独白

全くの独白

李下の冠、瓜田の履

2017-09-30 20:13:39 | 日記
7月25日の集中審議で安倍さんが
「李下に冠を正さずと言われるのに、説明不足で云々」と、ちょっとずれたような言葉の使い方をして、直後に共産党の小池さんから、それとなく突っ込みを入れられていたが、当人は気付いていない様に見えた。
この語句は確か、中学校の漢文辺りで教わるので、安倍さん程の人が勘違いして覚えているとは思われない。
「説明不足云々」の前に「疑われるような事をしてしまった上に、その事に就いて」のような語句を入れ忘れたために生じたずれであろう。
そそっかしい上に反省下手な安倍さんに代わって、ちょっと反省してみる。
総理大臣などという職に就く以上はそれなりの覚悟が要る。何でも事業を営んでいる人との付き合いがあると、痛くない腹も探られがちであり、絶交してしまうのが最上の策である。
併しそれでは薄情との誹りを受ける。立場や地位が変わったからと云って、いきなり掌を返したように扱われたのでは、私等でも好い気はしない。
況して安倍さんのように陣頭に立って指揮を執りたがる、いわば寂しがり屋には求めるべくもない。
そこで次善の策は例えば、首相の周辺の役所へ、知人が知人であると告げて、尋ねて来たとする。対応する方は、ぞんざいには扱わないのが当然である。
場合に因っては「首相にお会いに成って行かれますか?」位の挨拶もしよう。而して会わずに帰った場合には、その報告が首相に齎される事であろう。その時こういうのである。
「御苦労様。今後は私が会うから宜しく」。そして会った時には、一切仕事の話をしないで帰す。更に録音等何らかの記録が出来れば万全で、後々疑われる事に成る余地は無い。
而して当人の斯様な姿勢が浸透すれば、不在の際も遠い部署でも、不要の忖度の介在する事は無くなって行く事であろう。それでも忖度が有れば、した者が責められるべきである。
そそっかしい安倍さんは、斯様な慎重さを欠いて居た為に、両学園問題で李下に冠を正してしまった。
更に稲田問題では瓜田にも履を納れてしまった為に、一時は大いに吾人の不興を買う事に成った。
あの庇い様は、何か弱味を握られて居るのではないか等という、下種の勘繰りをするなと言うのが無理である。
併し兎に角、最終的に辞めて貰ったのは不幸中の幸いであった。そもそも女性を崇拝する私としては、眼鏡の似合う稲田さんも魅力的で寧ろ好きである。
併し今の時勢で彼女に防衛相は、不適材不適所の最たるものである。歴としたタカ派の彼女の事、軽い気持ちで戦争を始め兼ねない。
そして勝てばまだしも、負けた時の責任の取り方は、日報問題の結末から類推される。

小池さんの離れ業

2017-09-28 14:30:44 | 日記
こんな時点で新党を立て上げて、立候補者をどうやって揃える心算なのであろうと、誰もが思ったろう。
そこに前原さんの衝撃的発表である。
思えば二人の間では、事前に話が付いて居たのであろう。
民進党からの横辷りというこの離れ業で、希望の党の立候補者調達はかなり楽に成った筈であり客観的には、してやられた感じである。確かにこうした小池さんの遣り方は斬新で爽快で、私等も嫌いではない。
併し政策面は好きではない。希望の党は、野党とは云っても政権に与かって居ないというだけであって、内実は殆ど(現発ゼロ等という例外はあるが)閣外(今の所国会外でさえある)与党である。
自身の云う様に保守政党であって、民進党内左派からの横辷りは断固拒否する構えである。
彼女の云う「しがらみからの脱却」は、既得権益の剝奪であろう。それは諸刃の剣であり、立場の弱い年金や生活保護の現在の受給者への給付等も、減額されるかも知れない。
又選挙後のほとぼりの覚めた頃、「自民」と「希望」のどちらかが相手を吸収合併して、彼女が党首に成るという事も在り得る。
詰まり安倍さんと云うタカ派を見事に退かせたように見せておいて、超タカ派が政権を執るという構図である。
而も勢力は圧倒的に成っている訳であり、愈々大政翼賛会を髣髴とさせる事態が、出来する訳である。
そもそも女性はサッチャーさん等に見られる様に好戦的で、朴・クネさん等に見られるように強硬である。
国内の議員や評論家の中にも、華やかに活動する多くの鷹派の女性が居る、稲田さん、高市さん、桜井さん等、枚挙に暇が無い。
実力に依る闘争を、どこか絵空事のように捉え、男性程如実に考えないからであろうか、逆に火や戦闘等の激しいものに、実は男性以上に惹かれるからなのであろうか。
いずれにせよ、トランプさんと結託して金さんと戦争でも始められたら、笑い事では済まない。

