どういうきっかけでこの本を手に取ったかは、もう覚えていない。
特に話題になった記憶もない。
エンド・オブ・サマー
著者:ジョン・L. ラム
訳者:土屋 京子
発行:講談社
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手元にあるのは1995年発行の第1刷。
新刊の頃に買ったとすれば、10年前の本ということになる。
たった10年しか経っていないのかとも思う。
もっと若い頃に読んだ気がしていた。
帯にはこうある。
『ある日突然、空が壊れて大きな悲しみが降ってきた。』
『衝撃的なラストに向かって、少年の覚醒の旅が始まる。』
今この本を買えるのかどうか検索してみたが、どうやら発行元では絶版らしい。
ここに書いているくらいでは、万が一にもネタばれと恨まれることもなさそうなので、詳しく書いてみようと思う。
少年ニックは、交通事故で最愛の父を亡くす。
それと同じ事故で母も意識不明のままだ。
彼は、眠り続ける母を気遣うことを日課にしながら、父の妹のジャスティンと暮らしている。
父と母と幸せに暮らしていた、その同じ家に。
光に満ちた少年の生活と心は、その事故を境に一変した。
ジャスティンは、彼を精神科医のもとに通わせて続けている。
事故の後、ニックは口を利かなくなっていたからだ。
だが、事故から半年が過ぎた今、ニックは以前と同じように、周囲の人と話している。
老医師デューガン先生、郵便配達のディグニーさん。
インディアンの言い伝えの残る丘に漂い続ける亡霊たち。
クラスメイトのパム・スー。
気むずかしやの農夫ブラウさん。
白い猫ザ・ゴーストや、リスのナッツォもニックの友達だ。
少年の日常と、思い出が語られていく。
そして、ある日、ニックは森の中の水たまりと出会う。
その水たまりは、彼に話しかける。
彼も水たまりに答える。
「わたしは、どこにいるのでしょう?」
「僕たちは迷子らしいね。」
彼らは様々なことを語り合う。
命について、愛について。死について。ニックが父の死を悲しみ、後悔し続けていることについて。
幸せとは?
ニックは幻覚を視ているのかと、自分を疑ってみるくらいには冷静だ。
他から見て、特におかしいようなところは見当たらない少年。
ただ1点を除いては。
少しずつ、少しずつ、ニックの閉ざされた心が明らかになる。
水たまりと話すことで変化し始めたニックに、また悲しい出来事が訪れる。
白い猫ザ・ゴーストの死。
ニックはようやく自分と、自分を捕らえ続ける悲しみに向き合おうとする。
「母さんは、死んだんだよね。でも、僕はそれを認めなかった。」
ジャスティンは、彼のしようとしていることを感じとる。
「いつなの?母さんがなくなったのはいつだったの?」
「父さんのお葬式の次の日。」
ようやくその事実に向き合うことを始めたニックにジャスティンはさらに問う。
「他には?他には誰が死んだの?」
デューガン先生、ディグニーさん。ブラウさん。パム・スー。
彼らは既に死した人々だったのだ。
ニックは、愛する人たちの、多すぎる死に耐えきれず、目を背け続けていたのだ。
そこから、自力で立ち直ることをはじめたニック。
彼は、水たまりに別れを告げに、森へ入っていく。
そして、自然の、世界の循環によって、空へと帰った水たまりに向かって言う。
「僕たちは自由になったんだね。」
それで物語は終わる。
印象的なのは、ニックと水たまりの会話だ。
水たまりは言う。
この世は、いま存在しているものの反映。
あなたが泣けば世界も泣き、あなたが笑えば世界も笑うのだと。
私は、ずっと胸の奥にあったことに、確かな形が与えられたと思った。
それならば、笑おう。
笑って生きていこうと、強く思ったことを思い出す。
楽天的だと言われるたびに、思い出す1冊だ。
いままで読んだという方に会ったこともない本でした。コメントいただけてうれしいです。
話題にならなかったのが不思議なくらい、本当にいい小説だと思います