関西アテルイ・モレの会からのお知らせ

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法要のご案内

2021-09-25 13:16:59 | 日記

例年よりご案内が遅れましたが、今年も例年に準じて法要を執り行います。(事務局:和賀記)

拝啓

今年の夏は1年遅れの東京オリンピック・パラリンピック2020開催で日本選手団が活躍する一方、

新型コロナのデルタ株が猛威を振るい新規感染者数が激増する中外出自粛を余儀なくされた方も多かったことと思います。

しかし9月も半ばとなりこの威力もさすがに勢いを失い、感染防止対策制限が緩和される見通しとなりましたので、

今年は例年に準じ下記次第にて慰霊供養の法要を執り行います。

ご友人をお誘いの上今年もお参り頂きますよう、ご案内申し上げます。

敬具

コロナ感染状況の推移を見たため、法要のご案内が遅くなりました。

              記

日時・場所    11月13日(土)、清水寺

1.特別拝観   午前9時半より 仁王門前集合

         大改装なった本堂内陣の見学(解説:学芸員坂井輝久先生)

2.法要     場所  阿弖流為・母禮之碑の前

(1)慰霊の笛  午前10時半より 笛師 森美和子

(2)法要      11時より

読経       森清範貫主様他出仕

焼香

記念撮影

3.法話と講演    12時より 「円通殿」にて

(1)法話    森清範貫主様より法話を頂戴致します

(2)講演     奥州市小沢市長様による「奥州市の魅力紹介」(ビデオ)

4.昼食会    午後1時より 寺務所「洗心洞」にて(三密回避にご協力を)

         席上、前記掲載の歌「北上川」と朗読「北上川風土記」をご披露します。

会費:五千円(講演終了後、円通殿廊下にて承ります)

5.注意

(1)新型コロナウイルス感染防止のため、マスクを着用願います。

(*)当日の天候により場所が変わる場合には門前にてご案内致します。

6.お知らせ

「関西アテルイ・モレの会」ホームページ内:お知らせブログに岩手県西和賀町出身の

片倉健十郎氏作詞の歌「北上川」と「北上川風土記」を掲載しています。

 

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歌「北上川」(作:片倉健十郎)

2021-09-20 10:59:26 | 日記

岩手県西和賀町出身の片倉健十郎(本名田中克利)さんの作品を紹介します。

CD『北上川』に収録された歌「北上川」と朗読「北上川風土記」から構成されています。

とうとうと流れる北上川の流れに、みちのくの歴史を重ねて歌われた素晴らしい歌曲です。(事務局:和賀記)

北上川(作詞:片倉健十郎、作曲:小野瀬晃一、歌:下坂龍志)

1.いくつもの 流れしたがえ

  一筋の 大河となりて みちのくの 大地つらぬく

  阿弖流為の騎馬軍団が 駆け上る 理想の国へ

  北上川よ 永遠なれと ・ ・ ・ ・

2.とうとうと 水は豊かに

  堂々と武士(もののふ)はゆく 穢れなき 人の心よ

  貞任の衣の館は ほころびて なお雅(みやび)なれ

  北上川よ 汝(な)れは語らず ・ ・ ・ ・

3.古代より 流れ変わらず

  水清く肥沃の大地 河招く 富と栄(さかえ)を

  清衡の浄土の都 金色の堂は かたみか

  北上川は 平和のしるし ・ ・ ・ ・

 

プロフィール

片倉健十郎 岩手県西和賀町出身

三和銀行員で定年を迎え、作家・作詞家として第二の人生

小野瀬晃一 北海道士別市出身

TBS後、音楽企画会社設立、CD出版多数

下坂龍志   大分県佐賀関町出身

         住友銀行、日本民謡「水曜会」代表、「熱唱望郷の歌」CD出版

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「北上川風土記」(作:片倉健十郎)

2021-09-20 10:43:57 | 日記

岩手県西和賀町出身の片倉健十郎(本名田中克利)さんの作品を紹介します。

CD『北上川』に収録された歌「北上川」と朗読「北上川風土記」から構成されています。

とうとうと流れる北上川の流れに、みちのくの歴史を重ねて書かれた素晴らしい文章です。(事務局:和賀記)

