丸一日かけて,民事裁判の前期修習(昨年6月まで)の復習をしてみました。
そしたら,今わからないところはだいたい前期修習で触れていました。
いかに前期修習が消化不良に終わっていたかということの証左です。
一方で,前期修習でやるべきことはきちんとこなし,実務修習ではそれを前提として,さらなるステップアップを図っている修習生もいます。
そういう修習生との格差を日々思い知らされていますが,その格差を才能の差といって,努力することをやめてしまえば簡単です。
確かに,努力で格差は克服できないかもしれません。
しかし,努力して一定のものを身につけられたときはその達成感があり,また,その身につけたものでまた新たな世界が広がり,希望が見えてきます。
格差は格差で,それはそれで置いておいて,自分が幸せになるための最低限の努力は尽くさないと,もったいない感じもします。
ただ,努力にも限界があります。それに,自分が楽しく感じなければ努力もつらいだけで終わってしまいます。
そうなると,結局,自分にとって何が幸せかを見極めることが重要になってきます。
まあ,若いうちは,情報社会とあいまって,なかなかそこらへんの見極めが難しいので,空回りしたりするんですけどね
そしたら,今わからないところはだいたい前期修習で触れていました。
いかに前期修習が消化不良に終わっていたかということの証左です。
一方で,前期修習でやるべきことはきちんとこなし,実務修習ではそれを前提として,さらなるステップアップを図っている修習生もいます。
そういう修習生との格差を日々思い知らされていますが,その格差を才能の差といって,努力することをやめてしまえば簡単です。
確かに,努力で格差は克服できないかもしれません。
しかし,努力して一定のものを身につけられたときはその達成感があり,また,その身につけたものでまた新たな世界が広がり,希望が見えてきます。
格差は格差で,それはそれで置いておいて,自分が幸せになるための最低限の努力は尽くさないと,もったいない感じもします。
ただ,努力にも限界があります。それに,自分が楽しく感じなければ努力もつらいだけで終わってしまいます。
そうなると,結局,自分にとって何が幸せかを見極めることが重要になってきます。
まあ,若いうちは,情報社会とあいまって,なかなかそこらへんの見極めが難しいので,空回りしたりするんですけどね