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「原発」で政界再編起きる・小沢一郎が「脱原発宣言」(AERA)

2011年06月05日 | 政治

「原発」で政界再編起きる・小沢一郎が「脱原発宣言」(AERA)

政局絡みの動きだが、政策的には確かに明確な対立軸。
菅政権揺さぶりのカードに過ぎないのか、「脱原発」連立政権へつながる道なのか。

「3・11」は、人々の意識を大きく変え、社会も大変化を遂げようとしている。
 政治の世界も例外ではないのかもしれない。
 民主党きっての政策通として知られる川内博史衆院議員は、東京・赤坂のチュリス赤坂7階にある事務所応接室のソファに座っていた。向かい合って座っていたのは、小沢一郎氏だ。
 3月25日午前11時過ぎ。福島原発事故を受けて、今後の原子力政策のすり合わせをしていた。水谷建設絡みの刑事裁判も抱え、昨年の代表選敗退後は水面下に潜ってはいても、小沢氏の考えは党内に依然、影響力を持つ。川内氏によると、小沢氏はこう語った。
 「原発はもう無理だ。今までは過渡的エネルギーとして仕方ないと考えてきたが、これからのエネルギー政策は根本的に変える必要がある」
 明確な脱原発宣言だった。戦後、原発建設を強力に推進し続けてきたのは自民党だった。その中枢にいた小沢氏の個人史にとっては大転換の宣言だろう。

「核燃サイクルも無理」

 小沢氏はこうも言葉を続けたという。
 「万一事故が起こった時は大変な被害を周囲に与えてしまうことが今回の事故で明確になったわけだから、これからは火力発電とか再生可能エネルギーとか、原発に頼らない、新しいエネルギー政策を構築しなければならない」
 「核燃料サイクルももう無理だ。最終処分場もないのに、高速増殖炉だの再処理工場だのというのは、そもそも不可能だ」
 以前から脱原発のエネルギー政策を考えていた川内氏にとっては、小沢氏の言葉に意外性は感じなかった。3・11以来の情勢下で論理的な思考をすれば、自ずとそうならざるを得ないからだ。
 まだ公式には発言していないが、小沢氏のこの脱原発宣言は今後の政界再編の構図に大きなインパクトを与える可能性が強い。
 3・11以前、小沢氏は自民党の有力者と人知れず結び、菅政権包囲網を築きつつあった。震災後に延命した菅政権に対して、衆院の内閣不信任案か参院の問責決議案が早ければ今週中にも提出される。小沢氏の「脱原発宣言」は、世論の動向を読んだという側面もあるだろうが、菅政権包囲網に新しい波を呼ぶことはまちがいない。