長い目で見れば・・。

2017-09-23 22:24:32 | 日記
解散の無い参議院と違って代議士は、任期を全うしないのが寧ろ当然と見られる風潮である事が、今迄不可解であった。
最近の解散風に、無関係の私づれも吹かれてみた御蔭で、漸く解った。
要するに、任期満了の時に首相を取り巻く状況が、彼にとって有利なものであれば良いが、そんな保証は勿論無いので、
有利な時を見計らって解散権を使って選挙をすれば、返り咲きし易かろうと、首相になった誰もが考えるのが理由らしい。
詰まりたいした理由も無いのに或程度の月日が経つと、解散の時期を虎視眈々と窺い始めるのは首相の我が儘という事に成るが、
認められている権利を使って悪い事もあるまい。
併しその伝家の宝刀を敢えて抜かない事で、男を上げる事も出来るかも知れない。
パーソナリティは複雑怪奇で御し難いが、シンタリティは存外単純である。
今のような幾分きな臭い時に、国の保安の為に我が儘を殺して任期を全うすれば、
国民のシンタリティは意気に感じて、そのストイシズムと利他心を賞賛する、当然支持率は上がるという事に成るかも知れない。

慌しい朝に、日本を振り回すミサイル等

2017-09-15 21:32:18 | 日記
今日も北朝鮮はミサイルを撃ち、安倍さんは憮然として官邸の玄関を入った。
TVに映るその姿は、今ではもう見飽きたものに成ってしまった。
先日などはあの菅さんが、これも首相官邸の車寄せ辺りであったと思うが、走って玄関に飛び込んで行った。
北朝鮮に振り回されての空騒ぎであり、気の毒千万である。胸中を察するに、無力感に打ち拉がれても居る事であろう。
而も彼らはエリート、打たれ弱いに違いない。
慣れていない挫折に負けて、引き籠りなどに陥ってしまわないように、彼ら自身と吾人国民の為に祈る事位しか私には出来ない。
「学校に爆弾を仕掛けた」等という脅迫と同じで、何も起こるまいとは思っても、万一何か在ったらと思えば、一応の対処はしなければならない訳である。
吾人も付き合いを余儀なくされ、Jアラートとやらに振り回されて、多忙な朝からあたふたさせられている訳である。
併しこの空騒ぎには、自繩自縛の面もある。
一見北朝鮮一国に振り回されている様でも、実は背後に核兵器を持っていたり、持って居なくとも他国のそれに依存していたりする凡ての国がある。
その一員である吾人にとっては挑発に見えても、又遣り方は非常識此の上なくとも、北朝鮮にとっては彼等自身の言うように、只自国の防衛力を淡々と整備する途上の一行程に過ぎないのかも知れない。
北朝鮮も一時は、どこの国も核兵器を持たないならば自国も持たないと言っていた事が在る様に覚えているし、同じく後発の、インド、パキスタンなどもそのような事を言って、非保有への説得を拒んだらしい。
矢張りこの騒動に終止符を打つには、誰も核兵器を持たず、誰もそれに頼らない、頼る事が出来ない状況を、出来させるしか無いのである。
ある評論家が、「どこも持っていない時には、只一発でも持てば世界最強になれる」と言っていた。
又「核兵器は、使う為ではなく、どこにもそれを使わせない為にある」と言う評論家も居た。
確かにこれらは、核兵器の魔力と魅力を、端的に言い表わしている。
併し現実には、他国が百持っている時に、百一発を持てばその時点では世界最強なのであればこそ、冷戦時代の東側と西側は、競って数を増やして来たのである。
又間違いや見込み違いは良くある事で、持って居れば使われる蓋然性は決して零では在り得ない。
核兵器の悪魔的脅威に打ち克つ為には、矢張り神的共感に基づく廃絶を、何が何でも実現するしか無い。
これだけ増えてしまった今となっては「逆戻りなど出来ない」と言うのは、その困難さを見通した上での怠慢をそう表現したくない下意識の持ち主の、半ば故意に因る言い間違いに過ぎない。
核兵器の解体や廃棄など、原発の廃炉に比べれば、遥かに容易であるように、素人目には見える。
遣り方も、互いに一部ずつ減らしていって、最後に一斉に廃棄すれば良かろう。
人力で少しずつ増やしてきた物を、少しずつ減らして行けない訳は無い。
今では宇宙からでも何でも、互いに監視できるのであり、銃や戦車等ほど容易く隠す事も出来まい。
何より「出来ない」の一言で片付けられるべき問題ではない筈である。
こんな事を繰り返させている内には、事故でであれ故意に因ってであれ、本当に落ちて来る日が来るに違いない。
因に私等も、核の傘に隠れたがる様な所も、そういう状態に甘んじて解脱の努力を怠りたがる様な所もある。
定年退職した時に、車を手放そうと考えてみた。理由の一つに、運転さえしなければ、車で人に害を及ぼす事は決して無いと言うのがあった。併し幾ら何でも地方では非現実的であるとの、家族の反対があったのを良い事に踏み止まって、偶にではあるが今も乗っている。
便利さと言う車の魅力に負けて、危険から目を逸らしているのである。
併し愈々衰えて、危険が現実的に成って来たら、改めて考えなければならないのは当然である。
核兵器と世界とに就いては、今がその時と言って良かろう。


