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雀庵の「長城 Great Wall で包囲せよ」

2020-04-23 16:56:58 | 日記
雀庵の「長城 Great Wall で包囲せよ」
“シーチン”修一 2.0

【Anne G. of Red Gables/104(2020/4/23】産経「話の肖像画 台湾元総統・陳水扁」インタビューは30回を迎えた。このシリーズでは最長だろうが、「政治はきれいごとではないなあ、中共のあの手この手の謀略工作は聞きしに勝る凄まじさ!」と実に勉強になる。

レーニン、トロツキー、スターリン、FDR/ルーズベルト、毛沢東、金日成、江沢民、プーチン、習近平・・・共産主義者は自分のため、国益のためにありとあらゆる謀略を駆使する。平然と人を殺す。並の神経ではない。

権力者は昔からそういうものか? 明治維新の立役者、大久保利通も西郷先生も「黙ってあの世に持っていく」ような悪事密謀奸計(平時にあっては悪逆非道と非難されるような行為)をしなかったとは言い切れまい。

立場が違えば悪事は正義であり、その逆の正道と思ってやったことがとんでもない災厄になったこともあったろう。

歴史は勝者が創る・・・さはさりながら「本当はどんなだったのか」とほじくり返していくのが歴史家の仕事(趣味)のような気がする。

大物はほじくり返され、歴史の審判を受け、「実はかなりの悪党だった」とか「奸臣とされていたが忠臣であり尊敬されていた」とかいろいろな解釈が出てくる。

歴史小説で一番登場するのは家康のようで、今でも評価はいろいろだが、「250年間戦争のない時代を創った(それにより独自の文化が育った)」という点ではまあ一致している。

それが良いことだったのか悪かったのかはまた評価が分かれるのだが、作家の飯のタネ、読者の娯楽のネタになっているのは間違いない。あの世で家康は結構満足しているに違いない。「ふっふっふ、お勝、下界を見よ、わしはまだまだ人気者よ」と機嫌をよくしているだろう。

お勝は文武両道のインテリ。英雄は「明るく楽しくツキを呼ぶインテリ女」が好きなのである。家康は関が原や大阪の役にもお勝を男装・騎乗で同行させたそうだから、勝利の女神、ニーケー(英語ではあのナイキ)、ビクトリアでもあったろう。

同志諸君、20人ほど伴侶をオタメシすればピッタシカンカンに出会えるのだ。一夫多妻(権妻)はいい制度だったと思うが・・・頑張ってくれい! 加油!

そう、台湾加油! マスクありがとう、大震災の時の支援、日本人は忘れない! 焼け木杭に火、また一緒になりたい・・・なんて思っちゃダメ? そう・・・時期尚早?・・・まずは中共のくびきを断つ、それからの話だね。日本も中共殲滅に頑張るぞ、イザ!
王育徳「台湾」から。

<植民地支配は、それがいかに優れた成果を収めたものであれ、道徳的には無条件に指弾されるべきものであり、私自身、過去のおぞましい数々の体験からも、個人的に日本の台湾統治を憎悪し糾弾してはばからない。

しかし、世界史の発展段階において現れた植民地体制については、道徳論や個人的感情に立つ評価とは別に、比較論的な客観性を持つ、横と縦の両面からの評価が必要だろう。

横の面とは、同時代の列強による植民地経営と日本のそれを比べることであり、縦の面とは台湾における清朝時代、国府(蒋介石・国民党支配)時代のやりかたと日本の植民地経営を比べることである。

列強との比較は、各被支配民族でそれぞれ前提条件が違うので、縦の比較論が問題になる。台湾人にとって、過ぎ去った清朝時代はあまり意味がなく、日本統治時代と、その後の国府時代との比較が重大な意義を持つのである。

なぜならば、(国府による支配が始まる1949年前後から本書が発行された70年頃)1000万の台湾人の大多数は、この二つの時代にまたがって生きてきたのであり、何かにつけて二つの時代を比較することは人情の常である。

ここでもし、日本時代のほうがマシだったという結論でも出ようものなら事態は重大と言わねばならない。

そもそも比較論はおかしいという見方もあり、日本時代に軍配が上がる可能性もあり得るとはとても信じられないであろう。台湾人にしてからが、二つの時代を同じ次元から比較する身になろうとはツユ思わなかったのである。(つづく)>

同志諸君、小生は百科事典を一冊、ベッドの下に置いている。たまに適当にページを開き、自分の知っていることを探すのだが、例えば今引いた見開きにある項目には、

「メンデルスゾーン、メンデルゾーン、メンデルの法則、メンデレエフ、免田」が並んでいる。

「メンデルスゾーンは音楽家、メンデルの法則はなんか習ったことがあるなあ、免田は税金のかからない田畑か」

これしか知らない。一応大学まで行ったのにほとんど無知である。人間は生きるのに必要なことだけを知っていればいいのだが、それだってどんどん新しいことが追加されるから、ついて行くのに精いっぱい。

