雀庵の「常在戦場/113 神道は日本の心の基礎・基底」
“シーチン”修一 2.0
【Anne G. of Red Gables/393(2021/11/17/水】寝坊して朝食も取らずにいたら珍しくカミサンが我が隔離室に来た。
「まだ生きてます」と挨拶したが、何となく彼女が世話している金魚みたいな感じ・・・飼育されている老いたペット、お迎えが来るまでこの水槽のような静かで慣れ親しんだシェルター、天国に一番近いシマで過ごしたいものだ。小生の霊が1年は宿りそうな・・・鎌田東二著「神道とは何か 自然の霊性を感じて生きる」から。
<私は詩、ポエジーを抜きにした神道の理解は、根本理解を誤ると考えている。そのポエジーは日本人の日常生活の何気ない振る舞いや仕種や体験の中に息づいている。
例えば、初日の出を拝む、朝日に向かって手を合わす、初物の作物を神に捧げる、ご先祖さまにお供えをする。そのような日常に伝承されてきた振る舞いや暮らし振りの中に日本人の生活感情や美的感情、「文化的遺伝子」が伝えられている。
ラフカディオ・ハーン(小泉八雲)は、そうした日本人の美的感性様式を最も深く、本質的なところから取り出すことに成功した>
ハーンは「杵築―日本最古の神社」(1890年9月)で、こう記している(杵築=きづき、島根県出雲市)。
「神道の計り知れない悠久の歴史を考えれば、『古事記』などは、現代の言葉からはほど遠い古語で書かれているとはいえ、ごく最近の出来事の記録集にしかすぎないであろう。神道を解明するのが難しいのは、つまるところ、西洋における東洋研究者が、その拠り所を文献にのみ頼るからである。
ところが、神道の本髄は、書物の中にあるのでもなければ、儀式や戒律の中にあるのでもない。風変わりな迷信や、素朴な神話や、奇怪な呪術のずっと奥に、民族の魂ともいえる強力な精神がこんこんと脈打っている。日本人の本能も活力も直感も、それと共にある」(岡本雅享「神と妖怪は紙一重 小泉八雲と水木しげるの世界」)
鎌田氏は「宮崎駿監督の映画『となりのトトロ』を見れば神道がより明瞭に理解できるだろう」と言うが、小生は「宮崎は高畑勲と同じくただのアカ」という認識だから、ちょっと驚いた。敗戦は宮崎が4歳の時で、GHQやら日共&戦後リベラル≒アカの自虐史観をもろに植え付けられた世代なのだ。ジブリ『熱風』2013年7月号の「憲法改正特集」に宮崎はこう書いている(インタビューのよう)。
<今、半藤一利さんの『昭和史』を読んでいるんですけど、もう辛くて。読めば読むほど日本はひどいことやってるわけですから。何でよその国に行ってそんな戦争をしたのかと思います。他の道はなかったのか、満州事変を起こさずに済んでいたら、何か変わったんだろうかと思いますが。
中国の周りには、ソ連もいたけど、イギリスはいる、ちょっと離れりゃフランスもオランダもアメリカもいて、世界中が集まっていた。そういう歴史を人間が踏んできた、ということを抜きにして、日本だけが悪人ということではないと思いますけど、そうかといって「最後に入っただけなのに、俺はなぜ捕まるんだ?」と言うのもおかしい。「おまえは強盗だったんだよ」ということですから。満州に行った知人たちが、どういうことをやって、どういう風に威張りくさってたかという話もおふくろから随分聞きました。そういう話を聞く度に、本当に日本人はダメだと思いました。
そんなことで、大人になってからも、日本の歌は唄いたくなかったんです。それで「祖国の灯
のために戦わん」とかのロシア民謡を唄いながら「そういう祖国があればいいのにな」と思っていました。じゃあ、ロシアがいいのかといえば、そうも思っていなかったんですが、僕はあまりにも自分の中に何もないので、「自分よりも大切なものが何かあるんじゃないか」と思っていたんです。
僕が日本を見直したのは、30代になって初めてヨーロッパへ行って帰って来た時です。ヨーロッパといっても、ほんの一部、スウェーデンをうろうろしただけですけれど、帰って来てみると、自分がどれだけこの島の植物や自然が好きかということがよくわかったんです。人がいなければ日本はものすごくきれいな島だと思った。