その名も「民自連」

 菅政権を包囲する党内の政治勢力は、小沢氏と、脱原発を志す若手、中堅議員たちの間で広がりを見せている。3・11以来の菅政権の事故処理問題を追及する自民党の動きとも連動している。
 「久しぶりに闘志がわくよ」
 と言うのは、自民党元総務相の菅義偉衆院議員。菅氏は、福島第一原発の事故発生後の経過から、菅政権の刻一刻の対応ぶりまでを独自に調べ上げた結果として、
 「こんな嘘つき首相は絶対に許せない」
 と語る。
 事故2日目の3月12日、1号機に対する海水注入については午後6時に菅首相の指示があった。同7時4分に東京電力は海水注入を始めたが、同25分に、官邸に詰めていた東電関係者の連絡で中断を決めた。実際には注水を続けていたのだが、官邸の東電筋はなぜ中断の連絡をしてきたのだろうか。
 「少なくとも私や(官邸で協議していた)メンバーが止めたことは全くない」
 菅首相はこう弁明したが、菅氏は、この時の官邸での会議メンバーや東電関係者らから事情を聞き真相に迫った。
 「こんな重要なことは、(対策本部の)本部長である首相でなければ中断の指示は出せない」真相はいまだわからないが、原発事故への菅政権の対応には、民主党内でも不信や批判が渦巻いているのは間違いない。
 5月17日、「国難対処のために行動する『民主・自民』中堅若手議員連合」(民自連)の初会合が国会内で聞かれた。民主党議員87人、自民党議員22人の計109人が参加。呼びかけ人は、民主党が、菅政権への批判を強めている樽床伸二衆院議員、自民党が菅氏だ。
 民自連の大きな目標はふたつ。国会延長と、国会の中に福島原発の事故調査委員会を設置することだ。政府から独立した事故調査委員会で、菅内閣の対応も含めた事故原因について徹底調査しようというものだ。
 菅内閣は5月24日、内閣官房に「事故調査・検証委員会」を設置したが、内閣からの独立性は文字通りゼロ。樽床氏や菅氏ら民自連はまるきり信用を置いていない。
 菅氏らは、政府から独立した事故調査委員会を議員立法することにしているが、その考えの根底には、菅政権の初動対応の問題を追及すると同時に、脱原発を目指すというエネルギー政策転換の目標がある。
 「エネルギー政策で今やるべきことは、第一に太陽光発電などの再生可能エネルギーの開発だ。こんなことを与野党の議員が一緒にやろうというんだから、大変なことでしょう」
 と菅氏。一方の樽床氏も。
 「原子力がエネルギーの中核を占めるということはもう無理でしょう。14基の新増設の計画は完全に凍結です。これからのエネルギーのポイントは蓄電池だ。夜間が問題と言われる太陽光発電の弱点をカバーできる」
 民自連には、自民党で「脱原発」を主張し続けている河野太郎衆院議員も参加している。近づく政界再編の際には、脱原発か、原発推進かという新しい座標軸の片方の中心勢力となることは間違いない。
 菅内閣は東日本大震災で延命した面が強い。3・11までの政界の構図は菅首相対小沢氏の対立の図式だった。しかし、原発事故以来、この図式に加えて、原発への姿勢が厳しく問われている。

推進派は「地下」で対抗

 原発推進派の議員も動き始めている。
 自民党の経済産業部会などが母体となった「エネルギー政策合同会議」の委員長には元経済産業相の甘利明衆院議員が就き、委員長代理には旧通産省(現経産省)出身の細田博之衆院議員が就任した。東電顧問の加納時男瓦参院議員が「参与」として加わっている。
 5月31日には「地下式原子力発電所政策推進議員連盟」(地下原発議連)が発足する。会長にはたちあがれ日本の平沼赳夫氏が就き、顧問には羽田孜、森喜朗、安倍音三、鳩山由紀夫各氏という歴代首相。さらに自民党総裁の谷垣禎一、国民新党代表の亀井静香、民主党の石井一、渡部恒三各氏が参加する。
 地下原発というのは耳慣れない言葉だが、事務局長の山本拓衆院議員によれば、1980年
代、90年代に電力会社とともに取り組んだ。その後忘れ去られていたが、地上の原発より安全
性が高いという。

初めて政策の対立軸に

 3・11以降、山本氏の事務所
の電話がひっきりなしに鳴った。山本氏は91年に『地下原発』と
いう本を出版したが、福島原発の事故でこの本のインターネットなどでの検索件数が急増した・全国の原発推進論者が、「安全」への拠り所を求めて地下原発にたどり着いたと見られる。
 「今の状態で原発をやめようというのは当然の流れだが、産業用はやはり原子力に頼らざるをえないのではないか」
 と山本氏。参加する「大物」議員たちは政治的な意味合いで集まったわけではなく、もともと90年代に自民党内で始まった勉強会に参加していた議員たちが中心だという。
 「原子力政策」という新たな座標軸。政策的な違いが不明確で常に迷走気味だった政界再編の動きの中で、初めて具体的で大きな政策の対立軸になる。
 その場合、原発事故が現状のまま推移すると、脱原発を志す議員の方が勢力を強める可能性が高い。自民党の人気者、小泉進次郎衆院議員も、同党の原発推進の歴史について反省を追っている。
 民主党内の有力労組、電力総連の方針や、経産省の政策誘導に引きずられて政権発足以来一貫して原発推進を導いてきた菅政権は、この大きなうねりの中で、消滅寸前だ。


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