結局、専門分野に細分化され、その周辺のことは「そこそこ知っている」くらいで、オツムが良くなっているわけではない、むしろ退化しているのではないか。

昔の医者は内科、外科、産科・・・獣医まで何でもやった。今は内科でも消化器、呼吸器、循環器、腎・泌尿器、内分泌・代謝、神経、血液、感染症、アレルギー、膠原病などの専門分科に分かれている。

小生がお世話になっているのは精神科(精神神経科)、心が病んで体がおかしくなった人は心療内科、どちらか分からない人は両方で診てもらう。病気の達人は終日、外来診療で過ごしたりして、わが街には「成人病なら〇〇さんに聞け」と言われていた爺さんさんもいたっけ。

世界の病気、国家の病気、諸悪の根源である“パンデミック・アウトブレイカー”中共の病気を如何せん。多くの智慧と技術、ノウハウ、人材を結集して包囲殲滅戦に努めるべき時だ。元祖・毛沢東同志曰く――

<世界の恒久平和を戦い取るためには、我々は兄弟諸国、平和を愛するすべての国々との友好と協力と団結を一層発展させなければならない。もし敵があくまで戦争をしようとするなら、腹を決め、分析し、精神的な準備もしなければならない。

主義者は極めて凶悪である。その本性は改めることはできない。主義者はその滅亡の日まで決して屠刀を捨てない、決して静かに消えることはない。

勝利したからといって、主義者とその手先どもの狂気じみた報復、陰謀に警戒を緩めてはならない。警戒を緩めることは、政治的な武装解除で、受け身に立つことになる>

原文では「主義者=帝国主義者」、今の世界で最悪の主義者独裁帝国は中共であり、地球と人類の未来は中共絶滅以外にない。

同志諸君、今が絶好の機会だ、お替りはない! 完璧な包囲戦「長城 Great Wall」で中共を干上がらせよ、14億の民は新しい自由民主の政体を築くと信じたい、加油! 甘いか?(2020/4/23)











雀庵の「明確な国家ビジョン示す時」

2020-04-22 21:23:48 | 日記
雀庵の「明確な国家ビジョン示す時」
“シーチン”修一 2.0

【Anne G. of Red Gables/103(2020/4/22】歳をとると同じ話を繰り返すのかなあ・・・大体古人も同じことを手を変え品を変えて説く。舞台芸術も筋は同じだろうが、演者の創意工夫、解釈、表現などで観客の感動はずいぶん違うようだ。

戦前の岡本綺堂の随筆などを読むと「団菊左はすごかった」という言葉によく出会う。

<団菊左:歌舞伎で、明治期の東京劇壇の三大名優、九世市川団十郎・五世尾上菊五郎・初世市川左団次をいう>(デジタル大辞泉)

小生は伝統芸能にすこぶる疎いが、「歌舞伎は最初の3、4回は分からないが、5回目あたりから楽しめるようになる」という話を聞いて「・・・」、腰が引けてしまった。職場にほど近い新橋演舞場を眺めるたびに「はあ・・・何事も修行かあ・・・いつか、そのうちに・・・」と溜息をつきながら演舞場わきの蕎麦屋でザルを食っていた。

蕎麦屋の初老のオヤジの風格所作はまるで歌舞伎を見るようで、実に美しかった。「そばやー!」と声を上げたくなるほどで、

「歌舞伎が好きで好きでたまらない、楽屋に入りびたりで勘当された大店の次男坊、菊五郎に諭されて廓上がりの女房と二人、演舞場の隣に小さな蕎麦屋を始めました」

そんな落語か講談にもなりそうな雰囲気だった。映画なら森繫、淡島千景のコンビがぴったり、「夫婦善哉」蕎麦屋編のようではあるね。

歌舞伎役者もすごい人はすごい。例えば指物師を演じる時は一流の親方を訪ねて所作を学ぶ。斎藤隆介「職人衆昔ばなし」の「指物師恒造放談」から。

<(陛下のお泊りになる宿の電燈の笠を十二三個作ったことよりも)あたしの自慢は尾上松緑に芝居を教えてやったことさ。――ってえのも大きいが、実は指物師が主人公の芝居でね、道具と仕事について聞かれたから教えてやった。

「親方、指物師ってえのはどんな台を使って削るんだい?」

ってえから、

「一尺の三尺五寸が基準で、厚みは二寸から三寸、左右に留メがあって、右足を台におっつけたら左足を長く伸ばすのがコツ。板を削って体をかがめても左膝が立たねえのが玄人」

って教えてやったらその通りやった。

「仕事は明日必ずできます」

ってえセリフがあるんだそうだが、どうしたら良いかってえから、ミガキをしてたら良かろうが、チョンマゲ時代でペーパーもあるめいから、木賊(とくさ)で磨いてることにして、木賊はストローを短く切ってそう見せたらどうだって知恵を貸したら、そうやったようだ。