北上川風土記(片倉健十郎作)

 北上川は、岩手県全土をほぼ南北に縦断し、宮城県石巻市で太平洋にそそぐ大河です。

 岩手県は四国四県に匹敵する広大な面積を擁していますが、その大半は奥羽山脈や北上山地などの山岳地帯から成り立っており、平地は県中央の北上川流域に限られています。

 このような地形のために、北上川には、東西の山岳地を水源とする数多くの河川が流れ込んで、下流に向かうほど大河の様相を呈していくのです。

 この流域は、古くから肥沃の大地として恩恵をもたらせ、山岳地帯からは金が産出されたことに加えて、優秀な馬・駿馬が農耕用、軍用として盛んに飼育されたことなどから、中央の政治体制とは、一線を画する独立性の強い政治・経済・文化を築いて来ました。

 奈良時代から平安時代初期にかけては、原住民の統領だった阿弖流為を中心として、京の都より派遣された、征夷大将軍・坂上田村麻呂らと激しい戦いを繰り広げました。

 長い戦いの中で、互いに相手の人格に触れ、信頼関係が芽生えました。

 そこで、双方の密約が交わされ、互いの領土を侵略しないことを申し合わせた上で、阿弖流為は田村麻呂と共に京の都に入りました。

 ところが、田村麻呂の熱心な説得にもかかわらず、朝廷の貴族たちの反対にあい、あえなく、阿弖流為らは殺害されてしまい、だまし討ち同然の結果に終わってしまったのでした。

 今日、青森県最大のまつりとなっている、ねぶた祭りにおいて、阿弖流為と坂上田村麻呂は双方ともに、英雄として讃えられています。

 戦場において阿弖流為軍が奏でた笛太鼓にちなんだ調べがねぶた祭りではえもいわれぬ情緒を醸し出し、みちのくに生きる人々の心を酔わせるのです。

 

 次の時代は、安倍貞任を統領とする平安時代中期です。

 この時代もまた、京都、朝廷との戦いが続き、双方とも代替わりをはさんで、15年以上もの長い戦いとなりました。その中に有名な逸話として貞任と源義家:通称八幡太郎義家との衣川の戦いがあります。貞任を追い詰めた義家が、和歌の下の句を馬上より詠み上げます。

「衣の館はほころびにけり・・・」すると追い詰められた貞任が馬上より振り向いて、上の句を返します。「年を経し糸の乱れの苦しさに」見事な返し歌でした。

 義家は、貞任のあまりの教養の高さに驚き、追い打ちをかけるのをやめました。この武士の情けが、今も語り草となって伝わっています。

貞任はその後、厨川:現在の盛岡市に逃れましたが、結局はとらえられ、義家の父頼義に殺害されました。

 この戦いで勝利した八幡太郎義家は後に鎌倉幕府を開く源氏の祖となりました。

 

 この歌「北上川」で触れている最後の時代は、藤原清衡の時代です。

 清衡は平安時代後期の武将でこの三、四代後は鎌倉時代にかかります。即ち、朝廷を支える重臣が公家から武家へと変わろうという、変革の時代でした。

 清衡は、それまでの長い長い戦いの連続であった時代に思いをはせ、戦いのない世界を平泉の地に建設しようと立ち上がりました。

 中尊寺、毛越寺、金色堂などの建設を手始めに、京の街並みをしのぐ、まさに、この世の浄土とも言わしめる都市を実現させたのです。が、この代に平家を壇ノ浦に滅ぼした、源義経をかくまうことが、藤原氏滅亡の原因となりました。とはいえ、中央政権に対抗する歴史はここで終わりではなく、戦国時代を勝ち残った豊臣秀吉が、奥州の覇者伊達政宗を恭順させることに成功した天正18年(1590年)まで続くのであります。

 

 まさに東北は、わが国日本が国体を有する以前から2000年近く独立国であったのです。

 人間社会の栄枯盛衰の歴史とはかけ離れて、大自然は不滅であり、北上川はその歴史をつぶさに見てきたはずであります。

 しかし、川は何も語ることはありません。ただひたすらに、悠久の流れを変えることなく北上川は歳月の流れそのままにみちのくの大地を流れ続けているのであります。(完)

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