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中露は自滅&亡国の崖っぷち

2023-07-23 10:07:03 | 戦争
中露は自滅&亡国の崖っぷち
“シーチン”修一

【雀庵の「大戦序章」200/通算631 2023(令和5)/7/23/日】猛暑は続くよ どこまでも・・・日記帳を見たら7/1の小雨以来3週間も雨なし。多摩丘陵沿いの大きな用水路(新川、本川)では水が停滞して青藻がびっしり。水田は水が張っているからいいが、江戸時代から明治の頃までは干上がれば水争いで亡くなった人もいて、慰霊碑にはいつも花が手向けられている。戦争(緊張)と平和(休憩)・・・寄せては返す波の音、諸行無常だからこそこの世、人生は退屈しないのか? 晩年になると達観、諦観ではなく、どうも未練が高じるようである。「未練を好奇心に昇華する」と面白い老後になるのではないか。人生は好奇心だぁ!

子供の頃から近所の寿司屋で遊んだり手伝ったりしていたので「門前の小僧、習わぬ経を読み」、寿司は握れる、魚はさばけるようになった。鯵のタタキも得意だった。生まれながら好奇心が強いから楽しみながらいろいろなことができるようになったのは結構なことである。(一時期アカにかぶれたのは失敗だったが、転んでもただでは起きない、アカのダメさ加減を知ったという点では肥やしになったが・・・敵を殲滅しないと満足しないというアカ独特の偏狭で怪しい臭いが未だに抜けないのは気になる)

料理好き、ということもあって産経の月1連載「ウエカツ流サカナ道一直線」はいつも楽しく読んでいる。現役漁師が書いているのだが、文章が実に活き活きしており、言葉、表現が多彩、的確で、実に旨そうだ。どう見ても日に焼けた叩き上げの漁師が書くような文章ではない。例えばこんな具合。産経2023/3/17「ひと切れの刺し身が語るのは魚への愛」から。

<わたしたちが魚の肉を味わうとき、締め方=殺し方によってその味に差が出るのはどういうわけか。

魚の締め方には大きく分けて2通りある。ひとつは海水にたくさんの氷を入れ、そこに生きた魚を投じて殺す「野締め」。そしてもうひとつは、生きた魚を手鉤(てかぎ)や刃物で素早く殺す「活け締め」だ。野締めは魚が凍えながら死んでゆくのに対し、活け締めは一瞬で殺すので、魚は苦しみ少なく絶命する。最近よく聞く「神経締め」とは、神経の破壊を伴う活け締めのことだ。

肉のうま味の原料は、筋肉を動かすために蓄えられたエネルギー物質。なので、魚が暴れたり苦しんで死んだりすると原料は疲労物質に変わり、うま味はそのぶん減ることになる。そうならないために魚の脳を壊して動きを止め、次に脳死状態にある魚の血管を切って時間の経過や空気との接触によって生臭みに変わる血液を出し、最後に、神経から筋肉への指令を断つために、背骨の上に通る神経を針金などで壊す。

この3段階に加え、そもそも締める前の魚が疲れていてはいけないので、獲ってきた魚を静かに生かして休ませる。締めたあとは、肉の保存がいいように適度に冷やすが、冷やし過ぎてもいけない。

この全5工程を体系的な技術として完成させ、伝承してきたのが、前回お話しした兵庫の明石であり(明石浦漁協の70年の技)、その技術は漁師が獲ってきた魚の持つ本当の価値、すなわち旨さと保存性を最大に高めるための英知なのであった。世に聞こえる〝明石のタイ〟はダテじゃない。

結果として切り出される刺し身のひと切れは、いわばその魚の履歴書。その魚がどのように育ち、獲られ、扱われ、締められて今ここに在るのかを物語る。白濁しない身の透明感は、疲れぬよう苦しまぬようにと扱った者の愛の証し。しっとり弾む食感は、まだ命が宿っている驚き。滑らかな断面と優しい甘みの余韻は、その魚の本当の力。自ら「神経締め」を世に伝え歩いて20余年。願わくば奪った魚たちの命が人間の血肉となり、昇華することを祈っている。(ウエカツ水産代表 上田勝彦)>