「道によって賢し」、あたしはこれでも尾上松緑の師匠さ。へへ。けれど役者衆も自分の仕事にゃ熱心で気に入ったね。芸の上のことになりゃ、あたしたちにも頭を下げて教わりに来るんだ。仕事をするものはああでなくっちゃならねえ>

この本、小生の師匠、山本夏彦翁の雑誌「室内」に連載され、単行本化された。著者の斎藤隆介は日共党員。夏彦翁はヤクザで前科持ちの安部譲二も起用したが、外野が騒ぐと「私は文を見て前科を見ない」と言ってのけた。斎藤隆介にもそのように接したのだろう。著者もすごいが、夏彦翁の見識の高さ、度胸の良さには圧倒される。

大手出版社がチョイと苦情が寄せられたら月刊誌を廃刊してしまうという、およそ根性なしのヘタレ、醜態を見ると、出版界が寂れていくのは自業自得なのだろう。中共走狗の「世界」は消え、次はリベラル≒アカモドの最後の牙城「文藝春秋」が保科と半藤と手を携えて沈むのを我々は近く目にするだろう。

以上、どうでもいいような話ではあるが、一流は生まれながらにして一流ではなく、皆、並以上に努力しているということで、「才能とは努力する能力」であり、生まれ育ちの出自はいろいろでも、努力すれば一流になれるということを改めて考えたからだ。

「頂門の一針」掲載の前田正晶氏の論考によると、米国は基本的に、高等教育を学んだ上流知的支配階級と、その指示で働く下流肉体労働階級に完全に分かれており、階級間の接触や移動、交流はまずあり得ない社会だという。

本家の英国もそのようで、ジャーナリストのコリン・ジョイス氏によれば飲み屋も別々だそうな。チャイナコロリで学校が閉鎖され、ネット授業や家庭教師の手当てができない貧困層の子供の教育はこれまで以上に上流・下流の格差が広がりつつあるという。

先日、米国内で「都市封鎖解除しろ」というデモ・集会があり、小生の目で見ると粗暴犯で何回か刑務所を出入りしたような、それでもちっとも懲りない「塀の中の懲りない面々」米国版のような、およそ学問とは無縁のマッチョの映像を見た。銃で武装している人もいた。

こういうのが典型的な米国下層階級なのか。8割ほどの人がそれなりに生活に満足している日本ではまず見ない人々だ。頑張って上を目指そうという考えもなく、無知で粗暴であることを居直っているような人々を含めて、「国にどう貢献できるかではなく、国が何をしてくれるのか」しか考えない人が国民の多数であり、それが下層階級だとしたら、米国の大統領は恵まれた仕事とは言えない。

パラサイトのような人も一票は一票で、彼らの支持なしには選挙に勝てない。バラマキを拡大すれば下流階級は喜ぶが「もっともっと」とおねだりは際限がない。迎合ばかりしていたら上流階級から嫌われる。

貧しいと言われても、「そもそも自己責任だろうが・・・」と言ってはいけないのか。

アンタ、ちっとは努力したのかよ? 遊び惚けて高校中退、興味は女とおしゃれとテレビとスマホ、仕事はまあそこそこやるけど「上を目指すってかったるいし」って、遊んでばっかり、どうするんだよ!

「ウッゼーナー・・・だからヂヂイは嫌いだぜ、説教ばっか。大体ねえ、俺、字読むの好きじゃねえし・・・親方も資格取れって言うけどさあ、字見ると眠たくなっちゃうんだよ、遊んでるときはめちゃ元気なのに・・・昔からだから・・・

昨日のドリフ、面白かったよなー、喜劇役者ってのもいいけど・・・俺、マスクいいだろ、タッパもあるし、でも役者ってセリフ覚えなくちゃいけねえから、ちょっと疲れるよな、漢字難しいし・・・でね、ホストクラブってのはどうかなあって思ってるわけ。

俺、昔からモテたしさあ、ホストなら出世できるかも、へへへ・・・手が荒れるとまずいから、やっぱ今の仕事は合わねえよなあ、ざらざらのごっつい手じゃ客がつかねえよ。

来月、給料もらったらふけようと思ってんの。親方に借金あるけど、出世したら返しますって手紙書いておこうと思ってるけど・・・それまでは内緒にしといてよ。今日は呼び出して悪かったね、駐禁のカネまでたてかえてもらって・・・来月返すから・・・じゃ、また」

このダメンズも今は高齢者だが、どうしているやら。稼ぎのいいホステスやソープ嬢のヒモになったところで食えるのは5年、めでたく店を持てたとしても夫婦善哉の蝶子のような「耐えてみせます」系の根性女は今は昔の物語。

わが街で50年も続いていたスナックが先日閉店し、フェロモンたっぷり、浮名を流したママはすっかりしなびて80歳、とっくの昔にパトロンも亡くなり、天涯孤独、生活保護でどこかの施設に保護されたようだ。

動物は死を予感すると大体ひっそりと群から離れ、隠れるように死ぬ。他者のケアに縋って大騒ぎの末に死ぬのは、あまり美しくはないし、これからの人にこそ使われるべき金が無駄に使われているようでインモラルな感じがする。

