何をきっかけに読みたいと思ったものやらもう定かではないほど、手にするまで時間がかかった1冊。
粗い石
ル・トロネ修道院工事監督の日記
著者:フェルナン・プイヨン
訳者:荒木 亨
発行:形文社
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1973年に文和書房から出版されたものはすでに絶版。
これは2001年復刊された版です。
時は12世紀、所は南フランスはプロヴァンス、副題にあるとおり、この建築監督の日記として創作された小説です。
建築されようとしているのは、今も修復を経て現存しているル・トロネ修道院。
その志に合わせ、建築からも過剰な装飾を排除したというカトリックの一派・シトー会の建築物です。
静謐なそのたたずまい、自然光が生みだす陰影は、写真だけでも魅了されるもの。
鈴木元彦写真集
光と祈りの空間―ル・トロネ修道院―
磯崎新+篠山紀信 建築行脚 (5)
中世の光と石 ル・トロネ修道院
作品は、このル・トロネ修道院の建設予定地に、日記の主たる工事監督が派遣されてくるところから始まります。
助手を二人従えた彼は、豊かな経験をもつ工事監督であり、シトー会の修道士でした。
そして、これから建てられようとしているものは教会ではなく修道院。
建設地は人里から遠く離れた森の中であり、そこにいるのは神に祈る世捨て人たちです。
それなのに、なんと人間臭いドラマが展開していくことか。
新参者の監督者と古参の実働者たちの微妙な力関係や、宗派の規則と現実的な労働の折り合いをつけること、権威を伴わない権力の空虚さが語られる場面などは、そう思うならば、プロジェクト運営をいかに行うべきかを読み取ることもできそうです。
また、石積みの建築がどのようにして作られていったかの資料として読むということもあるのかもしれません。
身を粉にして働くことでしか、先に進むことのない建築現場。
石を積むことも気が遠くなりそうなのに、石の最初のひとつをその場所に据えるまでにでさえも、地道で過酷な労働と、長い長い準備期間とが必要です。
石を切り出し、木を伐り、瓦を焼き、地を均し…。
その間には防ぎきれない災害があり、工事の遅れや困難さに拍車をかけます。
そして、痛ましい事故も幾たびか。
多くの犠牲の上に、修道院の工事はわずかずつ進んでいきます。
人々は、大切な仲間が失われる悲嘆にくれながらも、なおも石を切り出し、木を伐り、地を均し…。
作品は工事の進行を追いながら、その責任を一身に背負う工事監督の、建築家としての現実的な問題への対処と理想の実現、そして、修道士としてのあり方への葛藤を描いていきます。
建てられるのは修道院、労働をしているのは会に所属する人々がほとんどで、一日のなかに労働とともに祈ることが組み込まれている生活の中での物語であるのに、不思議と、神様との距離をこそ思ってしまう作品でした。
身を律し、祈り、教えの道を邁進する修道士たちであってさえ、人はこれほどにもただの人であり、求める何かの途中でしかいられないものなのかと、途方に暮れてしまうような。
作品の迎える凄絶な幕切れは、「工事監督の日記」を読もうと思っていた私は想像もしていなかったものでした。
修道士としての彼は、掴んだ綱の先に、鳴り響く鐘の音の中に、求めたものを感じ得たのかどうか。
ただの人の私は、せめて、報われていてほしいと思わずにいられません。
神様は、監督をみていてくれたのでしょうか。
[読了:2012-07-05]
参加しています。地味に…。
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