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雀庵の「中共の夢は永遠に夢のまま」

2020-04-18 20:39:32 | 日記
雀庵の「中共の夢は永遠に夢のまま」
“シーチン”修一 2.0

【Anne G. of Red Gables/100(2020/4/18】この連載も100号目になった。渡部亮次郎氏に「書いてみたら」と背中を押されてから書いた記事は15年ほどで1500本くらいになっているかもしれないが、PCが壊れるたびに消えたので、ほとんど手元にはない。

仕事で書いた記事の中で気に入ったものは当時の標準であるフロッピーディスクに保存しておいたが、今は再生する機械がないからどうしようもない。ソニーのハンディカムで撮った子育て時代の映像も、今は放送博物館でしか再生できないだろう。

アナログからデジタルへ、とか、時代や技術の変化が激しいから古いものはどんどん消えていく。先日はスーパーのレジがすっかり変わっていてオタオタしてしまった。そのうちキャッシュは消えるかもしれない。強盗はスマホやカード決済などのために読み取り機を携行するのだろうか。チップなんてどうするのだろう。

さて、本シリーズの「Anne G. of Red Gables」というのは「赤毛のアン」の著者、L.M.モンゴメリ女史に敬服したから付けた名称である。

女の感性・感情と男の理性・知性を、「これ以上はないだろう」という黄金比率でアマルガム(合成、混合、融合)したのがモンゴメリ女史で、昔も今も、男でも女でも、女史以上の人はまずいないだろうという気がする。

女史が生涯を通じて心の思いを本音でやりとりしたペンフレンドは2人のインテリ男で、女史は女的な感性・感情ではなく、男的な理論・理性で冷静・沈着、かつユーモアを交えて手紙を書いている。

日本なら曽野綾子氏、塩野七生氏、川口マーン惠美氏のような感じかなあ。

小生が支持する櫻井よし子氏は理詰めで論破する武闘派、「命惜しむな、名こそ惜しめ!」と真っ先に吶喊していく軍人、モロ男、情け容赦しないから、上記の3氏とはずいぶん違う。

男では平川祐弘氏は男と女の良さを併せ持っている。諄々と説くが、優しく諭す感じ。そんな風になれる男はまずいないから希少価値である。

「赤毛のアン」の訳者、村岡花子氏はクリスチャンである。曽野綾子氏もそうで、半分ローマ人の塩野七生氏もその影響は多分に受けているだろう。川口マーン惠美氏は永らくドイツ生活で、「習近平大嫌い、でもトランプを好きになれない」と悩むドイツ人をバカにせずに優しく見守っているのは、やはりキリスト教的な影響なのかもしれない。

つまりモンゴメリ的な人は、無知蒙昧でその場の気分感情で動きやすい人間を見ると、「神よ、彼らを許したまえ、彼らは何も知らざるきに」と寛容になる、あるいは「今は何を言っても無駄、諦観するに如かず、そのうち分かるだろう」と見守る、そういう温かい寛容や、「明日は晴れる、いつかは晴れる」という楽観的な心、「明日を信じる」心が強くあるのではないか。

それは天賦の才でもあるだろう。

小生は直情径行的、猪突猛進型で、「こいつには何を言ってもダメ、バカにつける薬なし」というレッテル貼り、「そのうちくたばる、ざまあみろ」という、恐ろしく不寛容、非寛容な傾向が老いてますます盛んである。日進月歩でクソヂヂイになっていくみたいだ。

「愛されない理由」・・・分かっちゃいるけど・・・もうひたすら北京一直線、軌道修正不可、吶喊するのみ。アトムは異常な太陽活動を抑えるために、小生はデス・スターを破壊するため特攻し、地球を守るのだ。中共&ダース・ベイダー習近平に鉄槌を!

閑話休題。「赤毛のアン」の原題は Anne of Green Gables である。「緑の切妻屋根のアン」だ。小生の隠れ家、避難所、あるいは隔離室の切妻屋根は赤で、ヂヂイ(Grandpa)が住んでいるから Anne G. of Red Gables、「赤い切妻屋根のアン爺さん」というわけ。

屋根全体の塗装は昨年着手したものの途中で放置したままで、昨日は珍しく心技体とお天気が揃ったのでイザ!と塗装再開、今日で終わらす予定だったが、大雨でダメ、いつもの春とは違っているのかもしれない、気候変動?