それを「国民としての当然の権利だ」と思う人もいれば「努力もせずに他者に依存しながら権利だけを主張するのはいかがなものか」と思う人もいる。上下の階級や階層が硬直化すると国民としてのまとまりが弱くなり、あまりいいことではないだろう。

日本は上下階級の流動性がある方だろうが、それが良いのか悪いのか、小生にはまだ分からない。下流を上流に引き上げるのはとても難しい。一方で上流を下流に引き下げるのは実に簡単だが、世界競争の中で国力は急速に落ちてしまう。

どういう国にしたいのか、明確な国家ビジョンを示す時ではないか。世界中禍危機によるゲーム中断の今、国民的な議論の高まりが必要ではないのか。(2020/4/22)









雀庵の「グッバイ中共、ハローメキシコ」

2020-04-21 20:59:26 | 日記
雀庵の「グッバイ中共、ハローメキシコ」
“シーチン”修一 2.0

【Anne G. of Red Gables/102(2020/4/21】企業は年々成長を目指す。成長しないと消えちゃうからだ。成長すると質量において能力が高まり、小さい仕事から大きい仕事まで声がかかる。

発注する担当者は、名もないチンケな会社に発注しない。仕事の出来が悪いと上司から「なんであんな会社に発注したんだ!」と叱られ、出世が遅れることは避けられない。

ところが非常に特殊な能力があり、真面目にコツコツ、シコシコやっていると、ひょんなことから大企業、大組織(小生の場合は米国大使館、運輸省、日本旅行業協会、近畿日本ツーリストなど)から「入札があるから見積もりと見本をどうぞ」と声がかかる。

職人的チンケ企業は儲けようという気がないから安い、それでいて職人気質でイタズラ好きだから、たとえ見本でも「失禁するくらいびっくりさせてやろう」というものを提出する。

皆ビックリし、受注できる。マッツァオになってやるのだけれど、「面白い仕事だったんで楽しいし、とても勉強になりました。また声をかけてください」なんて愛想を言っておく。

どんな業種でも横のつながりがあり、月に1回ほどは各社の担当者が集まって情報交換する。そこで「ちっこいけれど腕のいいプロダクションがある」という評判が流れるのである。

一点突破、全面展開。米国、英国、豪州の在日オフィスから仕事が来る。評判を聞いて大企業も興味を示し、「なんだ、マムシの修一の会社か!」なんてニコニコして発注してくれる。

「もうアイミツなんてどーでもいい、とにかくあんたに頼みたい」と言うクライアントもあり、同業他社からは「俺たちはどうせ当て馬だ」なんて嫌味を言われたものだ。

ちょっと変わった仕事では、日本に乗り入れていない(=オフラインの)メキシコの航空会社、アエロメヒコのPRにもかかわった。当時、日本からメキシコシティにはJALとメキシカーナ航空があったが、メキシコシティから南米のあちこちに飛ぶにはアエロメヒコなどに乗り換えざるを得ない。で、アエロメヒコは「その際はうちを指名してね」とアピールしたいわけ。

メキシコと言えば1994年のNAFTA(北米自由貿易協定)以来、経済がずいぶん上向いてきたようだ。

トランプが就任するや、NAFTAを止めてUSMCA(米国・メキシコ・カナダ協定)にするとし(今は未発効)、TPP(環太平洋パートナーシップ協定)から離脱したが、まあ「米国主導じゃなければ嫌だ、しゃぶられるのはもう沢山だ、アメリカ・ファーストでやるんだ!」ということ。

2年前のNAFTA再交渉でメキシコは大顧客の米国トランプに譲歩したが、輸入全体の46%、輸出全体の80%を米国が占めるから、メキシコはもう米国の分家みたいだ。トランプは「密入国は止めろ!」と頭にきているが、冷静に考えると「メキシコが豊かになればメキシコ人は不法移民になりはしない」のである。

小生がそう思うのだから米国トランプも世界の銭ゲバ投資家、大企業、政治家、学者もチャイナコロリ以前から「チャイナ一辺倒リスク回避策」として「メキシコが有望だ」と考えていただろう。

今、チャイナコロリで痛い目に遭わされている世界は、にわかに「ポストチャイナの世界の工場はメキシコにすべし」と確信したようだ。

2001年の9.11テロで小生の会社は2か月後には売上が4分の1になり廃業に追いやられたが、旅行産業も散々だった。ただ、米国本土と中近東への旅行が2年ほど激減しただけで済んだが、今回のチャイナコロリ禍は全世界を1年ほど麻痺させるだろう。「羹に懲りて支那を封鎖」するのは資本の勘定と人々の感情の自然の流れだ。

小生が恋心を募らせている何清漣女史の「粉紅軍団 中共の量産型義和団2.0」2020年4月16日から。

<3月から米国投資研究機関のブレトンウッズ研究所、 経営コンサルティング会社のA.T. カーニー、 ブルムバークの資本転移の最新データでは、 「中国製造/メイドインチャイナ」の現状と将来に関して、 少なからぬ分析をしています。その共通の結論は、 「中国製造の時代はすでに終わった」です。

