アジアはでっかい子宮だと思う。

~牧野佳奈子の人生日記~

ふくしま01

2014-12-29 | 日本の旅

はじめて警戒区域の中に入った。

双葉郡、葛尾村。

かつて1500人ほどいた村民全てが車で1時間近くかかる三春町に避難しているため、今は誰も住んでいない。

 

正確にいうと「警戒区域」は既に解除されているのでもはや無く、「帰還困難区域」「移住制限区域」「避難指示解除準備区域」の大きく3つに分けられている。

漢字ばかりでややこしいので、それぞれA(帰還~)、B(移住~)、C(避難~)とすると、葛尾村は北東の一部地域がAとBで。その他75%ほどはCに指定されているらしい。

Cは年間20ミリシーベルト未満ということになっていて、除染が終われば順次帰ることが計画されている。大熊町、双葉町、浪江町はほとんどがAで、政府が不動産の買い上げを検討。飯館村や富岡町に多いBは、数年以内に20ミリシーベルトを下回ると考えられるので一時帰宅なら可能、らしい。

 

半年ほど前、東京の友人が「警戒区域の中、行けるなら行ってみたいよなぁ」と言った時、私は「行かない」と即答した。

率直に怖いと思ったし、行ったところでどうなの?という気がしていた。

だから今回も「うちさ行ってみっか?」と言われた時、「いいんですかぁ?」と誤摩化しながらも内心ではドキリとしていた。

 

でも、私が警戒していたその区域は、案外あっさりと道路の延長に現れ、何のへんてつもない普通の田舎町に続いていた。

検問があって白いビニールの服と帽子と長靴を装着させられるのかと思ったら、そんなの全然ない。

検問やバリケードがあるのはAの「帰還困難区域」で、そこまでに至らない村の中心部には、「特別警戒隊」と書かれたプレハブがあるだけだった。

 

案内してくれたMさんは元村議員で、本業は種牛の肥育だったという。立派な瓦屋根の家に、牛舎が2個3個と並ぶ 大きな敷地が小高い丘の上にあった。

 

村に入ってから線量計の値は0.2前後をさまよっていた。

Mさんに聞くと事故当初は2.0ほどあったというから、除染によって10分の1まで下がったことになる。

正直、除染なんて意味ないと思っていた私は、「ほぅ!」とビックリ。場所とやり方によってはかなりの効果が上がるらしい、と同行していたFさんが教えてくれた。

 

とはいえ、この辺りは、検問所はなくても自由な立ち入りは朝9時から夕方4時までと決められている。

驚くべきは、むしろ0.2という値は福島市内や郡山市内でもザラにあるということなんじゃないか?…と私は思った。

立ち入りを日中のみに制限するほどの線量下で、福島市や郡山市では何十万という人たちが日常生活を送っているんだから。(しかも市内のホットスポットと呼ばれるエリアでは、0.5~1.0の値が測定されるのももはや「日常」)

それって、どっちが危ないわけ…?

 

ところで葛尾村では、牛や馬の種付け業が盛んだったらしい。

繁殖用の牛や馬を育てて人工的にセックス(牛の場合は人工受精)をさせ、強くて丈夫なこどもを産ませて売る仕事。

村に行った日の前日、Mさんはその手腕を面白おかしく解説してくれ、酒を呑みながらひとしきり笑った。その後に原発事故後のことも話題となり、3月12日の爆発のニュースをどのように聞いたか、全村避難をどのようにしたか、4月中旬に一時帰宅した時の牛の様子、5月中旬に村中から270頭の牛を避難させた話など、まるでドラマを見ているかのようにパッパッと映像が思い描かれるほど生々しい話を聞かせてもらった。

ちなみに、避難させた牛を検査した結果は、牛舎飼いは汚染なし、牧場で放し飼いになっていた牛は全て白血病で殺処分になったそうだ。

 

 

葛尾村の人たちの帰還計画は、来年だったのが再来年に延期になったという。

線量は既に問題ないけれど、至る所に置き去りにされている除染土の撤去が進まないからだ。

Mさんは会話の中で、除染土のことを「魔物」と呼んでいた。

 

 

一度は警戒区域にまでなった土地に、戻るのが本当にいいのかどうか…と思っていたけれど、葛尾村に行って、Mさんの自宅に行って、そりゃ捨てきれんわなぁ…と率直に思うようになった。

 

いわき市の仲買人さんがおっしゃっていたことも、同時に頭をかすめた。

「最初は廃業しようという考えもあったんです。でも検査するうちに、これは大丈夫そうだぞと。親やおじいさんの代からずっとこの海のものを食べてきて、これだけの魚、無くしたくない。」

 

相馬で出会った若いママの言葉も思い出した。

「地元が嫌で県外に出て結婚したけど、今は故郷にいたくてしょうがないんよ。こういうのは、失いかけて初めて気づくのかも。」

 

だからといって帰還賛成!というわけではないけれど、なんとか帰って元の生活を取り戻そうとする人たちの気持ちや、帰還後の人口が減ってしまうことを心配する人たちの気持ちを、ないがしろにはできないなと思うようになったことは事実。

だってそこには以前と変わらない景色があって、手元の線量計も「大丈夫」と言ってるんだもの。

すっかりゴーストタウンと化しているのだろう「帰還困難区域」とは違う、心の揺らぎの苦しさを、私は車窓からぼんやり田畑を眺めながら想った。

 

私だったらどうしてるだろう…。

もしこれが30年後の自分に降り掛かってきた災難だとしたら。

 


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