雀庵の「ヴェノナ:我らの内なるスパイ網(3」
“シーチン”修一 2.0
【Anne G. of Red Gables/267(2021/3/8/月】コロナ菌が滞留しないように窓を開ける、うーっ、へっくしょん、花粉症で鼻はムズムズ、目はかゆい、「たまらんなあ」と花粉を避けるために窓を閉める、暫くして再びコロナ菌が滞留しないように窓を開ける・・・「開けたり閉めたり」、何となく無意味で、シーシュポスの岩の徒労のような感じがしないでもない。
栄耀栄華を極めた古代ギリシャも古代ローマに飲み込まれて遺跡を残すのみ・・・敗者を徹底的に叩き潰して二度と立ち上がれないようにするのがルールだったのだろう。その反面、戦勝国でも、善政だろうが悪政だろうが永遠に続く国はない。シナ大陸では唐(618~907)は289年、明(1368~1644)は276年、清(1636~1912)も276年で、300年を超えて存続できた王朝は一つもない。加藤徹氏の「貝と羊の中国人」にはこうあるそうだ(孫引き)。
<中国史の経験則に照らしあわせると、中華人民共和国はすでに「建国期」を終え「最盛期」にさしかかりつつある。ただ、早くも貧富の格差拡大や環境破壊、少数民族の独立運動など、さまざまな問題が影を落とし始めている。
北宋の最盛期はわずか30年あまりで終わった。官僚主義の蔓延と、国防費の増大のせいであった。中共の最盛期が、北宋なみの短期間で終わるか、それとも清朝なみの長期にわたるか。中国政府が今後、党や官僚の腐欺を一掃して、軍事費の増大を抑えられるかどうかが、重要なポイントとなるであろう>
腐敗を一掃し、軍事費の増大を抑える・・・手を付けたら速攻で中共は内乱になり、再生はあり得ない。1949年建国の中共は100年もたないだろう。驕れるもの久しからず、盛者必滅の理・・・咲いては散り、散っては咲くか。
「年年歳歳花相似たり、歳歳年年人同じからず」、人も相似たりで、建設的に進歩したり、解体的に後退したり。人生は寄せては返す波の如しか。無意味と言えば無意味だが、蓋棺を前に「自分なりに納得できる人生だった」と思えれば上出来なのかもしれない。スパイのゾルゲと手下の尾崎秀実はにこやかに刑場へ向かったとか。「我が心の祖国ソ連のために我らは素晴らしい仕事ができた」という満足感があったろう。二人はロシアでは英雄とされている。
我にも正義、彼にも正義、戦争は正義と正義の衝突だ。勝てば官軍、負ければ賊軍、どんな手を使おうが勝てばいい。エゲツナイが人間世界もジャングルの掟、ボーっとしていれば餌食になる。「ヴェノナ 解読されたソ連の暗号とスパイ活動」からの続き。
<◆浮上した「ヴェノナ作戦」:ソ連諜報組織のKGBから(配下の支部である)コミンテルンへの指令文書を調べるうちに、ソ連スパイの親玉であったフィチン対外諜報部門局長による問い合わせ対象の一人にコプロン(女)の名を発見した。彼女は司法省の調査員で、FBIの防諜関係のファイルにアクセスできた。
1949年、FBIはコプロンがそのファイルを在米のKGB、グビチェフに手渡している現場を押さえて逮捕した。グビチェフは米国人工作員を動かす仕事をしていた。FBIの元捜査官ラムフィアは、「1940年代の末、FBIはコプロンをソ連スパイとして警戒していたが、その情報の出所はNSA(国家安全保障局)で、1944年にモスクワと在米KGBの通信を解読したところ、コプロンがソ連のスパイであることが分かった」と1986年に刊行した回想録に記している。
彼は「NSAによる暗号解読により米で原発開発に当たっていた英物理学者のフックス、ローゼンバーグ夫妻も“原爆スパイ”として逮捕された」と書いていたが、ヴェノナ文書について1990年代前半には米国でも世界でもほとんど知られていなかった。
◆「ヴェノナ公開に踏み切るべきだ」」:1995年頃までNSAはヴェノナ文書公開に否定的だったが、実はNSA内部でも「公開すべし」という動きはあり、(ソ連の弱体化が顕著になってきた)1980年には「ヴェノナは諜報作戦として続けていく価値がない」として(解読と摘発の)中止が決定していた。ヴェノナは「歴史」になっていたのである。
我々はこうしたNSA内部の議論はまったく知らなかったから、NSAが1995年7月11日に我々(歴史家)も招いてヴェノナ文書公開を発表、実行した時は本当に驚いたものだ。以来NSAは2年間で1900以上の文書、計5000ページ以上を公開していった。これらを読み(スパイ網の関係性や内容を知り)理解するのは大変な作業であったが、極めて重要な作業である。
なぜなら、それによって多くの歴史の空白部分を埋めることができ、これまでしばしば証拠として「不十分」とされてきた多くのFBIファイルや議会証言をはっきりと確証することができるからである。「ヴェノナ文書」という新しい証拠の出現で、これまで我々の行ってきたいくつかの歴史の評価や判断を修正する必要がある、ということも明らかになった。
◆ソ連諜報部の僕だった米国共産党:「ヴェノナ文書」公開以前の1992年、我々は「アメリカの共産主義運動 大いなる自虐」を出版した。この中で我々は「米国共産党員の中には米国に敵対するソ連の諜報活動を支援した者がいた」という動かぬ証拠を明らかにしたが、当時は証拠の数は限られていたので、慎重を期して次のように書いていた。