武漢肺炎禍とその世界的蔓延後、 世界の投資家たちの選ぶ土地は、 30年前のコスト第一から、 米中貿易戦争の始まり以来の関税リスクの考慮に至り、 いかにしてシステム的なリスクに対応するかになっていました。外資は次々と中国を離れ、 どこへ行こうかと考えています。

(中共支持の官製義和団のような)“ネトウヨ”連は当然ご存知ないのですが、 この20数年の間、 米、 日、 欧州の企業は、 米国とメキシコの国境線に2千社以上の企業が、 2千以上の組み立て工場を建設し、 50万人以上のメキシコ人を雇用しています。

米国は、 国境地帯の主要なコンポーネットパーツ需要地であり、 1700億ドルの部品がメキシコ人によって組み立てられたのち、 欧米に輸出されています・・・>

中共が現在を危機と認識し、少なくとも習近平を排除できなければ毛沢東時代の「食うだけで精いっぱい」の国に戻るだけである。二度とパンダハガーは現れない。(2020/4/21)



雀庵の「中共の皆さん、時間ですよ」

2020-04-20 14:13:04 | 日記
雀庵の「中共の皆さん、時間ですよ」
“シーチン”修一 2.0

【Anne G. of Red Gables/101(2020/4/20】人生いろいろで、小生の場合は「山あり谷あり」と言うより「試練の連続」「シーシュポスの罰」と言った方がいいかもしれない。それに意味、価値があるのかどうか・・・山男と同じだろうな。

心技体、根性だあ! 今は肥大化するアマゾネス軍団との冷戦に「沈黙の行」で耐えている。櫻井先生から「必殺目線」を学ばなければならない。先生に睨まれたチャイナスクール加藤紘一はほどなく死んだ。

天網恢恢疎にして漏らさず、次は二階のパンダ、お連れの“お祭りマンボ”リリーに「死線、特盛!」を。

荷風散人曰く「ホント、結婚しなくて良かったよ。女は買うもの、せいぜい妾。家に入れると豹変するからなあ、もうこりごり」。

良妻とか癒し系の妻なんて、「良き隣国」「良き隣人」と同じく夢のまた夢だ。米加なんて一見すると仲良さそうだが、カナダは米国人を「遅れてきた奴ら、下司、ヤンキー」と軽侮し、米国はカナダ人を「イザという時には役立たない口先だけのインポ野郎」とこれまた軽侮している。

米国独立戦争の際は英加連合 vs 米国で銃火を交えているから、ジョージ・ワシントンが言うように「戦時にあっては敵、平時にあっては友」、今は平時だから恩讐の彼方にということで仲良く、とはいかないのが現実だ。

大体、米国自体が南北戦争での傷を未だに引きづっている。

会津は薩摩を永遠に許さない!「イヤッ、絶対!」、世界中がそういうもので、EU解体も時間の問題という気がする。小生なんて「ドイツ人は時々“私は正義病”を発狂するから怪しいで」と警戒している。向こうも日本を警戒しているだろう。

人も世界も順風満帆なんて滅多にないから「試練の連続」は初期設定なのだろう。小生の話に戻ろう。

2001年の9.11テロで海外旅行産業壊滅、傷が重傷化する前に会社撤収するしかなかった。事業引継ぎを終えた2003年4月、長年の飲酒とストレスが重ねって癌発症、胃をほとんど摘出した。

肝臓への転移が疑われ、高価ながら恐ろしく効くという抗がん剤の副作用で半分死んでいたが、「死んだ方がマシ」というカミサンの“英断”でその薬を止めてからは多少元気になった。

とはいえ、消化/栄養摂取機能が著しく壊れているから下痢と嘔吐、めまい、筋肉痙攣が常態化してしまった。

そこでお試し気分で服用したのがサプリ。サプリは「鰯の頭」「癒しの飴玉」、何やら「効くもサプリ、効かぬもサプリ」で何となく飲み続けていたが、2016年にオツムがいかれて措置入院になり、3か月間サプリを断たれて分かったのは、爪がボロボロになり、下痢が激しくなったことから「サプリはそれなりに効くのだ!」ということ。

退院後にサプリを復活させたが、少なくとも爪は3か月でカチカチに戻った。小生には効果があったのだ。

今は4種類のサプリを摂取しているが、残りが少ないのでスーパーに買いに行ったが、ナント2日連続の長蛇の列、初めて見る「買い物マンボ」、客の顔は何やら殺気立っており、「我が家の興廃、この一戦にあり!」、ほとんどパンデミック。2日連続で小生は逃げた。

1週間ほど前に公園ベンチでおにぎりを食べていた際に、むせたので咳をしたら、近くのオバサンから睨みつけられた。ちょっと怖かった。そのうちクシャミ、咳、痰をペッ、なんてしたら「キャーッ、こいつよ、こいつがスプレッダーよ、非国民よ! 誰か、早くやっつけて!」。

