総力挙げて核武装を急げ
“シーチン”修一
【雀庵の「大戦序章」303/通算734 2024(令和6)年6/25/火】営繕作業は涼しい早朝7時からにしているが、一仕事を終えた10時には汗でぐっしょり。昨日は着替えしても汗が続くので温度計を見たら32℃、今季初めてクーラーを点けた。夏子の季節到来か?! 油断大敵、熱中症に気を付けるべし。戦老ヂヂイにはまだまだやるべきことが山積しているのだ。小生より10歳上、83歳の古森義久先生も頑張っている!
Japan In-depth 2024/6/19、「古森義久の内外透視 『極右』というレッテル言葉の偏向」から(初出は日本戦略研究フォーラム6/18)。
<イタリアで開かれた今回のG7サミット(主要7ヵ国首脳会議)では議長役のイタリアのジョルジャ・メロー二首相が活躍した。世界の主要な民主主義諸国の首脳の集いを国際的な女性リーダーとしてみごとに仕切ったわけだ。
だが日本の主要メディアはこのメロー二氏に一貫して「極右」というレッテルを貼ってきた。極端で過激で非民主的なイメージを持つこの表現には特定の政治偏見がにじむ。同じ「極右」という用語はフランスの有力政治家のマリーヌ・ルペン氏やアルゼンチンの大統領になったハビエル・ミレイ氏にも貼り付けられてきた。国民多数が自由で民主的な選挙で支持した指導者がなぜ「極」なのか。その用語を使う側こそ極端な政治的立場をとっているのではないか。
日本の新聞やテレビなど主要メディアのニュース報道で「極右」という用語が頻繁に使われるようになったのは今回は欧州連合(EU)の議会選挙が契機だった。欧州の合計27ヵ国が加盟するEUは国家同士の境界を低くする国際組織で、その全体方針を決める欧州議会の議員を5年に1度、各国内で選出する。全議席は720、その配分は各国の人口に合わせ、最多がドイツの96議席、最少はキプロスなどの6議席とされる。今回のこの選挙は各国で6月上旬に実施され、その結果、保守とされる政党が多くの国で議席を画期的に伸ばしたのだった。
この場合の「保守」を日本の主要メディアや欧州のリベラル系メディアは「極右」と呼ぶのである。その種の「保守」の政策とはEU本部の加盟各国に対する権限の肥大への反対、移民の大幅な流入への反対、各国の主権や独自の文化、歴史、言語の重視などが特徴である。これらがなぜかテロ組織をも連想させる「極右」という否定的なレッテルを貼られるのだ。
今回の欧州議会選挙ではまずドイツでは「ドイツのための選択肢(AfD)」がショルツ首相が率いる与党を破り、第二党となった。フランスではルペン氏が代表する「国民連合」がマクロン大統領の率いる与党連合を大差で破り、同大統領を国民議会の解散へと追いこんだ。イタリアでもメロー二首相が率いる「欧州保守改革(ECR)」が議席を大きく伸ばした。
だが日本の主要メディアは今回の選挙で勝利した政党や政治グループをみな一様に「極右」と呼ぶのだ。一国の国内での民主的で自由で開放された選挙で多数派が票を投じて示した政治選択肢がなぜ「極」なのか。「極」といえば、極端、極度など特別な例外を意味する。超少数派の超過激な傾向をも示唆する。まして「右」、つまり右翼という左翼がよく使う実態のない攻撃的形容の用語がそこについているのだ。その表現には非民主的、軍事独裁という感じのイメージまでが透けてみえる。
民主的な主権国家の国民多数が自由な選挙で自主的に選んだ政党や政策が極端とか極度とか過激と呼べるはずがない。日本のメディアのこの用語は一部ではヨーロッパの左傾やリベラル系メディアの慣行を真似たところもあるようだ。そもそも右とか左という区分はその言葉を使う当事者が政治的にどんな位置に立つかでがらりと変わる。考察者自身が左翼であれば、ほぼすべての異見は右翼ということになる。
歴史的に右翼、左翼という表現はフランス革命での議会で現状を保持する側が右、改革を主張する側が左という由来から始まったとされる。だが現実の政治ではアメリカでも日本でもまず共産主義革命や社会主義改革を唱える側が最もわかりやすい左翼となっている。いわゆるリベラル派も左傾だろう。
そしてこの左傾斜の側は自分たちと異なる政治志向をごく簡単に「右翼」と決めつける。その右翼という言葉は守旧、頑迷、差別というようなネガティブな響きがつきまとう。だがその「右翼」というレッテルの中身が具体的になにを意味するのか、左翼の側はまず語らない。要するにののしり言葉に近いのである。