日本の国や日の丸が好きになったのではなく、日本の風土というのは素晴らしいものだという認識を持つようになりました。貧乏であるとか、ゆとりがあるとかというのとは関係なしに、豊かな環境の中にいると思いました。明治神宮にすごい森があって、それが人間の作った森だということなどがわかってきた。そんな土地の力を持っている島にいるんだということが、実に緩やかに少しずつわかってきたんです>
文中の「半藤」は1980年前後から月刊「文藝春秋」を戦後リベラルから反日容共の偏向報道に向かわせ、結果的に同誌を100万部から20万部あたりに激減させた張本人ではないか。今さら産経に広告を打っても Too late, baby, now it's too late! と思うが。
(小生は「文藝春秋」の読者ではなかったが、1974年頃まで同誌に敬意を持っていて、ひょんなことから大量のバックナンバーを専門学校の図書室に納めたことがある。同誌は岩波「世界」と共に敬意を表されていたオピニオン誌だったのだ、難し過ぎて小生は興味を覚えなかったが)
宮崎は日共のようなマルクス・レーニン主義のアカではなさそうだが、GHQ監修「東京裁判」史観や文藝春秋に汚染された自虐病左巻き患者のよう、「日本人のいない日本」が好きなのだ。ジェノサイドで日本人を一掃して支那人や半島人を移住させる気か? すぐに日本らしさも森も消えるだろう。
ジョン・マケイン曰く「戦争には全てがある、感動から絶望まで、友情から裏切りまで、喜怒哀楽、美醜、人間の、人生の、全てがある」。それは分かる人には分かるが、アカに洗脳された分かりたくない人、残念な生きものには永遠に分からない・・・(ウーン、激しい憎悪、ビョーキが再発しそうだ、落ち着くんだ、自分!) 本題に戻ろう、鎌田氏の「神道=トトロ」論から。
<都心から郊外に引っ越してきた考古学者一家が、家の近くの森に住んでいるトトロと出会う。そのトトロを最初に発見するのは四、五歳ぐらいの童女、メイであった。「七歳までは神のうち」という諺が民間伝承として残されているように古来、子供はより神に近い存在として考えられ、神の言葉を述べ伝える依代(よりしろ)、依童(よりわら)として大切にされた。
神社における祭りの神事で、子供が稚児行列や、また祇園際のような神霊の宿る依代となることがあるのは、神に最も近い純真無垢な神性を持つ存在として子供を尊崇してきたからであった。
そのような内に神性を秘めた神の領分にあるメイが、森の主であるトトロという動物に出会った。トトロは楠の巨木の大きな洞の中に生息している。その楠の根元には注連縄(しめなわ)が張られ、その前に小さな祠(ほこら)が建っている。神主のいないその祠は、村人たちが守り大切にしていた共同体の中心(センター)でもある。その共同体の紐帯をなす鎮守の森に、トトロは森の王とも神とも言えるような主(ぬし)として生息していたのである。
この主神(ぬしがみ)トトロにメイは出会い、そして考古学学者一家はこの主の住む社に引っ越しの挨拶をしに行く。その時、父親の考古学者はメイに「いつでもトトロに会えるとは限らないんだよ。トトロに会えたお前はとても運が良かったのだよ。昔は人間は木と仲良しだった。木と話をしていた」と語る。
「古事記」や祝詞の中に、古代においては草木も石も言葉を発していたという文章が見える。祝詞の中に「言問いし岩根木根たち、草の片葉」という定型的な詞章が出てくる。それは岩も木も草木も葉っぱもみな言葉を話し、互いに意思疎通(コミュニケーション)しあっていたという世界である。それは自然の霊性が自然であるままに命の交歓を果たしている姿であるといえよう。
木は空に語り、空は海に語る。海は岩に語り、岩は風に語る。風は人に語る。
そのような語り合いの融和的交歓(コミュニオン)が命のつながりとして、存在の連鎖として、言葉を超えた、言霊(ことだま)的なつながりの中で生き生きと実感されていたのである。
