独白

全くの独白

自転車で前転(紙一重である生死の③)

2017-01-19 15:28:29 | 日記
昨夏にはこんな目にも遭った。自転車で長い急坂を下っていた。S字のカーブがあり、まず左へ曲がった。帽子はオージー・ハットで鉢の両側に三つずつ穴が開けられている。私はその穴に太い釣り糸(透明で目立たないので)を通して顎で縛って飛ばないようにしている。かなりの風でも飛ばないが急坂の向かい風は暴風のように暴力的で、ちょっと糸が緩んでいると、よく脱げてしまう。この時もそうで、手をハンドルから離したくないのは無論だが、糸の御蔭で飛びはしないものの脱げてしまったものを被りなおすのは意外に面倒であり、第一止まらなければならないので、つい手で押さえてしまう。続いて右カーブ、又脱げそうになり手で押さえる。ところがだんだん速度が増してくる所為もあり曲がれない。もっと思い切って体を倒そうとするところへ、片側一車線の道を対向車が来る。下手をすると曲がり過ぎてしまうかも知れず車に突っ込んでは却ってまずい。思うが早いか自転車は道を逸れつつある。溝があり、幅は普通でも深さがある。
瞬時に想像する。タイヤは溝に落ち左手は地上に、だが右手は溝の真上で空を切る、受け身はできず溝の縁のコンクリートの部分で頭を割るか首を折るか、いずれにせよ悪くすれば随意に動けない体になる、とんでもない不孝をする事に成ってしまうのか。併しスピードが諸刃の剣、わが愛車モーグは、スンナリ溝を渡ってくれた。だが一難去って又一難、左から小路が合流している。一停の標識はあっても越えて出てくる者は多い。権利義務を云々する前に取り敢えず私の方が痛い目を見るに違いないし、モーグとともに二度と動けぬ体に成ってしまうかも知れない。これも不思議と瞬時にそう思ったのである。
なんとしても止まらなければならない。私は右利き、右手は矢張りハンドルに、左手が帽子にある。私はこういう事もあろうかと常々自身に言い聞かせている。「絶対に右のレバーを先に握るなよ、右は前輪、つんのめるのは火を見るより明らかだからな」併し咄嗟の場合手は思い出してくれない、握ってしまったらしく私とモーグは共に前転していた。急いで散乱したものを拾い集め人目を避けて小路に入った。幸い土の上でありモーグにも私にも傷一つない。背に泥のこびりついたシャツだけは脱ぎ、淡々と又走り出した。異音も聞こえず安堵と共に家に帰り着き、いつものようにまず腕時計を外そうとすると無い!途中で時間を見ようとしなかったのは幸いであった。無い事に気付けば私の気質としては、遠く迄来てしまっていても捜しに戻ったに違いない。通常サイクリングのコースは毎回変えるのであるが、この時は二三日して又同じところへ出掛けた。見えにくい草葉の陰で、半分埋まって居たが見付ける事が出来た。案の定かなりの力が加わったようで、ベルトが切れていたがかなり前に買って無駄だったかと思っていた予備があり、十分程で交換する事ができた。詰まりこの時も被害は着古したシャツ一枚+αで済んでしまった。私のような者でも死んだりしていれば少しは騒ぎに成って居たろうが一歩ずれて生き延びてしまったが故に、こんな事は誰も知らない。他人にとっても私自身にとっても極些細な事でしかない。こんな経験をするたびに、人生は一見安全な氷を踏んで渉っている様なものであり、生死が紙一重の所にあるとの実感が深まる。
因に、爾来下り坂でハンドルから手を離した事は無い。