左翼は自由とか人権、博愛というような概念が自分たちの独占であり、右翼はそれらを軽視するとも主張する。だが共産主義の一党独裁とアメリカの保守主義での個人の自由の尊重をくらべれば、そんな主張はまさに左翼の独善であることがわかる。現に欧州で「極右」という用語を頻繁に使うメディアはみなリベラル系、グロバーリズム推進派、エリート志向だといえる。
イタリアのメロー二氏も長年、「極右政治家」と呼ばれてきた。だが民主的なプロセスで首相になった。当然ながらイタリア国民の多数が彼女を支持したからだ。だがそれでも「極右」なのか。
フランスのルペン女史も同様に多くのメディアから「極右」とのレッテルを貼られてきた。だがフランス国民の多数が自由民主主義の選挙のなかで、彼女を支持するのだ。だから「極」という言葉はあてはまらないだろう。
いまの欧州ではこれまでのEU執行部のあり方への批判が強まっている。EUの基盤のメンバー国から自国の政府や国民の意志を軽視や無視する傾向が強すぎるという不満が高まっていることは否定のしようがない。そのEU執行部が長年、推進してきた外部からの移民の大量流入に対しても加盟国の間で強い反対が起きていることも明白である。
ではこのEU批判、移民反対という政策は自動的に「極右」と断じられるべきなのか。この理屈を拡大すると、EUから脱退したイギリスの国家も国民も「極右」だということになる。日本でもこうした現実をみすえて、他国の政治傾向を乱雑に断定することは避けるべきである>以上
戦前から戦後間もない頃まで岩波書店に勤めていた女性の回顧録(書名失念)によると、戦前の岩波書店の社長室には「五箇条の御誓文」が掲げられていたという。「五箇条の御誓文」は――
◎「広ク会議ヲ興シ万機公論ニ決スヘシ」(広く会議を開いて、すべての政治は人々の意見によって行われるようにしよう)
◎「上下心ヲ一ニシテ盛ニ経綸ヲ行フヘシ」(上の者も下の者も心を1つに、国を治めていこう)
◎「官武一途庶民ニ至ル迄各其志ヲ遂ケ人心ヲシテ倦マサラシメン事ヲ要ス」(身分にかかわらずに、誰もが志を全うし、その意思を達成できるようにしよう)
◎「旧来ノ陋習ヲ破リ天地ノ公道ニ基クヘシ」(今までの悪しき習慣はやめて、国際社会に合った行動をしよう)
◎「智識ヲ世界ニ求メ大ニ皇基ヲ振起スヘシ」(新しい知識を世界から学び、天皇が国を収める基礎を築いていこう)
という訓示で、徳川幕府をリーダーとした幕藩体制の統治から明治維新による官民一体の統治、富国強兵を大いに進めていこうという指針を示したものだ。
上記の女性によると、1945年の日本敗戦後に岩波はすっかりアカ(共産主義者)に乗っ取られ、朝から社内で日共の機関紙「新聞・赤旗」を読む人が増え、やがて彼女は岩波から追放されたという。岩波社長室の「五箇条の御誓文」はとっくに廃棄されていたようだが、どうなっているのだろう。戦前の岩波と戦後の岩波は月とスッポンと心得た方が良い。
最近、30年振りに読み返した吉村昭著「海の祭礼」(1989年、文春文庫)は、書名などキャッチコピーを重視するライター&編集者だった小生からすれば「何だこれ? 『米国ペリー提督らによる幕末日本侵略記』とかにしたら良いのに」と残念に思ったが、ロシアを含めた列強諸国によっていいように翻弄された幕末は実に悲惨だった。
当時の世界は情け容赦なしの弱肉強食の時代であり、明治政府が必死になって先進国入りを目指したのは正しい判断だった。勇武の武士道精神、さらに戦国時代の1548年前後に種子島に鉄砲が伝来、やがて世界有数の鉄砲生産輸出国になったこともあるという技術力があったからこそだ。しかし戦国時代が終わり徳川幕藩体制に移行して以来、鎖国という「一国平和主義」は良かったものの、晩年は経年劣化で餓狼のような列強諸国の前ではひたすら無残だった。
幕末の1854/安政元年以降に米・蘭・露・英・仏の5ヵ国の列強と結んだ不平等条約の完全撤廃は半世紀を経た1911/明治44年。<明治維新以後は新政府の最重要課題の一つとして条約改正交渉が断続的に行われたが、その進展は芳しくなかった。領事裁判権の撤廃と双務的最恵国待遇の獲得は日清戦争直前の1894年、関税自主権の完全回復は日露戦争後の1911年のことであった>(WIKI)。先輩たちの汗と涙と命の末に列強と肩を並べる一人前の国家「大日本帝国」になることができたわけだ。
