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森清範貫主様、関西岩手県人会の祝賀会にご参加

2015-02-15 11:26:28 | 日記

2月11日(祝)、リーガロイヤルホテルにて開催された関西岩手県人会60周年記念祝賀会に、清水寺の森清範貫主様、森清顕師と坂井輝久先生が参加されました。

ご挨拶される森清範貫主様



記念誌に寄稿された、森貫主様のご祝辞を転載致します。

この度、関西岩手県人会が創立六十周年を迎えられましたことは、誠にめでたく、衷心よりお祝い申し上げます。
設立以来長く、歴代会長はじめ会員の皆々様は出身岩手県の隆盛発展のために多大な尽力をされてこられたわけでありますが、同時に関西との交流の懸け橋となって貴重な役割を果たしてこられました。その一つとして清水寺境内に建っております「北天の雄・阿弖流為・母禮之碑」があげられるかと思います。碑は昨年、ちょうど建立二十周年記念の法要を迎えましたが、建碑はまさに歴史に新たな光を差し入れる画期的なこととなりました。
清水寺は奈良の延鎮上人が京都・東山の音羽の滝に到り、本尊の観音像を祀ったのが始まりです。間もなく坂上田村麻呂公の帰依を得て伽藍が整えられました。その頃、今日の奥州市一帯に蝦夷が強い勢力を誇り独自の文化を形成していました。これに対し大和朝廷は支配の浸透を図りましたが、惨憺たる大敗を喫しました。蝦夷には主将阿弖流為と副将母禮という立派なリーダーがいたのです。そこで桓武天皇は坂上田村麻呂公を征夷大将軍に任じ、帰順を申し入れ和睦しました。公は二人を伴い、朝廷に助命と登用を嘆願しましたが、許されず二人は処刑されました。
以来千二百年、この勇敢な二人は歴史から消えていました。それが会員の皆様や地元奥州市の人たちが二人の記念碑を建てたいと願い実現したのです。千二百年の時空を超えた鎮魂の碑、また復権の記念碑となりました。歴史は人々の息吹を吹き込んでこそ輝きが生まれるものです。建碑が契機となり阿弖流為と母禮に生気がよみがえり、教科書やテレビドラマに描かれるようになりました。そして東北の人たちと盛んな交流が生まれました。このような歴史的な寄与されました皆様の意識の高さに深甚の敬意を表したく存じます。
この六十周年を新しい出発点として、郷土の隆昌と関西との交流に寄与されますとともに、関西岩手県人会の益々の御隆盛を記念してお祝いの言葉とさせていただきます。     (事務局:和賀記)
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