外交と内政(北朝鮮の)

2017-09-06 21:10:13 | 日記
狂人が刃物を手にして暴れていたら、制圧しなければならない。その為には刃物に勝る武器が必要である。
核兵器には核兵器が必要かも知れない。併し制圧は法に則って行なわれなければ成るまい。
法治国家には法が在り、それに則って警察がその任に当たる。
ところが今も昔も世界という場には、それらに似て非なるものが在るに過ぎない。
歴然とした法が無い以上誰にも、それに則ってどこかの国を断罪する事も出来はしない。
「米国は世界の警察」と言われていた事もあるが、主には自認していたに過ぎず、世界中がそう認めていた訳ではない。
正義は一つかも知れないが現実には様々に解釈されている。
吾人にとって噴飯ものでしか無いような事を、北朝鮮の「人民」は画面上で喚いている。
嚇されてか騙されてか、教育に依ってか解らないので客観的には、額面通り受け取るしかない。
嘗ての吾人が同様の経過を辿って、信念をもって「鬼畜米英」などと喚き散らすように成ってしまっていた光景と重なる。
敗戦に依るコペルニクス的転回を経験する前の吾人の殆どは、あの戦争の正しさを疑う事等なかった。
威勢よく国際連盟の席を蹴った松岡洋右の姿に、誰もが快哉を叫んだのである。
盗人にさえ三分の理は在る、盗人ならざる当時の吾人には、吾人の信ずるに足る十分な理と正義が在ったので、他国の誰の言葉にも、耳を傾ける余地は無かったのである。
「勝てば官軍」、敗者の事情は葬り去られるのが世の恒である。
敗者や少数者である事は、不正義や不合理の証左に成り得ず、勝者や多数派である事も又、自らの正義や合理性を保証し得ない。
斯様な事共は昔も今も変わらない。
現に五大国の中の二、三カ国もが得体の知れない処を抱えている。今日もプーチン氏が、「北朝鮮は草を食べてでも、核を諦めまい、話し合うべし」と言っていた。
似た所があって理解し合って居るのかも知れない。
要するに、核兵器の事と人権抑圧などの内政に関する事は分けて考えるのが良かろうと思うのであり、
何事に於いても混淆は、問題をより複雑にしてしまう要素であると云って良かろう。
而して核兵器は、どこからどう考えても、地上から廃絶すべきものでしか在り得ない。
それを所有し管理する領袖が、残虐で狂った独裁者であるか、公正な賢者であるかは、無関係である。
そもそも核兵器は賢人に相応しいものではない。寧ろそれを肯定するものを否定するものである。
聖人君子も核兵器を肯定したり所有したりするようになってしまったその時、その事は同時に
彼自身の来し方を裏切り、彼の聖人君子である事を否定し、彼の堕落を露呈するものである事を免れまい。