社会統計学の伝統とその継承

社会統計学の論文の要約を掲載します。

中江幸雄「ソ連経済統計をみる眼」『日ソ経済調査資料』第679号,1988年12月号

2016-10-17 21:48:28 | 5.ロシアと旧ソ連の統計
中江幸雄「ソ連経済統計をみる眼」『日ソ経済調査資料』第679号,1988年12月号

 本稿が執筆されたのは,ソ連崩壊の直前のペレストロイカの最中。かつてソ連の統計の信頼性はいろいろな意味で疑問視されていたが,実状は不明であった。公表されていた統計に疑問をよせる研究者が多かった。公表されない統計もあった。ソ連国内の研究者も,なかなかこの問題にアプローチできなかったが,ペレストロイカのなかで,公然と自国の統計の信頼性に疑義を示し,分析のメスをいれる研究者が出てきた。本稿のなかでも紹介されているセリューニン=ハーニンの共同論文である。ソ連国内でさえ,そのような事情であったから,まして他国の研究者がその実態の解明に取り組むことなど至難であった。

 筆者はそうした状況のなかで,出来る限りの工夫をして,ソ連統計をいかに読んだら良いかを指南している。アプローチの方法は,蜷川統計学伝統の信頼性,正確性批判の視点であり,統計誤差の研究で有名なモルゲンシュテルンの『経済観測の科学』で示された視点であり,あるいはハンガリーのアルバイの研究であり,さまざまな方途が駆使されている。

 筆者はまず「調査統計」に関して,モルゲンシュテルンによる統計誤差の測定可能性の論点が蜷川の信頼性,正確性の視点と同類であるとして,彼が指摘する誤差の諸要因の指摘を整理している。
第一の誤差発生の原因は,情報秘匿とウソである。誤った報告の源泉には次のような理由がある。①統計調査の設計上の問題,すなわち観測者が複雑な現象の全てを調査できないので,一部分で済まそうとすることからくる偏り,②調査主体が情報を隠したり,事実を歪曲すること,すなわち調査主体の訓練・責任の不充分なために生じる偏り,③被調査者が故意にウソをついたりすることから生じる偏り(これは社会体制の欠陥ないし階級対立にもとづくものである)。上記のセリューニン=ハーニンの共同論文は,ソ連で③の偏りを生む制度的欠陥を具体的に指摘した。各企業,組織は上級官庁の目をごまかすために,虚偽の報告をしる傾向にあった。

 第二の誤差の源泉は,質問票にある設問の仕方による誤差,調査過程上に生じる誤差(調査漏れ,重複),定義・分類上の不備からくる誤差,計算間違い,転記ミス,印刷上の誤植,などである。第三の誤差の源泉は,時系列に関して時の要因からくる誤差,つまり両時点の分類,定義づけの差違に由来する偏りである。

 モルゲンシュテルンは,上記の偏りの源泉が存在することをふまえ,次のような結論を与えているという。「有効数字5桁以上の物理的測定はあまりないことを考慮するならば,経済的な問題の大多数で考察すべき一次資料の正確性は,おそらく最大限3桁ないし4桁であろう」と。

 筆者はつぎに「業務統計」に触れている。従来,社会主義国では一般に,統一的な義務報告制度が確立され,分類・集計の基準の統一,監査制度,統計教育などにより,統計の質は保証されているといわれていた。しかし,セリューニン=ハーニン論文は,少なくない企業・組織の報告にでたらめ,歪曲,ウソが含まれていることを暴露した。ブレジネフ体制18年間に生まれた汚職・腐敗の蔓延で,報告制度は信用を失墜した。

 モルゲンシュテルンは,経済統計はもともと不正確なものであるので,どうしてそうなるのかを示すのは,なすべき仕事の一面であるが,他方で科学的研究にたえうる程度までの誤差の数量的評価に到達するのがもうひとつの仕事であると,言っている。筆者はそれにならって,ソ連の国民所得統計(NMP)の誤差の源泉とその測定法を検討している。マクロ統計は総合加工統計であり,そこにおける誤差の発見,推定は難しい。しかし,概念的検討は可能であるとして,物的生産物方式(MPS)による国民所得の中身(補足範囲)の問題点を考察している。第一に,自由市場での取引に固有の諸概念の推計にはおよそ10%前後の誤差はつきものと言われている。第二に,アングラ経済での取引による収益は,通常,NMPから除外されているが,それでは経済全体の所得水準を把握したことにならない。第三にNMP指標はその範囲を物的生産部門に限定しているが,経済パフォーマンスを示す指標としてはGNP指標の採用は重要である(ソ連では1988年からGNP指標を計算し始めた)。

 モルゲンシュテルンは国民所得統計に入りこむ主要な誤差を類型的に示している。①個々の産業やその他の経済活動の基礎資料に入りこむ誤差,②利用可能な統計をその集計量の概念的枠組みにはめ込もうとする努力することからくる誤差,③推計値のわからない産業や年次の空隙を埋めようとすることから生じる誤差,である。ハンガリーのアルバイはそれらに加えて,④諸々のプロセスのタイムラグからくる測定上の誤差,⑤企業利害の影響による誤差をあげている。
 残念ながら,ソ連ではこうした統計の中身(誤差),とくに国民所得統計の誤差の研究は皆無であった。しかし,筆者はソ連の国民所得統計も上記の各種の誤差を免れていない,と指摘している。なお,筆者は関連して,国民所得統計の誤差の測定方法として,①S.クズネッツが実験した「専門家の判断による誤差の直接的推定」,②国民所得バランスで生産側と支出側とで独立に推計を試み,「統計の不突合」の調整項目を検討する方法,③速報値・暫定数字と最終確定値との間の改定幅の大きさで精度をはかる方法を紹介している。

 またハンガリーのアルバイによる1970年代初頭における国民勘定の正確性の程度を測定した経験について紹介している。アルバイが行なったのは,①国民勘定の枠組みにおいて仕上げられたデータの異なる側面からの突合せと②国民勘定の諸目的のために利用されたデータソースと様々な対応するデータの収集による情報との突合せである。アルバイはそこから成長率の信頼性が良好と判断をしている。筆者によれば,ソ連にはアルバイが70年代に行った研究に類したものさえ見当たらないらしく,わずかにエデリガウスの著作にある各種統計指標の誤差率の一覧表から興味深いものを抜き出して掲げ,本稿を閉じている。

 この論稿は,筆者が1988年9月に行った日ソ経済研究会での報告「ソ連統計のペレストロイカ」で不十分だった諸点を含め,それを埋め合わせるために補足的に書かれたものである。前半の「ソ連経済のマクロ指標の乖離について」で,その研究会での質問者に答えるべく細かな議論を行っているが,この部分の要約は省略した。

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