独白

全くの独白

人間という不完全なもの

2017-01-20 14:21:19 | 日記
最近こんな事があった。
ある町で本庁舎から少し離れた場所に分庁舎を建てる事に成った。そこには議会を移す事に成り、議会と執行部との間の一体感を保持し、往き来する議員らの身の安全を保障する為に、専用の通路を作る事にした。地中でもなく地上でもない空中に作ると、一旦決まったが、景観上などの観点から芳しく無いとの指摘があって、空中の通路は作らない事に成り、それに伴って議会の移動自体も取り止められた。分庁舎には他の部門が移る事に成ったがその際、空中が駄目なら安上がりに地上の通路はどうか?という話に改めて成った。するとある議員が「議会移転が無いなら通路など問題にもならない」と言ったらしい。
どんな部署であろうと本庁舎との懸隔は少ない方が良いに決まっている。安全保障面でも、普通の職員なら急用があれば走る事もあろうが、議員の走る姿は選挙中ででも無ければ見られまい。詰まり専用通路は議員より寧ろ普通の職員の為にこそ必要な物と思われる。にも拘らず専用通路の必要性を言下に否定した処には、此の議員の優越感が端無くも垣間見られる。そして七億も八億も掛かる空中通路は、議員だけの為に計画されたという事になる。此の議員が特に鼻持ちならない人であった訳ではない。議会にあれば回りの誰もが選ばれし者達である。人に依り強弱はあれ、優越感や特権階級意識のようなものが下意識には潜在していよう。そんな場で日々を過ごすうちに、それらのものの醸し出す空気は、鼻から皮膚から沁み込んで正常な神経を麻痺させ、軈て誰もがその空気を自然なものと感じるように成ってしまうのも無理はない。恰もアルコールで快適に酔った時に、余りの心地良さにそれが通常の状態であるかのように錯覚して「酔ってない、酔ってない」等と言ったり、極自然に運転して帰ろうとする様にである。
大臣等でも、内輪の会合の心算で叩いた軽口が外に洩れて騒ぎに成る事が有る様に、どんな社会や集団にも、その場特有の文化、秩序、正義等といったものが在る。誰しもその場に身を置く様に成って暫くすると、最初は客観視出来ていた、その人を包み込むそれら特有な事物はその人自身に染み付き馴染んでしまう事に拠って、それ等への意識も下意識に潜り込み沈殿してしまって見えなくなるのは、電通などにも見られる通りである。
斯々る事態は、大人が幼い頃を思い出す時に感じる限界に似ている。事実を思い出す事ができるに過ぎず、その事実を巡る自身の内面の在りようを皮膚感覚的に如実に思い浮かべる事は決してできない。多分、下意識に沈殿して居るのであろう、何でも無い時にフッと意識に上って来てすぐ又隠れてしまい、どう足搔いても引き戻す事が出来ないという経験は、誰にもあろう。皮膚感覚については、逆方向が解り易い。私なども多くの人同様、若い頃は年金のネの字に就いても考えてみもしなかった。あの頃は、今程年金というものに切実な親近感を持っていなかったのは間違いない。事程然様にあの頃今の皮膚感覚を、仮に持ってみようと思っても出来はしなかったろう。
又私は気質的にヴァガボンドである。今の地に住み着いて四半世紀、飽きは来ているが諸事情があり、流石に面倒でもあって引っ越す訳にも行かない。見慣れた此の地を、旅人の意識で見る事が出来れば新鮮で佳かろうと思うが、記憶をすっかり消し去りでもしない限り叶わぬ夢でしかない。
これを要するに人間なんて吾人が思う程、正しくも賢くも、決してありはしないものなのである。