アジアはでっかい子宮だと思う。

~牧野佳奈子の人生日記~

今福井。プチ不眠症アゲイン。

2008-11-18 | ~2012年たわごと
眠れないから、いろんなことを考えている。

おとといの夜は、こんなことを考えた。

「人」という字は、支え合っているんじゃなくて、一方が一方を支えているだけなんだ、と。

きっと「支え合う」関係なんて綺麗事で、どっちかが支えることで大抵の人間関係は成り立っている。特に夫婦間に関しては。

・・・別にそれでいいじゃんね。

きっとお互いの良い案配があるんだと思う。支えすぎず、支えられすぎず。
「人」という字だって、一方が大きすぎると倒れちゃうし、一方が小さすぎても倒れてしまう。

そんな感じ。


それで今現在は、子どもの休日の過ごし方について考えていたところ。

土日をどう過ごすと良いか?について。

振り返れば、私が子どもだった頃は(今も充分子どもの気分だけれど)、土日の記憶がほとんどない。
あぁ、そうか。あの頃は土曜日がまだ休日じゃなかった。

土曜日は「半ドン」といって、お昼前に学校が終わるのが妙に嬉しかったっけ。

それで半ドンの日には何人かの友達と幼稚園の母校に寄り道なんかして、ジャングルジムに上ったりブランコに乗ったり、たまにはその校庭にある一本の低い木に登ったりして時間を過ごした。

家でお昼ご飯を済ませた後は、近所の子の家に遊びに行って、ままごとをしたりジブリのアニメを見たりして過ごしたっけ。
その子の家のトイレでタンポンの箱を見つけたときは、そのパッケージの説明画にドキドキしたりなんかもした。その子のお母さんの顔を思い浮かべながら。

でも日曜日は何をしてたんだろう。

たまに母親に連れられて美術館に行ったり、夜にはコンサートに連れて行かれたり・・・。でもそういうのはあんまり楽しくはなかった。
そういえば夏休みか何かに家族で行った山登りも、名古屋かどこかへのドライブも、これといって楽しかった思い出にはなっていない。

私はせっかくの休日に、笑った記憶さえあまりない。


今の子どもたちは、2日間もの長い週末に一体何をして遊んでいるんだろう。
何か楽しいことがあるのかな。
もしくは私みたいに、あんまり笑うこともなく、あんまり記憶にも残らないような週末を過ごしているんだろうか。


東南アジアでよく目にする子どもたちは、本当に元気で、自分たちで楽しむ方法をよく知っているように見える。

遊びの達人。
子どもならではの、能力ともいえる。

親が構ってくれないせいで麻薬に走ったり非行に走ったりする子も多いと聞くけれど、一方では友達と遊ぶことで、唯一子どもなりの悲しみや苦しみを忘れらていれる子もたくさんいるという。

遊ぶことって、大事だよね。やっぱり。


毎週やってくる土日という休日が、子ども達にとって楽しい存在だったらいいけどな。
少なくとも、学校も嫌い、土日も嫌い、なんて寂しい気持ちにはなってほしくない。笑った記憶が、本当になくなってしまうから。


30歳を控えた微妙な年頃ってのは、いろんなことを考えるもんだな。

そして夜は更けていく。
窓の外では、じめっと湿った冷たい北陸の風が、たゆたゆと流れているんだろうな。