっぱなしでした。

 奥の院左横の扉を開けて入り始めました。院内が暗かったので全員が入った頃に他の一般観光客も入ろうとしていたので役員の方が無理やり扉を閉めて閂を掛けました。外では一般客が中で何をやっているのだろうと覗き込んでいました。その中では学芸員坂井輝久先生が奥の院改修の際に今まで知られていなかった仏像などが数多くあったそうです。暗い中に何十体と仏像が置かれていて、三面千手観音菩薩坐像は1体だけ大きくて、ありがたく拝観させて頂きました。

 奥の院を出て音羽の滝の前を抜けて清水寺南苑の『阿弖流為・母禮之碑』前の法要会場に集合して、準備の整った会場に着席しました。先ず慰霊の笛として森美和子さんの篠笛演奏があり、ざわめいた観光客の喧騒の中に清らかな霊場が出現しました。その後全山の僧侶が待ち受ける所に清水寺貫主森清範師が現れて読経と共に法要が行われ、その森貫主の読経の中で、参加者全員が焼香を行いました。終わった所で、参加者全員の集合写真撮影と3組だけの記念撮影があると聞こえました。まさか私達もリストに入っているとは思いませんでしたが、高橋会長が司会役の方に話をつけて頂いたようで、呼ばれた時は畏れ多い体で勧められるまま森貫主を間に私達夫婦が並び高橋会長は森貫主の後ろに立ちました。撮影準備中に横に座った私に森貫主より「奥州市からですか?」と直接言葉を掛けられました。慌てた私は「いえ、花巻市です」と答えましたが高橋会長も同時に同じ言葉を答えていました。普段なら顔を見合わせるのですが笑える状態ではありませんでした。すると森貫主から「大沢温泉ですか」と声を掛けられましたので「是非いらして下さい」答えましたが私の住んでいるのはさいたま市でした!花巻から来たような答えをした事に後で笑い合いました。

 何はともあれ清水寺森清範貫主と言えば、毎年年末に恒例のTV中継で清水寺の舞台の見える所で“今年の漢字”を大きな白い紙に筆で書き上げている人としか認識していませんでしたが毎年見ていました。夢の様な感じで感激致しました。高橋会長のご配慮に感謝致します。

 次は円通殿で森清範貫主の法話を頂きましたが、その前に法要の時篠笛を演奏して下さった森美和子さんと箏を奏でる中川佳代子さんの合奏で東北の子守歌メドレー、南部牛追い唄、星めぐりの歌、沙羅の花など素晴らしい演奏を聞かせて下さいました。そして森清範貫主の法話を頂きました。阿弖流為・母禮の話ではなく京都弁で柔らかく世間話の様な法話でした。

 最後は円通殿の中を通り「洗心洞」という会場に移り懇親会が行われましたが、法要の時は90人位いました参加者がこの会場には72名でした。この会場には清水寺森清範貫主、倉成淳奥州市市長、菅原由和奥州市議会議長、岩手トヨペット社長、胆江日日新聞社社長等々岩手県からもいらしていましたが、殆どが関西の方で関西奥州会、関西岩手県人会、京都岩手県人会などが阿弖流為・母禮之碑法要運営に関わっているようです。蝦夷に関して我々岩手県出身者にとってはもっと関東や岩手の関係者に広く知って頂き参加を呼び掛けても良いのではないかと感じました。私も是非会員になりたいと高橋会長を通じてお願いしておりますし、私の知り合いにも岩手の歴史好きがいるので紹介したいのですが、果たして広めてよいものかこの件も確認したいと思います。

 これからも私は「アテルイ・モレの会」と関わって行きたいと感じております。高橋会長には望むべくもない経験をさせて頂き大変感謝しております。

     在京石鳥谷町人会 副会長 川村三郎

 

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