独白

全くの独白

打って滅びるか、打たずして滅びるか、それが問題だ

2021-06-22 22:19:43 | 日記

新型コロナワクチンを、母は早く打ちたいと云うので、受け付けが始まって3日目に、電話で申し込んだ。5月の確か早い時期であったが、「ワクチン・・・」と云うや否や、「6月23日の午後に、一人分だけ空いてます」と高飛車に言われ心中むっとしたが、需給というものを顧みて恐縮しながら御願いした。一旦は打たないと決めた私の心も揺れ始めた。相談の上打たない事にした母の、舌の根の乾かぬ内の変心の所為である。私だけが罹患して、逆縁になっても困る。入院するだけでも母は困る。罹患した私から母に移っても剣呑である。高齢で糖尿病の私と高血圧の母の二人揃って打って戴くのが、矢張り安全かも知れない。併し罹患しての後遺症も怖いが、少量と雖も毒を体内に注入するのも気は進まない。

抑薬でもワクチンでも、殊にわが国では、5年も10年も掛かって漸く承認される在りようが、顰蹙を買って居るとの印象がある。それなのにこのワクチンに限って半年や一年で、東洋での治験の殆ど無いにも拘らず、承認されてしまった。第一輸入先の外国で、開発に掛けられた期間が固より短過ぎる。あまり長期間掛けるのもどうかと思うが、短期間に過ぎるのも如何わしい。更には、慎重過ぎる従来の態様を、一顧だにしない、詰まりは自己への裏切りを何とも思わない不実な者の決定なので、輪を掛けて信じられない。

尤も私等にも名案は無い。緊急避難の為の、是非も無い適応外使用だと言われれば、敢えて異を唱える心算も無い。併し問題はここにこそある。緊急避難とか非常事態と云う言葉は、心を戦かせ、思考を停止させる。

為体の知れない病気を厭わない者は居らず、其の蔓延防止にワクチンを使おうとしない為政者は、例外的にしか居ない。世界中で猫も釈子もがワクチンに群がり、而も其の事は肯定されて、軈て世界的全体主義になりつつある。

政治的にも経済的にも厚生上でも何でも、全体主義というものには胡乱な匂いが付き纏う。社会を離れては存在し得ぬ人間存在の弱味に付け込み、流れに乗り又自ら湧き起こり、人心を統べ個々の思考を停止させる力を持つように思われるのである。

結果としてこの新型ワクチンも、新型ウィールスに成り代わって、全世界を席捲する事に為ろう。この新型ウィールス用ワクチンは、インフルエンザワクチンの様に、毎年のように打つ必要があるとの説と、持続性があり、一度(無論主な現状は2回)で済むという説とがある。前者が当たっているならば、面倒な代わりに後腐れは無い。に対して後者を唱える学者の中には、これは従来無いタイプのワクチンで在り、体内で際限無く増殖を繰り返し、変異もし得るばかりか、体外に出て感染源になって仕舞う蓋然性迄大きく在るという人さえ居る。

終生免疫の得られるワクチンには、天然痘の物等があるが、それらは恐らく簡単に承認されては居らず、剰え長日月を閲して使われ続け、安全上、効用上の、信頼を得ているのに対して、このワクチンは学者さえもが、「従来無いタイプ」と云う程の物である。実績が無いのである。

にも拘らず世界中が前のめりになっている。少しであっても体内に、毒を招き入れるのであり、当然慎重になる筈の所でそうなって居ない風潮が恐ろしい。頼るべからざる事物に自らすすんで頼るのである。何かに魅入られて居る様でさえある。

ところで吾人は、滅亡譚が好きである。滅亡は郷愁を誘う。遺伝情報にある、滅びる前の故郷には、決して帰る事が出来ないし、それだけに元来浅薄で偏った吾人の記憶の中の故郷は美しい。

剰え身の毛の弥立つカタストロフィの瞬間の記憶自体も、当然遺伝情報に深く刻まれていて、甘い香を放って居る。そのような瞬間に立ち会う経験は奇跡的で、望んで得られるようなものでは無い上に、時にはポンペイを埋め尽くしたヴェスヴィオの噴火の様な夢にも見られぬ豪壮な美を、吾人は目の当たりにしても来たのである。

又稀少性を持たずとも醜くとも、恐ろしい事物そのものが、人間を魅了する。恐怖も比較的強く脳裡に、延いては遺伝情報に刻まれる上に、吾人自身にも恐ろしい一面というものが確かに内在する事から、恐ろしい事物への慕わしさと云うものをも、人間は抑持っているのかも知れない。

滅亡譚にはアトランティス大陸、ムー大陸等に就いての荒唐無稽なものから、インカ、アステカ等に関わる由緒あるもの迄、数多あり、これらの中でパンデミックで滅びたものが如何程あるか、寡聞にして知らないが、近頃では、14世紀のペストでも、前世紀のスペイン風邪でも、人類は言わずもがな、滅びた文明と云う程のものは無いようである。

マンモスの絶滅の原因としては、伝染病説もあるが、時代は扨置いても、これは人間の話では無い。近頃無いからには、これからもパンデミックで人類や文明の滅びるような事は先ずあるまい。例えば中世のパンデミックでも、一人残らず罹患するのを坐して待って居た筈が無いから、当然の事ではある。

併しワクチンは、自ら進んで殆どの人の摂取しようとしている点が、伝染病自体よりも遙かに剣呑である。木に登っても、天辺で落ちた話はあまり聞かない。下りて来て、あと1mと安堵した時に、よく落ちるのである。吾人を滅ぼし得るものも、伝染病よりは寧ろ安心の種、ワクチンであるという事に為ろうか。

充分に危険性を把握していても、吸い寄せられる様にそこへと近付く他に途の無いものとして、ITがある。斯くいう私も流れに呑まれて、こうしてPCに頼って居る様に、ワクチンをも母に付き合って、打つ事に為ってしまうのかも知れない。

生まれた人は必ず死ぬ。始まった事は、いつか終わる。汗水垂らして息急き切って、文明の坂を上り切って有頂天の人類が、勢いに任せて背中を押される様に坂を駆け下って居る時その先に、奈落の待ち受けている事に気付かなくとも無理は無い。桑原桑原。