私は推理小説を、推理するための小説として読むことに向いていないと、つくづく思い知った1作。
慟哭
著者:貫井 徳郎
発行:東京創元社
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連続する幼女誘拐事件。
捜査する警察側と、犯人と思しき人物の両方から描写される。
捜査側は、若手エリート課長を軸に描かれる。
内部での軋轢、家庭での不和。
他方では、犯罪に至る過程が描かれる。
新興宗教の内部、少しずつ壊れていく精神。
硬質な文体と重い題材がもたらす閉塞感。
息苦しいような気持ちで読み進めていった。
かなり重い読後感だった。
私はさほど想像力豊かな方ではないが、痛みを感じる思いで読み、最後でむむむむむ、と唸っていた。
これでデビュー作か。
この後はどんな路線で書くのか。
こういう重さが続くようなら、読み続けるのはツライな。
旅行先に持ってくるにはちょっと重すぎたかも。
でも、普通の時に読んだらもっと重いな。
とか、そんなたあいもないことを思っていた。
ちょうどその時は、旅行中で、一緒だった先生に、コレを渡した。
当時の帯には、確か、「驚愕の結末」だったか、「衝撃の結末」だったか、そういう言葉があったと思う。
読み終えた先生は一言。
「犯人の正体、出だしでわかったよ。」
…この言葉にこそ驚愕。
私は、著者がそれを明かすつもりで語り始めてからでなければ、わからなかった。
ツワモノの推理小説読みの先生には、赤子の手をひねるも同然だったらしい。
根拠を聞いてなるほど。
読んでいるようで、読んでないものだとガックリ。
以来、というかそれ以前もだが、推理小説を推理するために読むことはなくなった。
論理的な思考とはどうやら無縁らしい。
種明かしをワクワクしながら読むお気楽な者に徹することにした。
そういうことなので、もし、ここに推理小説が出てきても、謎解きの巧拙などにはとても言及できそうもない。
兎に角・・・、色々な意味で気持ち悪かったです。 確か。
帯の推薦文が好きな作家によるものだったので、人間不信になりそうでしたが、きっと好きな人も多いのでしょうね・・・。
私にとっても「この作品、好き」という類の作品ではないですね。結構、再読するタチの私ですが、一度も開いたこと、ありません。そういえば。