自然の霊性に通じ合うという感覚は先住民族(ネイティブ)の文化に共通して見られる。アニミズムやシャーマニズム的な感覚とも言える。19世紀末の宗教進化論では、それらを「低次で未開、野蛮な宗教」とするが、原初的な感覚、感性、霊性がその後の宗教思想、教義、芸術表現の土壌になったと考えるべきだ。神道はそういう原初の霊性的感覚を強く保持した民族文化である。
考古学者一家、とりわけ四、五歳ほどの童女がトトロという森の主と語り合い、通じ合うということは、子供が最も神に近い存在であり、神霊と交信する依代的、依童的力を持っていることの表現である。
命の根幹に通じていくということは、命をして命たらしめている力やエネルギー、目に見えない存在に対して、感覚を開いていくことである。そして、様々な力が自然や自己の中に流れ込み、繋がっていることを感知する。
それはおそらく死に近づいている老人や、最も原初的な生の輝きに包まれている子供の中に、より純粋に認められるものであろう>
死に近づいている老人・・・俺は純真無垢な子供に帰っているような・・・ハーンはそんな純粋性、幼児性、神道的なるものへの感受性、親和性があったのだろう。
著者の鎌田氏は小生と同学年だ。<鎌田東二(かまたとうじ、1951年3月20日 - )は、日本の哲学者、宗教学者。上智大学グリーフケア研究所特任教授、京都大学名誉教授、放送大学客員教授、日本臨床宗教師会副会長。神職の資格を持ち、神道ソングライターとして作曲活動も行っている。水神祥(みなかみあきら)の名で小説も書いた>(WIKI)
神道は日本(人)を日本(人)たらしめている基底、根底のようである。奥が深くて、学べば学ぶほど好奇心をそそられるが、国際情勢も急速に“戦時”に向かっているようなので、とりあえず筆をおく。カナリアは忙しいのだ(まあ、勝手な思い込みだろうが・・・)。
・・・・・・
目安箱:ishiifam@minos.ocn.ne.jp
https://blog.goo.ne.jp/annegoftotopapa4646
まぐまぐID 0001690154「必殺クロスカウンター」
“シーチン”修一 2.0
【Anne G. of Red Gables/393(2021/11/17/水】寝坊して朝食も取らずにいたら珍しくカミサンが我が隔離室に来た。
「まだ生きてます」と挨拶したが、何となく彼女が世話している金魚みたいな感じ・・・飼育されている老いたペット、お迎えが来るまでこの水槽のような静かで慣れ親しんだシェルター、天国に一番近いシマで過ごしたいものだ。小生の霊が1年は宿りそうな・・・鎌田東二著「神道とは何か 自然の霊性を感じて生きる」から。
<私は詩、ポエジーを抜きにした神道の理解は、根本理解を誤ると考えている。そのポエジーは日本人の日常生活の何気ない振る舞いや仕種や体験の中に息づいている。
例えば、初日の出を拝む、朝日に向かって手を合わす、初物の作物を神に捧げる、ご先祖さまにお供えをする。そのような日常に伝承されてきた振る舞いや暮らし振りの中に日本人の生活感情や美的感情、「文化的遺伝子」が伝えられている。
ラフカディオ・ハーン(小泉八雲)は、そうした日本人の美的感性様式を最も深く、本質的なところから取り出すことに成功した>
ハーンは「杵築―日本最古の神社」(1890年9月)で、こう記している(杵築=きづき、島根県出雲市)。
「神道の計り知れない悠久の歴史を考えれば、『古事記』などは、現代の言葉からはほど遠い古語で書かれているとはいえ、ごく最近の出来事の記録集にしかすぎないであろう。神道を解明するのが難しいのは、つまるところ、西洋における東洋研究者が、その拠り所を文献にのみ頼るからである。
ところが、神道の本髄は、書物の中にあるのでもなければ、儀式や戒律の中にあるのでもない。風変わりな迷信や、素朴な神話や、奇怪な呪術のずっと奥に、民族の魂ともいえる強力な精神がこんこんと脈打っている。日本人の本能も活力も直感も、それと共にある」(岡本雅享「神と妖怪は紙一重 小泉八雲と水木しげるの世界」)