ゴキジェット、フマキラー、アルコール、酒を浴びせられ、「焼かないとダメだ!」と火刑に処せられたりして。

ほとんど筒井康隆の世界。「こいつ、まだ動いている! 埋めちゃった方がいいぜ」、魔女狩り、集団ヒステリー・・・今でも宗教色の強い国、地域では珍しくない、かつ犯人、加害者に寛容である。

かくしてわが街の限りなく怪しいチョンマゲ跛行老人は神隠しに遭う。「そういえば、そんなヂイサンいたよなあ」、1か月もしないうちに忘れられ、3年ほどで認定死亡となり、墓碑に名が刻まれれば御の字となる。

王青・日中福祉プランニング代表「コロナ危機、中国人が闘う『もう一つの厄介な相手』」から要約。

<新型コロナウイルスが世界各地で猛威を振るい、深刻な状況になっている。医療機関が崩壊し、自宅で苦しみながら亡くなった人も少なくない。そして、全国規模の道路封鎖や外出禁止により、経済にも計り知れない打撃を与えた。

一体、どうして、このような悲惨な状況となってしまったのか。国民の怒りがSNSやマスコミを通じて爆発的に拡散するのも当然であろう。

◆いたちごっこ

中国では、コロナウイルスとの闘い以外に、もう一つ、煙のない戦争がある。それは、真実追究と情報操作との闘いだ。

インターネットとソーシャルメディアが発達している今日、事実の報道が削除されても、その後、ネット民により復活することがたびたびある。

人々が削除される前の一瞬の隙を狙ってPDFや写真など、別の形式で拡散し、リレーのように続いていく。まるで、いたちごっこだ。

その代表例ともいえる「事件」が、3月上旬に起きた。

今回のコロナ騒動の渦中にある武漢市中心医院(第1告発人とされる李文亮医師が勤務していた病院。李医師はその後、感染し死亡した)の救急科の女性主任医師が、昨年12月に診察した患者の肺のレントゲン写真を見て、重症急性呼吸器症候群(SARS)を疑い、その写真をウィーチャット(中国版LINE)の医者グループに投稿。

しかし、病院の共産党組織の幹部や院長らに呼ばれ、厳重注意された上で、医師生命が終わるかのような脅迫まがいの手口で口封じされた。これらの経緯を「人物」という雑誌の取材に応じて告発したのだ。

◆電脳空間の闘い

このインタビュー記事がネットでも掲載され、瞬く間に拡散した。しかし、その2時間後、これらは全て、きれいさっぱり削除された。

ところが、翌日、何千万人ものネット民がSNSで、同記事のさまざまなバージョンを復活させ、まるで燎原の火のごとく広がった。

それらは、英語版や日本語版、ドイツ語版などの外国語版以外に、ショートカット版、写真版、さらには縦読み、右から読み、そして何と、モールス信号、甲骨文、絵文字まであったのだ。漢字の国なのに、漢字が使えない。何と皮肉なことだろう。

インターネットが発達し、グローバル時代である現在は、当局が権力側の都合で完全に情報を遮断することは、もはや不可能である。

これまで、紙媒体は軒並み不振だったが、人々の事実を求める気持ちが強まり、事実を報道している雑誌や新聞などの売り切れが続いている(時事通信社「金融財政ビジネス」2020年4月9日号より)>

戦争には熱い心と冷静な分析、狡猾な作戦、愛と無慈悲、友情と裏切り、生と死、喜びと悲しみ、屈辱と感動・・・人間のすべてがあるとマケイン上院議員は語っていた。

同志諸君、我らと中共独裁帝国との戦いは、自由 vs 弾圧、民主 vs 独裁、人権 vs 抑圧、理性 vs 悪逆、法治 vs 無法、進歩 vs 野蛮、前進 vs 後退の戦いだ。

我らの正義と中共の正義がガチンコでぶつかり合う。我らが負ければ未来はない。

我らの子孫に、ウソを膠でつき固めた中共独裁の収容所的地球を渡すのか、それとも自由民主法治の居心地のいい緑の地球を遺すのか、我らは歴史の岐路にある。

チャイナコロリ禍で「上に政策あれば下に対策あり、蓄財蓄妾美酒美食こそ命」の中共の民も、「俺が正義、リベラル≒アカモドキ万歳」という怪しいドイツ人も、「命あっての物種、中共はヤバイ」と見なし始めた。

中共殲滅、支那解放の好機到来どころか二度とない「絶好機」である。

北村稔(立命館大学教授)「日本軍に感謝した毛沢東『抗日』を煽って逃げた中国共産党」(別冊正論15号)から。

<日本軍に感謝した毛沢東

毛沢東曰く――

<日本の軍閥はかつて中国の半分以上を占領していました。このために中国人民が教育されたのです。そうでなければ、中国人民は自覚もしないし、団結もできなかったでしょう。そしてわれわれはいまなお山の中にいて、北京にきて京劇などをみることはできなかったでしょう。

