陸奥国で黄金が産出された西暦749年の年号は2度変わりました。
聖武帝の御代749年は「天平」21年として新年を迎えます。
百済王敬福が2月に陸奥国から産金したと朝廷に報告、
これを嘉して聖武帝は4月14日に「天平感宝」と改元します。
3カ月後の7月2日に聖武帝は阿倍内親王に譲位し、内親王改め
孝謙帝は「天平勝宝」と改元します。
一方、国史「続日本紀」では黄金の発見を「天平勝宝元年2月」と
記しており、この記述が元で歴史家の間でも、誤解が生じています。
(ちょっとした歴史秘話をご披露しました。
歴史家でもある松坂会長から教えて頂きました。) (事務局 和賀記)