鎌田氏は「宮崎駿監督の映画『となりのトトロ』を見れば神道がより明瞭に理解できるだろう」と言うが、小生は「宮崎は高畑勲と同じくただのアカ」という認識だから、ちょっと驚いた。敗戦は宮崎が4歳の時で、GHQやら日共&戦後リベラル≒アカの自虐史観をもろに植え付けられた世代なのだ。ジブリ『熱風』2013年7月号の「憲法改正特集」に宮崎はこう書いている(インタビューのよう)。
<今、半藤一利さんの『昭和史』を読んでいるんですけど、もう辛くて。読めば読むほど日本はひどいことやってるわけですから。何でよその国に行ってそんな戦争をしたのかと思います。他の道はなかったのか、満州事変を起こさずに済んでいたら、何か変わったんだろうかと思いますが。
中国の周りには、ソ連もいたけど、イギリスはいる、ちょっと離れりゃフランスもオランダもアメリカもいて、世界中が集まっていた。そういう歴史を人間が踏んできた、ということを抜きにして、日本だけが悪人ということではないと思いますけど、そうかといって「最後に入っただけなのに、俺はなぜ捕まるんだ?」と言うのもおかしい。「おまえは強盗だったんだよ」ということですから。満州に行った知人たちが、どういうことをやって、どういう風に威張りくさってたかという話もおふくろから随分聞きました。そういう話を聞く度に、本当に日本人はダメだと思いました。
そんなことで、大人になってからも、日本の歌は唄いたくなかったんです。それで「祖国の灯
のために戦わん」とかのロシア民謡を唄いながら「そういう祖国があればいいのにな」と思っていました。じゃあ、ロシアがいいのかといえば、そうも思っていなかったんですが、僕はあまりにも自分の中に何もないので、「自分よりも大切なものが何かあるんじゃないか」と思っていたんです。
僕が日本を見直したのは、30代になって初めてヨーロッパへ行って帰って来た時です。ヨーロッパといっても、ほんの一部、スウェーデンをうろうろしただけですけれど、帰って来てみると、自分がどれだけこの島の植物や自然が好きかということがよくわかったんです。人がいなければ日本はものすごくきれいな島だと思った。
日本の国や日の丸が好きになったのではなく、日本の風土というのは素晴らしいものだという認識を持つようになりました。貧乏であるとか、ゆとりがあるとかというのとは関係なしに、豊かな環境の中にいると思いました。明治神宮にすごい森があって、それが人間の作った森だということなどがわかってきた。そんな土地の力を持っている島にいるんだということが、実に緩やかに少しずつわかってきたんです>
文中の「半藤」は1980年前後から月刊「文藝春秋」を戦後リベラルから反日容共の偏向報道に向かわせ、結果的に同誌を100万部から20万部あたりに激減させた張本人ではないか。今さら産経に広告を打っても Too late, baby, now it's too late! と思うが。
(小生は「文藝春秋」の読者ではなかったが、1974年頃まで同誌に敬意を持っていて、ひょんなことから大量のバックナンバーを専門学校の図書室に納めたことがある。同誌は岩波「世界」と共に敬意を表されていたオピニオン誌だったのだ、難し過ぎて小生は興味を覚えなかったが)
宮崎は日共のようなマルクス・レーニン主義のアカではなさそうだが、GHQ監修「東京裁判」史観や文藝春秋に汚染された自虐病左巻き患者のよう、「日本人のいない日本」が好きなのだ。ジェノサイドで日本人を一掃して支那人や半島人を移住させる気か? すぐに日本らしさも森も消えるだろう。
ジョン・マケイン曰く「戦争には全てがある、感動から絶望まで、友情から裏切りまで、喜怒哀楽、美醜、人間の、人生の、全てがある」。それは分かる人には分かるが、アカに洗脳された分かりたくない人、残念な生きものには永遠に分からない・・・(ウーン、激しい憎悪、ビョーキが再発しそうだ、落ち着くんだ、自分!) 本題に戻ろう、鎌田氏の「神道=トトロ」論から。
