帯には、柴田元幸先生の「泣いてたまるか、と思いつつ読みましたが、あえなく泣いてしまいました」という言葉がありました。
あの日、パナマホテルで
Hotel on the Corner of Bitter and Sweet
著者:ジェイミー・フォード
訳者:前田一平
発行:集英社
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1986年、シアトル、チャイナタウン近く。
半年前に妻をがんで亡くし、一人息子とも離れて暮らすヘンリーは56歳。
長い間、閉鎖されていたホテルで、第二次世界大戦中の品々が見つかったというニュースを知り、彼は、そのホテル、「パナマホテル」を訪れます。
ずっと探し続けていたものが見つかるかもしれないというかすかな期待をもって。
ヘンリーは初めてここに来た40年以上前の「あの日」から訪れたことはなかった場所で、忘れようもなく刻まれた少年時代の出来事を思いかえします。
中国系移民二世のヘンリーが肌で感じていた差別。
彼を中国とアメリカとの狭間に追い込んだ父親との確執。
日系移民二世の少女ケイコの出会いと恋。
作品は現在と過去とを行き来しながら、彼が探しているもの、それにこめられた思いと出来事とを少しずつ明らかにし、そして、その秘密の開示がヘンリーにもたらす変化を描いていきます。
読み始めたとき、私は、作品と自分との距離をどうするかに、少し戸惑っていたように思います。
著者自身も中国系アメリカ人で、この設定には先人たちへの思いが込められているのだろうと思うと、私も日本人であることを意識して読むべきなのかしら、と。
戦時下という殊に「国」を意識せざるを得ない時期の、「国」と「人」との関係の上に語られる物語なのですから。
それは頭だけでも気持ちだけでも考えることのできないもので、物語の中でも、さまざまの方向からの理想や道理、感情が交錯しています。
でも、結局のところ、そんな私の妙な戸惑いは見当はずれ。
私がどこに身を置いて読もうとも、登場人物たちそれぞれの関係から伝わる、人と人とがわかりあう喜びと、わかりあえない悲惨さと憤り、そして、わかってしまうからこその悲しみとやさしさには変わりがないのです。
国がどこであれ、血がどうであれ、時代がいつであれ。
下手な考えはどこかへ消え、古いホテルにも時を経て開く者が現れたように、ヘンリーが忘れようとして忘れえぬまま秘め続けた想いにも明かす時が来たことを告げる物語を読みながら、「やっぱり泣いちゃうよねぇ」と思ったのでした。
柴田先生、正直です。
参加しています。地味に…。
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