現在「列強」とか「大国」と見なされるのはアメリカ、ロシア、日本、中国、イギリス、フランス、ドイツの7ヶ国あたりのようだ。第2次大戦の敗者である日本&ドイツ以外は核兵器を保有している。戦勝国は日独の核兵器保有を警戒しているが、共産主義独裁の悪の枢軸=中露北との戦争でドイツはNATO(北大西洋条約機構)加盟国なので抑止力はある。一方で日本は「米国の核の傘」という、まったく当てにならない、誰も信じていない「夢想」「妄想」のままで思考停止状態だ。さらに日本にとって中露北はいずれもお隣さん・・・山口組、稲川会、住吉会の連合にかこまれているようなものだ。列強で一番脆弱なのは日本である。
産経2024/5/7、元空将・織田邦男氏の「正論: 日本は核抑止戦略の構築を急げ」から引用する。
<ウクライナ戦争で、核大国ロシアは非核保有国ウクライナを核で威嚇、恫喝した。その結果、核不拡散体制は瓦解寸前だ。北朝鮮が核放棄しないだけでなく、核保有を目指す覇権主義国家が続々と現れるだろう。核軍縮を目指す国連専門家パネルの消滅は、「核拡散」の引き金となるかもしれない。
破れつつある「核の傘」に執着し、中露北の脅威から目を背け、「非核三原則」を壊れたレコードのように繰り返すだけでは平和と安定は保てない。紙幅の関係上、中国の核については触れなかったが、問題は同じである。核の脅威にただ怯えているだけでは、それを保有している国からみれば、最も御し易い国に違いない。降りかかる「核の脅威」をどう撥ねのけるか。核抑止戦略の構築は待ったなしだ。タブーなき議論を直ちに開始し、早急に核抑止戦略を構築しなければならない>以上
物事には「重要事項」がいっぱいある。あれもこれも面倒なことばかりだが、真っ先に着手すべきは「優先事項」だ。総力を挙げて核武装すべし。
・・・・・・・・・
*読者諸兄の皆さま、御意見を! ishiifam@minos.ocn.ne.jp
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小生の記事は以下でもお読みいただけます。
渡部亮次郎 「頂門の一針」<ryochan@polka.plala.or.jp>
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【雀庵の「大戦序章」303/通算734 2024(令和6)年6/25/火】営繕作業は涼しい早朝7時からにしているが、一仕事を終えた10時には汗でぐっしょり。昨日は着替えしても汗が続くので温度計を見たら32℃、今季初めてクーラーを点けた。夏子の季節到来か?! 油断大敵、熱中症に気を付けるべし。戦老ヂヂイにはまだまだやるべきことが山積しているのだ。小生より10歳上、83歳の古森義久先生も頑張っている!
Japan In-depth 2024/6/19、「古森義久の内外透視 『極右』というレッテル言葉の偏向」から(初出は日本戦略研究フォーラム6/18)。
<イタリアで開かれた今回のG7サミット(主要7ヵ国首脳会議)では議長役のイタリアのジョルジャ・メロー二首相が活躍した。世界の主要な民主主義諸国の首脳の集いを国際的な女性リーダーとしてみごとに仕切ったわけだ。
だが日本の主要メディアはこのメロー二氏に一貫して「極右」というレッテルを貼ってきた。極端で過激で非民主的なイメージを持つこの表現には特定の政治偏見がにじむ。同じ「極右」という用語はフランスの有力政治家のマリーヌ・ルペン氏やアルゼンチンの大統領になったハビエル・ミレイ氏にも貼り付けられてきた。国民多数が自由で民主的な選挙で支持した指導者がなぜ「極」なのか。その用語を使う側こそ極端な政治的立場をとっているのではないか。
日本の新聞やテレビなど主要メディアのニュース報道で「極右」という用語が頻繁に使われるようになったのは今回は欧州連合(EU)の議会選挙が契機だった。欧州の合計27ヵ国が加盟するEUは国家同士の境界を低くする国際組織で、その全体方針を決める欧州議会の議員を5年に1度、各国内で選出する。全議席は720、その配分は各国の人口に合わせ、最多がドイツの96議席、最少はキプロスなどの6議席とされる。今回のこの選挙は各国で6月上旬に実施され、その結果、保守とされる政党が多くの国で議席を画期的に伸ばしたのだった。