<都心から郊外に引っ越してきた考古学者一家が、家の近くの森に住んでいるトトロと出会う。そのトトロを最初に発見するのは四、五歳ぐらいの童女、メイであった。「七歳までは神のうち」という諺が民間伝承として残されているように古来、子供はより神に近い存在として考えられ、神の言葉を述べ伝える依代(よりしろ)、依童(よりわら)として大切にされた。
神社における祭りの神事で、子供が稚児行列や、また祇園際のような神霊の宿る依代となることがあるのは、神に最も近い純真無垢な神性を持つ存在として子供を尊崇してきたからであった。
そのような内に神性を秘めた神の領分にあるメイが、森の主であるトトロという動物に出会った。トトロは楠の巨木の大きな洞の中に生息している。その楠の根元には注連縄(しめなわ)が張られ、その前に小さな祠(ほこら)が建っている。神主のいないその祠は、村人たちが守り大切にしていた共同体の中心(センター)でもある。その共同体の紐帯をなす鎮守の森に、トトロは森の王とも神とも言えるような主(ぬし)として生息していたのである。
この主神(ぬしがみ)トトロにメイは出会い、そして考古学学者一家はこの主の住む社に引っ越しの挨拶をしに行く。その時、父親の考古学者はメイに「いつでもトトロに会えるとは限らないんだよ。トトロに会えたお前はとても運が良かったのだよ。昔は人間は木と仲良しだった。木と話をしていた」と語る。
「古事記」や祝詞の中に、古代においては草木も石も言葉を発していたという文章が見える。祝詞の中に「言問いし岩根木根たち、草の片葉」という定型的な詞章が出てくる。それは岩も木も草木も葉っぱもみな言葉を話し、互いに意思疎通(コミュニケーション)しあっていたという世界である。それは自然の霊性が自然であるままに命の交歓を果たしている姿であるといえよう。
木は空に語り、空は海に語る。海は岩に語り、岩は風に語る。風は人に語る。
そのような語り合いの融和的交歓(コミュニオン)が命のつながりとして、存在の連鎖として、言葉を超えた、言霊(ことだま)的なつながりの中で生き生きと実感されていたのである。
自然の霊性に通じ合うという感覚は先住民族(ネイティブ)の文化に共通して見られる。アニミズムやシャーマニズム的な感覚とも言える。19世紀末の宗教進化論では、それらを「低次で未開、野蛮な宗教」とするが、原初的な感覚、感性、霊性がその後の宗教思想、教義、芸術表現の土壌になったと考えるべきだ。神道はそういう原初の霊性的感覚を強く保持した民族文化である。
考古学者一家、とりわけ四、五歳ほどの童女がトトロという森の主と語り合い、通じ合うということは、子供が最も神に近い存在であり、神霊と交信する依代的、依童的力を持っていることの表現である。
命の根幹に通じていくということは、命をして命たらしめている力やエネルギー、目に見えない存在に対して、感覚を開いていくことである。そして、様々な力が自然や自己の中に流れ込み、繋がっていることを感知する。
それはおそらく死に近づいている老人や、最も原初的な生の輝きに包まれている子供の中に、より純粋に認められるものであろう>
死に近づいている老人・・・俺は純真無垢な子供に帰っているような・・・ハーンはそんな純粋性、幼児性、神道的なるものへの感受性、親和性があったのだろう。
著者の鎌田氏は小生と同学年だ。<鎌田東二(かまたとうじ、1951年3月20日 - )は、日本の哲学者、宗教学者。上智大学グリーフケア研究所特任教授、京都大学名誉教授、放送大学客員教授、日本臨床宗教師会副会長。神職の資格を持ち、神道ソングライターとして作曲活動も行っている。水神祥(みなかみあきら)の名で小説も書いた>(WIKI)
神道は日本(人)を日本(人)たらしめている基底、根底のようである。奥が深くて、学べば学ぶほど好奇心をそそられるが、国際情勢も急速に“戦時”に向かっているようなので、とりあえず筆をおく。カナリアは忙しいのだ(まあ、勝手な思い込みだろうが・・・)。
・・・・・・
目安箱:ishiifam@minos.ocn.ne.jp
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