そこで永井荷風が尊敬してやまない森鴎外の「渋江抽斎」を読み始めたが、もう10年以上前に4分の1ほど読んで「わしゃついていけん」とTKO負けした本である。

まず文章が難しい。読者に媚びない。漢文調で、全然知らない漢字、意味不明の漢字や、ややこしい文章が続く。

江戸期の医学の事情を明治・大正の医師で、かつ荷風が師事するほどの文学者である鴎外が歴史記録として記すのだから容易な文章ではない。

例えば安政5年(1858)の記述。当時はコッホやパスツールなどにより病原菌の存在が徐々に世界に知れ渡り始めた頃で、対処法が手探りだった時期である。

<この年には7月から9月に至るまで虎列拉(コレラ)が流行した。徳川家定は8月2日に「少々御勝不被遊(おんすぐれあそばされず)」ということであったが、8日には忽ち薨去の広報が発せられ、家斉の孫紀伊宰相慶福が13歳で嗣立(しりつ)した。家定の病は虎列拉であったそうである。

8月22日に抽斎は常の如く晩餐の膳に向かった。しかし五百(いお、抽斎の最後の妻、男と同様に文武を学んだ才女)が酒を侑(すす)めた時、抽斎は下物(げぶつ、酒の肴)の魚膾(さしみ)に箸を下さなかった。「なぜ上がらないのです」と問うと、「少し腹具合が悪いからよそう」といった・・・

翌23日に始めて嘔吐があった。それから27日に至るまで、諸証は次第に険悪になるばかりであった。

多紀安琢(あんたく)、同元佶(げんきつ)、伊沢伯軒、山田椿庭(ちんてい)らが病床に侍して治療の手段を尽したが、功を奏せなかった。

椿庭、名は業広(ぎょうこう)、通称は昌栄(しょうえい)である。抽斎の父允成(ただしげ)の門人で、允成の没後抽斎に従学した。上野国(こうずけのくに)高崎の城主松平右京亮輝聡(うきょうのすけてるとし)の家来で、本郷弓町(ゆみちょう)に住んでいた。

抽斎は時々(じじ)譫語(せんご、うわごと)した。これを聞くに、夢寐(むび)の間に「医心方」を校合(きょうごう、こうごう、校正など編集作業)しているものの如くであった・・・>

抽斎もコレラで54歳にして没。

以上の文は分かりやすい方で、人物紹介では同じ人が6~8種類もの名を使い、いろいろな人の紹介だけで数ページに及ぶこともあるから、読者としては脳みそがグチャグチャに掻きまわされている思いだ。

ただ、3分の1ほど読み進むと支那由来の日本の漢方医学の来し方、先人の苦労などが知れて、大いに好奇心を刺激される。

支那人は大昔から上が「ダメ!」と言えば下もそれに合わせて「ダメ!」と従う民族性があり、「焚書坑儒」「批林批孔」と上が叫べば下々もそれに倣う。「真実や正義なんてどうでもいい、自分に利益があるかどうかが大事なのだ」という価値観なのだろう。

それが処世訓なのだろうが、抽斎らは支那の医学者から「この理論はすでに否定されている、そんなものを研究するのは無意味だ」と言われても、医学史研究では大事なんだと突っぱねている。

一事が万事で、大昔から支那では歴史も勝者が創り、押し付けるのだ。学者も文筆家も支配者の言いなりだから、みんなクチパクだらけ。最先端の理論や技術で世界をリードするというような土壌はまずないのではないか。パクリと嘘のテクニックは一流だろうが・・・

中共はカネで多くの国を手懐けたが、今回のチャイナコロリ騒動で世界の顰蹙を買い、中共離れは加速するだろう。第一、中共にばらまくだけのカネがあるのかどうか。14億を食わせるだけでも大変だ。昔「世界の工場」、今「ラストベルト」に変容しつつあるのではないか。世界制覇という中共の夢は永遠に夢のままで終わりそうである。(2020/4/18)