日本の『皇軍』が大半の中国を占領していたからこそ、中国人民にとっては他に出路がなかった。それだから、自覚して、武装しはじめたのです。多くの抗日根拠地を作って、その後の解放戦争[日本敗戦後の国共内戦―北村注]において勝利するための条件を作りだしました。

日本の独占資本や軍閥は『よいこと』をしてくれました。もし感謝する必要があるならば、私はむしろ日本の軍閥に感謝したいのです」。

(外務省アジア局中国課監修『日中関係基本資料集 一九四九-一九六九』所収、
資料70「毛沢東主席の黒田寿男社会党議員等に対する談話」、霞山会、1970年)>

この資料は外務省にあるが、小生の能力不足でネットから引き出せなかった。

しかし、延安に15年間引き籠っていた中共が日本の敗戦で表に出てきて、日本軍将兵と日本の武器を得て装備を固め、かつ海軍と空軍の創設でも援助指導を受けて、蒋介石軍に勝ち、中共を建国できたのは事実である。

米原爆の「お試し人体実験」による日本の敗戦が中共にとって千載一遇のチャンスになった。地球丸ごとを危機に落とし込んだチャイナコロリ禍は、我らにとって中共殲滅、支那解放の千載一遇のチャンスである。

今なら包囲という軍事力示威の「鉄のカーテン」で中共経済を急速に冷えさせることができる。経済封鎖でじわじわ、されど確実に窒息させていく。どういう国家にするのかは14億の民が決める。小生は民主主義国家として再編されることを望むが、そうでなければ世界は封鎖を解かないだろう。

眠れる14億が目覚める時だ。お隣さん、「時間ですよ」!(2020/4/20)









雀庵の「中共の夢は永遠に夢のまま」

2020-04-18 20:39:32 | 日記
雀庵の「中共の夢は永遠に夢のまま」
“シーチン”修一 2.0

【Anne G. of Red Gables/100(2020/4/18】この連載も100号目になった。渡部亮次郎氏に「書いてみたら」と背中を押されてから書いた記事は15年ほどで1500本くらいになっているかもしれないが、PCが壊れるたびに消えたので、ほとんど手元にはない。

仕事で書いた記事の中で気に入ったものは当時の標準であるフロッピーディスクに保存しておいたが、今は再生する機械がないからどうしようもない。ソニーのハンディカムで撮った子育て時代の映像も、今は放送博物館でしか再生できないだろう。

アナログからデジタルへ、とか、時代や技術の変化が激しいから古いものはどんどん消えていく。先日はスーパーのレジがすっかり変わっていてオタオタしてしまった。そのうちキャッシュは消えるかもしれない。強盗はスマホやカード決済などのために読み取り機を携行するのだろうか。チップなんてどうするのだろう。

さて、本シリーズの「Anne G. of Red Gables」というのは「赤毛のアン」の著者、L.M.モンゴメリ女史に敬服したから付けた名称である。

女の感性・感情と男の理性・知性を、「これ以上はないだろう」という黄金比率でアマルガム(合成、混合、融合)したのがモンゴメリ女史で、昔も今も、男でも女でも、女史以上の人はまずいないだろうという気がする。

女史が生涯を通じて心の思いを本音でやりとりしたペンフレンドは2人のインテリ男で、女史は女的な感性・感情ではなく、男的な理論・理性で冷静・沈着、かつユーモアを交えて手紙を書いている。

日本なら曽野綾子氏、塩野七生氏、川口マーン惠美氏のような感じかなあ。

小生が支持する櫻井よし子氏は理詰めで論破する武闘派、「命惜しむな、名こそ惜しめ!」と真っ先に吶喊していく軍人、モロ男、情け容赦しないから、上記の3氏とはずいぶん違う。

男では平川祐弘氏は男と女の良さを併せ持っている。諄々と説くが、優しく諭す感じ。そんな風になれる男はまずいないから希少価値である。

「赤毛のアン」の訳者、村岡花子氏はクリスチャンである。曽野綾子氏もそうで、半分ローマ人の塩野七生氏もその影響は多分に受けているだろう。川口マーン惠美氏は永らくドイツ生活で、「習近平大嫌い、でもトランプを好きになれない」と悩むドイツ人をバカにせずに優しく見守っているのは、やはりキリスト教的な影響なのかもしれない。

つまりモンゴメリ的な人は、無知蒙昧でその場の気分感情で動きやすい人間を見ると、「神よ、彼らを許したまえ、彼らは何も知らざるきに」と寛容になる、あるいは「今は何を言っても無駄、諦観するに如かず、そのうち分かるだろう」と見守る、そういう温かい寛容や、「明日は晴れる、いつかは晴れる」という楽観的な心、「明日を信じる」心が強くあるのではないか。

それは天賦の才でもあるだろう。

小生は直情径行的、猪突猛進型で、「こいつには何を言ってもダメ、バカにつける薬なし」というレッテル貼り、「そのうちくたばる、ざまあみろ」という、恐ろしく不寛容、非寛容な傾向が老いてますます盛んである。日進月歩でクソヂヂイになっていくみたいだ。

「愛されない理由」・・・分かっちゃいるけど・・・もうひたすら北京一直線、軌道修正不可、吶喊するのみ。アトムは異常な太陽活動を抑えるために、小生はデス・スターを破壊するため特攻し、地球を守るのだ。中共&ダース・ベイダー習近平に鉄槌を!