成仏を祈りながら一瞬で松陰先生を斬首した「首切浅右衛」を思い出したが、ウエカツ、上田勝彦ってどういう方か? 産経2021/9/8によると――

<元漁師で元水産庁職員という異色の経歴を持ち、魚食の復興に取り組む〝ウエカツ〟こと上田勝彦さん。上田さんは大学時代にシイラ漁にかかわり、そのまま休学して漁師となった後、水産庁に入庁。南極海での調査捕鯨、太平洋でのマグロ資源開拓などにあたるなか、日本の〝魚離れ〟に危機感を抱き、退庁して魚食復興団体を立ち上げた。魚食の魅力を伝える活動に取り組み、〝魚の伝道師〟として知られる。ウエカツ水産代表。昭和39年生まれ、島根県出身。長崎大学水産学部卒。著書に「ウエカツの目からウロコの魚料理」など>

餅は餅屋、色々なジャンルで凄い人はいるものだ。「この道で生きる、極める!」と発奮し、夢中になって奮闘しているとやがて一流になる、トップクラスとして名を挙げるようになるのだろう。

ジャーナリストでは、小生は古森義久先生を尊敬している。1941/昭和16年生まれの82歳、柔道家でもあるから文武両道、小生よりちょうど10歳上だが、現役バリバリ。あやかりたいものだ。氏の連載「あめりかノート 米中対立は文明の衝突なのか」(産経2023/7/17)も勉強になった。以下抜粋する。

<米国と中国の対立は最近の両国高官の一連の会談にもかかわらず、険しさを増している。特に米側では両国の対立は民主主義と全体主義という政治理念のぶつかり合いだけではなく、文明の衝突だとする新たな見解が議会や中国研究界の有力者から表明されるようになった。

「文明の衝突」論とは米中両国はそもそも歴史、文化、伝統、社会、民族などを総合した文明が異なることが衝突の主因だとする考察である。米国の民主主義から中国の共産主義に対して個人の自由や人権の抑圧を非難するというイデオロギーの衝突だけではない、とする主張だ。その差異には人種の違いまでが含まれるため断層の認識は格段と深く、険悪な色をも帯びる。

米国で最近、国政レベルで中国との対立を「文明の衝突」と定義づけたのは上院有力メンバーのマルコ・ルビオ議員だった。共和党の論客として上院外交委員会で長年、活躍し、2016年の大統領選ではドナルド・トランプ氏に挑戦した政治家である。ルビオ議員の演説骨子から。

「私たちは今の世界で人間関係の在り方をめぐる衝突に直面している。米国が建国以来、最大の勝ちとしてきた個人の自由や創意に対し、中国はその種の西洋的文明は資本主義とともに終わりつつあると断じて挑戦してきた」
「中国の共産党政権は個人の創意や批判を抑え、服従を強いる。この種の挑戦は文明の衝突以外の何ものでもない」

ルビオ議員は今年の春以来、議会での対中政策論議などでこの種の「文明の衝突」論を繰り返してきた。その見解が中国研究のマイケル・ピルズベリー氏に支持されたことも注目に値する。氏は現在はヘリテージ財団の中国研究の中心であり、「新冷戦に勝つ 中国に反撃する計画」という政策勧告書を発表した。ルビオ議員が演説したのはその発表の集会だった。氏はその場でも「文明の衝突」に同意した。氏に直接その見解を尋ねてみると、以下の答えが返ってきた。

「ソ連との対立はイデオロギーが主因だった。だが、ソ連とは宗教も含めて、西洋文明や歴史認識などといった共通項があった。一方、中国とは文明が異なる。民族、社会、歴史、文化、伝統などの総合という意味で、文明が異質なのだ」
「中国側でも習近平主席らが『中国は西側とは異なる例外的な文明を有している』とよく述べている。その文明の相違は人種という要素をも含むため、細かな神経の配慮を要することにもなる」