この場合の「保守」を日本の主要メディアや欧州のリベラル系メディアは「極右」と呼ぶのである。その種の「保守」の政策とはEU本部の加盟各国に対する権限の肥大への反対、移民の大幅な流入への反対、各国の主権や独自の文化、歴史、言語の重視などが特徴である。これらがなぜかテロ組織をも連想させる「極右」という否定的なレッテルを貼られるのだ。
今回の欧州議会選挙ではまずドイツでは「ドイツのための選択肢(AfD)」がショルツ首相が率いる与党を破り、第二党となった。フランスではルペン氏が代表する「国民連合」がマクロン大統領の率いる与党連合を大差で破り、同大統領を国民議会の解散へと追いこんだ。イタリアでもメロー二首相が率いる「欧州保守改革(ECR)」が議席を大きく伸ばした。
だが日本の主要メディアは今回の選挙で勝利した政党や政治グループをみな一様に「極右」と呼ぶのだ。一国の国内での民主的で自由で開放された選挙で多数派が票を投じて示した政治選択肢がなぜ「極」なのか。「極」といえば、極端、極度など特別な例外を意味する。超少数派の超過激な傾向をも示唆する。まして「右」、つまり右翼という左翼がよく使う実態のない攻撃的形容の用語がそこについているのだ。その表現には非民主的、軍事独裁という感じのイメージまでが透けてみえる。
民主的な主権国家の国民多数が自由な選挙で自主的に選んだ政党や政策が極端とか極度とか過激と呼べるはずがない。日本のメディアのこの用語は一部ではヨーロッパの左傾やリベラル系メディアの慣行を真似たところもあるようだ。そもそも右とか左という区分はその言葉を使う当事者が政治的にどんな位置に立つかでがらりと変わる。考察者自身が左翼であれば、ほぼすべての異見は右翼ということになる。
歴史的に右翼、左翼という表現はフランス革命での議会で現状を保持する側が右、改革を主張する側が左という由来から始まったとされる。だが現実の政治ではアメリカでも日本でもまず共産主義革命や社会主義改革を唱える側が最もわかりやすい左翼となっている。いわゆるリベラル派も左傾だろう。
そしてこの左傾斜の側は自分たちと異なる政治志向をごく簡単に「右翼」と決めつける。その右翼という言葉は守旧、頑迷、差別というようなネガティブな響きがつきまとう。だがその「右翼」というレッテルの中身が具体的になにを意味するのか、左翼の側はまず語らない。要するにののしり言葉に近いのである。
左翼は自由とか人権、博愛というような概念が自分たちの独占であり、右翼はそれらを軽視するとも主張する。だが共産主義の一党独裁とアメリカの保守主義での個人の自由の尊重をくらべれば、そんな主張はまさに左翼の独善であることがわかる。現に欧州で「極右」という用語を頻繁に使うメディアはみなリベラル系、グロバーリズム推進派、エリート志向だといえる。
イタリアのメロー二氏も長年、「極右政治家」と呼ばれてきた。だが民主的なプロセスで首相になった。当然ながらイタリア国民の多数が彼女を支持したからだ。だがそれでも「極右」なのか。
フランスのルペン女史も同様に多くのメディアから「極右」とのレッテルを貼られてきた。だがフランス国民の多数が自由民主主義の選挙のなかで、彼女を支持するのだ。だから「極」という言葉はあてはまらないだろう。
いまの欧州ではこれまでのEU執行部のあり方への批判が強まっている。EUの基盤のメンバー国から自国の政府や国民の意志を軽視や無視する傾向が強すぎるという不満が高まっていることは否定のしようがない。そのEU執行部が長年、推進してきた外部からの移民の大量流入に対しても加盟国の間で強い反対が起きていることも明白である。
ではこのEU批判、移民反対という政策は自動的に「極右」と断じられるべきなのか。この理屈を拡大すると、EUから脱退したイギリスの国家も国民も「極右」だということになる。日本でもこうした現実をみすえて、他国の政治傾向を乱雑に断定することは避けるべきである>以上
戦前から戦後間もない頃まで岩波書店に勤めていた女性の回顧録(書名失念)によると、戦前の岩波書店の社長室には「五箇条の御誓文」が掲げられていたという。「五箇条の御誓文」は――
◎「広ク会議ヲ興シ万機公論ニ決スヘシ」(広く会議を開いて、すべての政治は人々の意見によって行われるようにしよう)
◎「上下心ヲ一ニシテ盛ニ経綸ヲ行フヘシ」(上の者も下の者も心を1つに、国を治めていこう)
◎「官武一途庶民ニ至ル迄各其志ヲ遂ケ人心ヲシテ倦マサラシメン事ヲ要ス」(身分にかかわらずに、誰もが志を全うし、その意思を達成できるようにしよう)
◎「旧来ノ陋習ヲ破リ天地ノ公道ニ基クヘシ」(今までの悪しき習慣はやめて、国際社会に合った行動をしよう)
