2009年の政権交代の最大の意義は、子供手当てとか農家の個別補償とかではなく、
日本の真の独立に向けた一歩が始まったことである。
僕はこれを断言する。それを実現できるのは、小沢一郎であり、小沢一郎なくして、
これを成し遂げることはできない。これも断言する。
思えば、1990年代から2010年代まで小沢一郎がこの国の政治を与野党どこに在籍するに
関わらずリードしてきた。小沢一郎抜きにはここ30年の日本政治は語ることは出来ない。
小沢一郎が守備一環して主張してきたことは、政治家主導政治の実現と官僚政治からの
脱却である。
しかし、これは、オブラートに包んだ言葉である。
真の目的は、日本を独立させることである。それはどういうことなのかについて触れてみたい。
皆さんもよくご存知の通り、この国の中枢は、米国に支配されたまま現在に至る。例えば、日本人のお金について。
日本銀行の大株主は誰か?何故、日経225先物相場がシカゴで取引されているのか?しかもドル建てでなぜ取引されるのか?日本の株価は外人が決めている。これが事実なのだ。
郵政民営化は何を目的としたものだったのか?
我々は、日本の仕組みがどうなっているのか?これまでどういう政治が行われてきたのか?を知れば知るほど、日本の富が失われる仕組み(カラクリ)が至るところに仕掛けられていることを知る。
このカラクリは、周到に用意されたものであり、これを是正するのは、今からパチンコを禁止すること以上にパワーのいる仕事である。
また、金融だけではない。官僚組織もそうである。
多くの国民は、官僚の親玉は財務省だと思っている。それは半分当たっているが実はそうではない。
検察、裁判所を中心とした司法官僚が日本の権力の中枢である。
2009年3月の大久保秘書の逮捕、そして、2010年1月の石川代議士と秘書の逮捕劇を見て、
僕は背筋の凍るような思いをした。
とうとう検察vs小沢一郎の最終決戦が始まった。そして、今回でそれが終焉を迎えようとしている。
このとき、マスコミは真実を報道しなかった。検察の垂れ流す情報をそのまま「関係者の話」として朝から晩までそのまま垂れ流した。
政治リーダーが選挙ではなく、司法官僚に生死を決められることがいかに恐ろしいことか、皆さんにももう一度考えて頂きたい。
このままでよいのか?このように、政治が選挙ではなく、第4の権力であるマスコミと司法官僚にその生死が委ねられていることは、日本にとって不幸以外の何者でもない。
僕は、権力とはいかなるものかをよく知っているつもりだ。煎じ詰めれば暴力の独占である。司法というのは国家の暴力を差配するところである。
ここに民主主義などない。刑事裁判を受けた人ならそれはよ~く知っている。
日本が官僚社会主義国家から脱却するためには、今回の執拗な司法官僚による暴力には必ず勝利する必要がある。
本当は、東京地検特捜部など要らないのである。
日本は、金融、軍事、外交とも依然、米国の支配下にある。
そして中央官僚は、その支配の下で自らは安全な身を保障されながら常に、目障りな人間を血祭りに挙げるのである。
それを超克できるか、否かそれが今、問われている。
政治家だけが政治を動かしているのではない。日本を動かしているのではない。
今、生きているわれわれが日本を動かしているのだ!
我々は、後世に日本を引き継がなければならない。
これ以上堕落しては駄目だ!!
僭越ながら僕は、小沢先生にエールを送りたい。
立て!すべてを棄てて立て!
日本の真の独立に向けて立ち上がれ!