この意見が現実の反映だとすれば、米中対立は政府高官の対話の推進などでは解決は程遠いということになろう>(以上)

「文明の衝突」・・・この言葉は米国の政治学者サミュエル・ハンティントンが1996年に著した国際政治学の著作のタイトルだ。当時は「ソ連が自壊(1991年)したから世界は安定する」といった楽観論が盛んだったことに対して「自由民主 vs 共産主義の米ソ対立というタガが外れたので、今度は宗教対立など文明間の衝突が起きる」と指摘したものだった。

現実はその通りで「文明の衝突」が世界中で沸き起こった。強権独裁で抑えられていた民族間の不信感や憎悪に火がつき、昨日の友は今日の敵、戦争、紛争でグチャグチャになってしまった。まるで百家争鳴。毛沢東が老衰死して文革が終わるとトウ小平は1980年前後から「改革開放」をスローガンに外資の導入を煽り、急速に資本主義経済化を進めていたため、当時は「天敵」ソ連の崩壊は大歓迎だったろう。

「先に豊かになれる人から豊かになればいい」というトウ小平の「先富論」はエリートの共産党員を発奮させて著しい経済成長をもたらしたが、一方で貧富の格差が異常なほどに大きくなり社会不安、特に農村戸籍の貧しい出稼ぎ者の絶望を産んでしまった。都市戸籍のエリートは都市部で働く出稼ぎ労働者を「臭くてきたない奴らと卑下していた」と2003年頃に訪中した小生の長女はビックリしていたものだ。

1997年にトウは亡くなるが、後任の江沢民、胡錦濤はトウ小平路線を継承していた。ところが2012年11月、習近平が中国共産党中央委員会で総書記・軍事委員会主席に選出され、2013年3月に国家主席に選出された後、習近平は暫く大人しくしていたが、2016年あたりから「新時代の中国の特色ある社会主義」という、毛沢東時代の共産主義独裁の政治・経済・社会を復活させるようになった。

それが習の「夢」であり、太平洋のミッドウェー以西からインド洋までを中共の版図に拡大し、毛沢東の「建国の父」に並ぶ「発展の父」になろうと軍事力の露骨な拡大に余念がない。

当然ながらG7など国際社会は警戒を強めるが、14億の中国市場は美味しいから、1.4億のプーチン・ロシア市場を圧迫するようには制裁できない。古人は「千万人と言えども我往かん(大勢に逆らっても俺は信じる道を行く)」と言っているが、「習近平、傲慢不遜なり、許すまじ、天誅をくらえ!」と怒る人は少ない。14億の市場・・・カネの力は偉大なり! 習近平は嘲笑っているだろう。 

そう言えばトウ小平の「改革開放」に松下幸之助(現・パナソニック)は尽力した。社史にはこうある。
<1979年(昭和54年)中国を訪問:かねて中日友好協会(廖承志会長)から招待を受けていた相談役(松下幸之助)は、1979年6月25日から7月4日まで訪中し、熱烈な歓迎を受けた。トウ小平副首相(当時)とは2回にわたり懇談し、旧交を温めた。この旅行を通して、相談役は「21世紀は日本や中国などの繁栄の時代。大きな視野で中国の近代化に協力しなければならない」との確信をさらに強め、帰国後、各界に積極的に働きかけた>

パナソニックは日本企業として初めて中国工場建設を決定、率先して中国に進出したが、習近平が「次期国家主席」の地位を固めていた2012年9月15日、尖閣諸島を巡る反日暴動で襲撃されてしまった。9月10日に日本政府が尖閣諸島を民間から買い上げ国有化することを閣議決定すると、「中国の各メディアは大々的に尖閣特番を編制し、中国国民の反日感情を煽り、連日に渡って反日デモが繰り返されるようになった」(WIKI)。