閑話休題。「赤毛のアン」の原題は Anne of Green Gables である。「緑の切妻屋根のアン」だ。小生の隠れ家、避難所、あるいは隔離室の切妻屋根は赤で、ヂヂイ(Grandpa)が住んでいるから Anne G. of Red Gables、「赤い切妻屋根のアン爺さん」というわけ。

屋根全体の塗装は昨年着手したものの途中で放置したままで、昨日は珍しく心技体とお天気が揃ったのでイザ!と塗装再開、今日で終わらす予定だったが、大雨でダメ、いつもの春とは違っているのかもしれない、気候変動?

そこで永井荷風が尊敬してやまない森鴎外の「渋江抽斎」を読み始めたが、もう10年以上前に4分の1ほど読んで「わしゃついていけん」とTKO負けした本である。

まず文章が難しい。読者に媚びない。漢文調で、全然知らない漢字、意味不明の漢字や、ややこしい文章が続く。

江戸期の医学の事情を明治・大正の医師で、かつ荷風が師事するほどの文学者である鴎外が歴史記録として記すのだから容易な文章ではない。

例えば安政5年(1858)の記述。当時はコッホやパスツールなどにより病原菌の存在が徐々に世界に知れ渡り始めた頃で、対処法が手探りだった時期である。

<この年には7月から9月に至るまで虎列拉(コレラ)が流行した。徳川家定は8月2日に「少々御勝不被遊(おんすぐれあそばされず)」ということであったが、8日には忽ち薨去の広報が発せられ、家斉の孫紀伊宰相慶福が13歳で嗣立(しりつ)した。家定の病は虎列拉であったそうである。

8月22日に抽斎は常の如く晩餐の膳に向かった。しかし五百(いお、抽斎の最後の妻、男と同様に文武を学んだ才女)が酒を侑(すす)めた時、抽斎は下物(げぶつ、酒の肴)の魚膾(さしみ)に箸を下さなかった。「なぜ上がらないのです」と問うと、「少し腹具合が悪いからよそう」といった・・・

翌23日に始めて嘔吐があった。それから27日に至るまで、諸証は次第に険悪になるばかりであった。

多紀安琢(あんたく)、同元佶(げんきつ)、伊沢伯軒、山田椿庭(ちんてい)らが病床に侍して治療の手段を尽したが、功を奏せなかった。

椿庭、名は業広(ぎょうこう)、通称は昌栄(しょうえい)である。抽斎の父允成(ただしげ)の門人で、允成の没後抽斎に従学した。上野国(こうずけのくに)高崎の城主松平右京亮輝聡(うきょうのすけてるとし)の家来で、本郷弓町(ゆみちょう)に住んでいた。

抽斎は時々(じじ)譫語(せんご、うわごと)した。これを聞くに、夢寐(むび)の間に「医心方」を校合(きょうごう、こうごう、校正など編集作業)しているものの如くであった・・・>

抽斎もコレラで54歳にして没。

以上の文は分かりやすい方で、人物紹介では同じ人が6~8種類もの名を使い、いろいろな人の紹介だけで数ページに及ぶこともあるから、読者としては脳みそがグチャグチャに掻きまわされている思いだ。

ただ、3分の1ほど読み進むと支那由来の日本の漢方医学の来し方、先人の苦労などが知れて、大いに好奇心を刺激される。

支那人は大昔から上が「ダメ!」と言えば下もそれに合わせて「ダメ!」と従う民族性があり、「焚書坑儒」「批林批孔」と上が叫べば下々もそれに倣う。「真実や正義なんてどうでもいい、自分に利益があるかどうかが大事なのだ」という価値観なのだろう。

それが処世訓なのだろうが、抽斎らは支那の医学者から「この理論はすでに否定されている、そんなものを研究するのは無意味だ」と言われても、医学史研究では大事なんだと突っぱねている。

一事が万事で、大昔から支那では歴史も勝者が創り、押し付けるのだ。学者も文筆家も支配者の言いなりだから、みんなクチパクだらけ。最先端の理論や技術で世界をリードするというような土壌はまずないのではないか。パクリと嘘のテクニックは一流だろうが・・・

中共はカネで多くの国を手懐けたが、今回のチャイナコロリ騒動で世界の顰蹙を買い、中共離れは加速するだろう。第一、中共にばらまくだけのカネがあるのかどうか。14億を食わせるだけでも大変だ。昔「世界の工場」、今「ラストベルト」に変容しつつあるのではないか。世界制覇という中共の夢は永遠に夢のままで終わりそうである。(2020/4/18)