雲丹、蛸、海鼠。
犀、河馬、麒麟。
”この河馬にも機嫌不機嫌ありといへばをかしけれどもなにか笑えず”
河馬が題材になっている短歌など、目にしたこともありませんでしたが、あるものなのですね。
”薦(こも)かけて桶の深きに入れおける蛸もこほらむ寒きこの夜は”
こちらはタコ。
今年の冬には「タコも凍る寒さだな」などと思ってしまいそうです。
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短歌博物誌
著者:樋口 覚
発行:文藝春秋
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『短歌博物誌』はシンプルながら、非常にそそられる書名です。
変わったアンソロジーを編まれる方がいらしたもの。
取り上げられているのは主に短歌ですが、言及はそれに限らず、俳句、小説、詩篇、作家等、さまざま。その範囲の広さと雑多さに驚きます。
歌人も、万葉の詠み人知らずから、現代の新鋭まで。
取り上げられる生き物のほうも多様。
犬や猫の動物に限らず、昆虫、想像上の生き物までと、不思議な取り上げられ方です。
牛、馬はもちろん登場しますが、馬よりも牛のほうがずっと記述が長い。
文学の世界では牛が優勢なのです。
比べるのもちょっと変ですが、鴛(おしどり)と雲丹(うに)では、予想に反して雲丹のほうが記述が長いのです。
どうやら著者は海の幸がお好みらしく、海鼠(なまこ)もよく登場します。
常々、「海鼠を最初に食べた人はすごい。きっと、それは刑罰だったに違いない」と思っていましたが、刑罰であったかはともかく、海鼠を最初に食べた人は勇気があるということは昔から書かれていたことのようです。
美しげなところでは、短歌らしく「蛍」などでしょうか。
昔の日本では思いのほか記述が少ないとのこと。
著者自身が衝撃を受けたという和泉式部の歌を取り上げています。
”物思へば沢のほたるもわが身よりあくがれ出づる魂(たま)かとぞみる”
そこから、日本の外、インド、中国での蛍火の文学的な捉えられ方に話は進みます。
結びは、『なお、蛍の発光の明度についてはルシフェラーゼという酵素との関係で研究されているが、この酵素の名は明けの明星を意味するルシファーに由来するから、与謝野晶子の「明星」と関係がある。』と、こんなふう。
不思議な連想ゲームです。
人名でよく出てきたのは、南方熊楠。
博物学といえば出てこないはずのない名前かもしれません。
意外によく出てきたのが三島由紀夫。
三島は蟹を、見るのも嫌なほど嫌っていたのだそうです。
理由は、醜いから、と、癌の語源が蟹を意味するラテン語「カンケル」だったから、とか。
有名な話なのだそうですが、知りませんでした。
知らなくてもぜんぜん悲しくありませんが、いかにも三島由紀夫っぽい話。
そういえば。
滝沢馬琴はカナリアを買っていたのだそうです。
これが一番のびっくりでした。
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