それを指揮したのは習近平(当時は副主席)で、「日本国内の一部の政治勢力が茶番を演じている」「日本は中国の主権と領土を侵害する過った言動をただちに止めるべきだ」などと日本を恫喝、牽制した(WIKI、読売2012/9/19)。「井戸を掘った人を忘れない」というトウ小平の改革開放路線の習による否定は、既にその頃には確固としてあったとしか言いようがない。

「始めちょろちょろ 中ぱっぱ 赤子泣くとも蓋取るな」、政敵の江沢民=上海閥、胡錦濤=共青団派を凡人を装い油断させ、昨年には遂に完全放逐し、完璧な独裁者になった習近平。「ついに頂点に立った!」といい気分だったろうが、満つれば欠けるは世の習い、登りつめれば下り坂。中国に寄り添い経済発展に大貢献したパナソニックも今や「空調生産で脱中国 大部分を国内移管」(産経2023/7/19)という状況になった。

“目が点”独裁者の習近平は自滅街道一直線。戦争に備え食糧増産で「退林還耕(育てた森林をつぶして耕作地に戻す)」政策を打ち出したり、就職難の若者に「上山下郷」(農村や辺境で働け)」を奨励したり・・・チャイナウォッチャーの石平氏が痛烈に批判している。

<上山下郷は明らかに、若者たちに対して、都市部での就業、あるいはIT業界などの花形産業での就職を諦めて農村や辺境へ赴き、「奉仕」することを勧めたものである。かつての毛沢東時代を体験した世代から見れば、そんなのは、文化大革命時の運動の〝復刻版〟でしかない。文革後半期、経済の崩壊で若者の就職先がほとんどなくなり用済みとなった紅衛兵たちを一斉に山間部や辺境の農村地域へと追いやったのがこの「上山下郷」運動であった。どうやら習近平政権は同じようなことをやろうとしているようだ。

しかし改革開放の時代に生まれ育った今の若者たちが、政権によるこのような姑息な「失業解消政策」に簡単に乗ることはない。「上山下郷」が人民日報で報じられると大不評となった。強制動員でもされない限り若者が政権の望む通りに農村や辺境へ行くことはまずないだろう。

(国家統計局では週に1時間以上の労働であれば「就業」としているが)実際の失業率は政府公表の20%を遥かに超えている。失業状況の悪化が続けば、行き場と生活の糧を失った若者たちの爆発は最早時間の問題だろう。習近平政権は今、いつ爆発するか分からない火口の中にある>(産経7/20)

内憂外患、同志のプーチンはヨレヨレだし、中国経済もかなり怪しくなってきた。それでも習は己の夢である「台湾・日本」への軍事侵攻、アジア・インド洋制覇を進めるのである。どうやって?

毛沢東流だと「敵が出れば引く、敵が引けば出る、このゲリラ戦で敵を消耗させ、疲れてきたようなら一気に殲滅する」ことになる。これは広大な陸地でのゲリラ戦では効果があるが、島国の台・日侵略では空戦と海戦でまずは空・海を制覇しなければ陸戦には進めない。ところが中共軍には空戦と海戦の実戦経験がほとんどない。脅しはできても実戦経験がないというのは致命的な弱点だ。

勝てなければ習はイタリアのムッソリーニ、イラクのフセインのように人民に殺されるだろう。それとも習はロシアに逃げるか? プーチンの方が先にベラルーシあたりに逃げていそうだ。諸行無常、金の切れ目が縁の切れ目・・・習を受け入れる国はイランぐらいか?

「核兵器を持つ国は持たない国に勝つ」はずだったが、核兵器を持たない国に対して核兵器を使えば世界中から総スカンを食らう。習プーチンはどうする? 熱戦で自滅・亡国するか、冷戦でゆるやかに自滅・孤独死するか、それとも侵略を止め国際ルールに従うか? 今のままなら自滅一直線である。決断の秋だが、独裁者は聞く耳を持たず、自滅の道を行くのだろう。
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