◎「智識ヲ世界ニ求メ大ニ皇基ヲ振起スヘシ」(新しい知識を世界から学び、天皇が国を収める基礎を築いていこう)
という訓示で、徳川幕府をリーダーとした幕藩体制の統治から明治維新による官民一体の統治、富国強兵を大いに進めていこうという指針を示したものだ。
上記の女性によると、1945年の日本敗戦後に岩波はすっかりアカ(共産主義者)に乗っ取られ、朝から社内で日共の機関紙「新聞・赤旗」を読む人が増え、やがて彼女は岩波から追放されたという。岩波社長室の「五箇条の御誓文」はとっくに廃棄されていたようだが、どうなっているのだろう。戦前の岩波と戦後の岩波は月とスッポンと心得た方が良い。
最近、30年振りに読み返した吉村昭著「海の祭礼」(1989年、文春文庫)は、書名などキャッチコピーを重視するライター&編集者だった小生からすれば「何だこれ? 『米国ペリー提督らによる幕末日本侵略記』とかにしたら良いのに」と残念に思ったが、ロシアを含めた列強諸国によっていいように翻弄された幕末は実に悲惨だった。
当時の世界は情け容赦なしの弱肉強食の時代であり、明治政府が必死になって先進国入りを目指したのは正しい判断だった。勇武の武士道精神、さらに戦国時代の1548年前後に種子島に鉄砲が伝来、やがて世界有数の鉄砲生産輸出国になったこともあるという技術力があったからこそだ。しかし戦国時代が終わり徳川幕藩体制に移行して以来、鎖国という「一国平和主義」は良かったものの、晩年は経年劣化で餓狼のような列強諸国の前ではひたすら無残だった。
幕末の1854/安政元年以降に米・蘭・露・英・仏の5ヵ国の列強と結んだ不平等条約の完全撤廃は半世紀を経た1911/明治44年。<明治維新以後は新政府の最重要課題の一つとして条約改正交渉が断続的に行われたが、その進展は芳しくなかった。領事裁判権の撤廃と双務的最恵国待遇の獲得は日清戦争直前の1894年、関税自主権の完全回復は日露戦争後の1911年のことであった>(WIKI)。先輩たちの汗と涙と命の末に列強と肩を並べる一人前の国家「大日本帝国」になることができたわけだ。
現在「列強」とか「大国」と見なされるのはアメリカ、ロシア、日本、中国、イギリス、フランス、ドイツの7ヶ国あたりのようだ。第2次大戦の敗者である日本&ドイツ以外は核兵器を保有している。戦勝国は日独の核兵器保有を警戒しているが、共産主義独裁の悪の枢軸=中露北との戦争でドイツはNATO(北大西洋条約機構)加盟国なので抑止力はある。一方で日本は「米国の核の傘」という、まったく当てにならない、誰も信じていない「夢想」「妄想」のままで思考停止状態だ。さらに日本にとって中露北はいずれもお隣さん・・・山口組、稲川会、住吉会の連合にかこまれているようなものだ。列強で一番脆弱なのは日本である。
産経2024/5/7、元空将・織田邦男氏の「正論: 日本は核抑止戦略の構築を急げ」から引用する。
<ウクライナ戦争で、核大国ロシアは非核保有国ウクライナを核で威嚇、恫喝した。その結果、核不拡散体制は瓦解寸前だ。北朝鮮が核放棄しないだけでなく、核保有を目指す覇権主義国家が続々と現れるだろう。核軍縮を目指す国連専門家パネルの消滅は、「核拡散」の引き金となるかもしれない。
破れつつある「核の傘」に執着し、中露北の脅威から目を背け、「非核三原則」を壊れたレコードのように繰り返すだけでは平和と安定は保てない。紙幅の関係上、中国の核については触れなかったが、問題は同じである。核の脅威にただ怯えているだけでは、それを保有している国からみれば、最も御し易い国に違いない。降りかかる「核の脅威」をどう撥ねのけるか。核抑止戦略の構築は待ったなしだ。タブーなき議論を直ちに開始し、早急に核抑止戦略を構築しなければならない>以上
物事には「重要事項」がいっぱいある。あれもこれも面倒なことばかりだが、真っ先に着手すべきは「優先事項」だ。総力を挙げて核武装すべし。
・・・・・・・・・
*読者諸兄の皆さま、御意見を! ishiifam@minos.ocn.ne.jp
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渡部亮次郎 「頂門の一針」<ryochan@polka.plala.or.jp>
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