独白

全くの独白

「具体的」と「具体」の違い

2018-01-08 14:14:40 | 日記
後れ馳せ乍ら、今年も宜しく御願いします。
生来内臓が弱い上に糖尿なので、飲むと云う程飲みもしないのですが、疲れて例年通りの寝正月でした。
今朝漸く、今年初の徒走(かちばしり)で、海辺へと行って来ました。
いつもそうですが、競争する訳では無いので、その間雑念が無くなり、考え事をするのに良いのです。
併し物は考えて居ても、速度は維持している心算なのに、時間の掛かってしまうのは妙な現象です。

ところでうちの知事は、普通なら例えば「具体的な検討」と言う所を「具体の検討」と言う。
多分書くにも話すにも、二文字で住む処に三文字を使うのは無駄だと、誰も思わないなら自身が実践に依って教えて遣ろうと言うような思いで居るのであろう。
こういう合理的独自性の発揮へのこだわりや、言葉へのこだわり、就中この二つの結合、詰まり自身特有の合理的言表の使用への志向は私も持っているので、知事の「具体」の使用には、好感を持っている。
が同時に違和感も持っていた。
そこで今日は、新春を言祝ぎこれに就いて考えてみると、矢張り多少違うようである。
二文字で済む処を三文字使うには矢張り、それなりの訳があったのである。
「具体の検討」と云うと相手は、「『具体』そのものの検討」詰まりその語意を含んだ「具体」という事象に属するさまざまな事物に就いての検討という、
煩瑣極まる難問を思い浮かべてしまう蓋然性がある。併し真意は、「抽象的ではない遣り方での検討」であり、「具体的な」は「検討」を形容する脇役に過ぎないのである。
では例えば、「具体の行動」と「具体的な行動」との間にも違いはあるのであろうか。
結論は、「ある」ようである。
格助詞「の」には数多の意味があり、例えば「で在る」との意味もある。「具体の行動」と云うと相手は、「『具体』である行動」と解釈してしまう蓋然性もあるのである。
而して例えば「併し『具体』は『行動』と同一ではない、
するとこの『の』は、『受ける語の属性概念を抽出して下の体言を修飾』している訳か」等と不要の迂回をして漸く「具体的な行動」と言う真意に辿り着く事になる。
「急がば回れ」、端(はな)から三文字を使って「具体的な」と云ってしまった方が良いらしい。
 併しこのアプローチは、今一つスッキリしない。
格助詞「の」から取り付いたのが悪かったらしい。
今度は意味から始めてみる。
例えば「戦闘の中止」を言い換えると「戦闘を中止する事」となろう。
然れば「具体の検討」は「具体を検討する事」、「具体の行動」は「具体を行動する事」となる。
「具体を検討する」は上述の通りの意味になろうが、「具体を行動する」は然程意味が摑み易くは無い。
「具体を検討する」も「戦闘を中止する」程には、意味を摑み易くないのは、両言表の内容が、より抽象的であるか、より具象的であるかに依っているのみで、この論考の中では副次的因子であるに過ぎない。
「具体を行動する」の意味が両者とは格段の差で、摑み難い第一義の理由は、使われている動詞の種類の差異であって、両者が他動詞であるのに対して、「行動する」は自動詞である事がそれである。
詰まり、「行動する」に目的語「具体を」を添える事は、本来出来ないのである。
尤も、言葉はゲルに似て甚だ捉え処が無く、それを使う上でロケーション等の忖度を強いられる事が多い。
逆に又、不完全であったり間違って居たりする言表であっても、忖度によって通用し得る事に為る局面も多いものである。
「具体を行動する」にしても、「具体を行動して見せる」と忖度して解釈する事は在り得る。
「見せる」は他動詞であるが故である。
因みに、ここでも先に述べたように、「具体」が抽象的極まる事象である事は、問題にならない。
具体的事物を行動によって示して見せさえすれば、相手が忖度と連想に依って妥当な解釈をしてくれよう。
 いずれにせよ、「〇〇的ⅩⅩ」と「〇〇のⅩⅩ」とが別物であると言う事は矢張り、云わざるを得ないようである。
めでたし、めでたし。