ゆっくりと世界が沈む水辺で

きしの字間漫遊記。読んでも読んでも、まだ読みたい。

藤森照信【藤森照信の茶室学 日本の極小空間の謎】

2012-11-29 | and others
 
茶室といわれると、つい、利休の待庵、などを思い浮かべてしまうのは世間の狭い話なのだと、改めて思う1冊。
茶室とはお茶を飲むための部屋なのだ、当たり前のことながら。
ただ、それだけではないのも当たり前のこと。

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 藤森照信の茶室学 日本の極小空間の謎
 著者:藤森照信
 発行:六耀社
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細川元総理(この方は利休居士の直弟子の子孫。)が茶室を作ったときは、その躙口(にじりぐち)と呼ばれる茶室への入口にシラク大統領がつっかえぬように寸法を確認したのだとか。
躙口が小さいのは、茶を喫するときくらいはみんな同じ、偉い人にも「頭が高い!」などと叱責する気持ちを捨ててもらって、皆が一様に謙虚な気持ちになれるようという思いがこめられているからだと教わるが、私は、正直なところ、茶室が小さいから入口も小さくした、ということだと思う。入口が普通だったら、ただの小部屋でしかなくなってしまう。入口がうんと屈まなくてはならないほど小さければ、立てたとき、相対的に、高さと広さに、そして、無事くぐれたことにホッとする。お釈迦様の鼻の穴?
もちろん著者はもっと立派な説明をされていて、なるほどと思う。

そういった軽い話題や、台湾などのお茶の話から本は始まったが、著者の語る茶室についてのもろもろは、茶人としてではなく、あくまでも建築家としての視点、考え方に貫かれている点がやはりおもしろい。
茶道のターニングポイントである安土桃山時代。
一般的に茶道といって思い浮かべるのはお煎茶よりやはりお抹茶のほうだろう。その観点からみれば、珠光、紹鴎、利休と続く時代だけれども、茶と茶室の歴史としてたどれば、その時代は信長、秀吉、利休の時代となる。
信長が茶室を造らなかったということが大事なのだと言われると、おお!と思う。
茶室ではなく強烈な城を造ったことで、信長は図らずも、利休を茶室の意義に目覚めさせたのではないだろうかと。
たった二畳の狭さであることで有名な、利休の茶室といわれる「待庵」も、戦さ場において既存の建物の中に急拵えされたものが残ったのではないかという堀内宗心氏の説があることも私にとっては新鮮だった。
また、それが具体的かつ臨場感たっぷりに説明されているのがなんだか楽しかったが、話はここからぐいぐいと深まっていく。
レヴィ・ストロース?レオナルド・ダ・ヴィンチ?
一休和尚、小乗の覚りから、利休居士の小乗の茶、一期一会の茶室へ。

ここまでで本のおおよそ半分にあたり、以降は、利休居士没後の時代が、日本の建築史として丹念にたどられる。
自由な発想、美意識の発露としての茶室の発見に至る戦前、戦後の流れは興味深く、また、多くの建築家、建築物の名前が登場するので、調べながら進めるのもまた楽しい。(図版はそれなりにあるけれども白黒。)
が、「極小」に至らないのでもやもやする。狭小住宅は山ほどあるのにねぇ。
ま、そんなダジャレのような連想ゲームはさておき、本では、著者の定義するところの茶室についての言及に進み、それに対しての試みが語られる。
正直にいえば、著者の造ったのは楽しそうな茶室だけれども、この茶室が欲しいかといわれるとそうでもない。
かといって、「待庵」も欲しくないけれど。
そもそも、だれもくれるとは言わないし。

著者の筆致が明朗快活であるせいか、ページもさくさくと進んだ1冊。
建築の専門知識がないワタシでも十分に楽しめた。










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