「確かにイデオロギー上は、米国共産党は合衆国よりも“共産主義の祖国”(ソ連)に忠誠を誓っていたが、実際にソ連のスパイとなった米国共産党員はごくわずかしかいなかった。ソ連が米国の共産主義活動家の中からスパイをリクルートしていたことは事実だが、諜報活動が米国共産党の本来的な活動であったわけではない。
共産党は、飽くまで政治活動を通じ共産主義運動とソ連の利益を推進するのが務めであり、他方、諜報活動はソ連諜報機関の仕事として区別されていた。米国共産党を、ソ連の対米諜報活動のための手足だったとか、ソ連の『第五列』(隠れ支援者、適性国民、売国奴)だったとみなしてしまうのは行き過ぎだと言わねばならない」
しかし我々がリッツキドニー(モスクワのロシア現代史資料保存研究センター)で発見した大量の証拠文書や「ヴェノナ」の解読文で明らかになった多くの事実をパソコン上で繋ぎ合わせてゆくと、「ごくわずか」どころか、膨大な数の米国共産党員が合衆国におけるソ連の諜報活動を進んで引き受け、積極的に推進していた事実が明らかになった。
特に「ヴェノナ文書」を詳細に検討していくと、米国共産党の各地の地区書記や党の最高権力機関である政治局の多くのメンバー、そして党書記長自らが、はっきりそれと知りつつソ連のスパイ活動に関与していたことが分かる。つまり、諜報活動は米国共産党の本来的・組織的な活動として行われてきたのである。
もちろん米国共産党のことを徹頭徹尾、冷戦における『ソ連の第五列』そのものであり、それ以外のものでは全くなかった、とまで断じれば、やはり誇張のそしりを免れないだろう。米国共産党の最大の目標は、やはり政治活動を通して共産主義の大義やソ連の国益を推進することにあったのだろう。
しかし他方で米国共産党は実際には米ソ冷戦時代に合衆国の内部で、合衆国に敵対する形で『ソ連の第五列』として活動していた、ということも同様に真実だった、と言わねばならないのである>(つづく)
・・・・・・・・
アカは乙女チックな夢物語、理想を説くが、結局は党益=私益=独裁主義者で、権力を握れば人民を暴力で反論もできないように押さえつける、あるいは容赦なく拘束する、殺す、その手のヤクザ、ゴロツキ、詐話師と認識していた方がいい。アカはその悪逆非道を「正義」と思っているからブレーキが利かないのだ。
アカの国はいずこも死屍累々。アカは「思想」「正義」「平等」の仮面をかぶった殺人鬼、強盗、悪政ウイルスであり、本来は情け容赦なく隔離、除菌、処刑するのが一番いいのだ。「それは思想信条宗教の自由があるから・・・」とためらっていると、オウムや世界赤軍のように無差別大量虐殺を起こしかねない。「違法行為がないから」と野放しにしておけば甚大な被害を被ることになる。アカは異端を決して許さず、気に食わない者は異端者、反革命分子とレッテルを張り、まるで家畜伝染病の動物のごとく情け容赦なく殺処分するのだ。ソ連、中共、カンボジア、北朝鮮・・・死屍累々。
すこぶる怪しいイカレポンチながら野放しされていた岡本公三は1972年5月30日、テルアビブ空港乱射で仲間2人とともに26人を無差別殺戮、負傷73人という大事件を起こした。狂気・凶器的な岡本らを予防拘禁にでもしておけば事件は防げたのだ。人道、人権を言うのなら、まず被害者のそれを優先すべきだろう。
失敗から学ばないどころか「犯罪者に寄り添う」「身代金を払う」ような愚劣な“私は正義病”志向がオウムの地下鉄サリン事件になってしまったのではないか。アカやカルト、原理主義者などイカレポンチを甘い目で見ていると大怪我をするぞ、警戒すべし、ということだ。
小生は再発を恐れるキ○ガイ≒カガイシャ系だから、その際は適切な治療を受けたいとは思うが、寄り添って欲しいとは思わない。被害者にこそ静かに寄り添い、慰めるべきだろうが、日本では被害者を見捨ててゴロツキに寄り添う外道ばっかり。日弁連、学術会議はアカの巣窟。
大体、自由民主人権法治支持者はアカへの警戒心が薄過ぎる。米国の共産主義者は今は“リベラル仮面”を被っているが、本質はキューバ応援団のサンダースのように一党独裁志向だ。
アカに洗脳されると除染に10年20年もかかる。“一度アカ、一生アカ”が初期設定。
「ヂヂイの余計な節介や、うざったいがな、やめてんか、てアンタは思うやろうが、ワシみたいに遠回りする人生はマイナスが大きいさかいな、老婆心や。青春彷徨、さ迷い歩いて疲れ果てて、そいで死に神が憑りつきやすくなるんやで。視野狭窄になってもうて厭離穢土欣求浄土、さよならだけが人生だ、てな絶望感に陥ったり。知らんやろ? 亀の甲より年の功や。遠回りせんで、しっかり観察しながら歩けば躓いたり穴に落ちることもあるまいて。
邪教のマルクソ本なんぞ全部嘘やで、読めば読むほど脳ミソが壊れていくんや。そう言えば大先輩の奥浩平の命日は3月6日やったなあ。マルクソ読み過ぎて脳ミソいかれて22歳で逝ってしもうた。女も人生も知らずに・・・生きていれば78歳や。そうそう、奥先輩も師事した田中正司先生は去年亡くなったそうや。96歳の大往生。マルクソを教えると長生き、師事したゼミ生はワシが知っておるだけで3人自殺や。ワシは蘇生してもうたが・・・
山本実彦の改造社は戦前、マルクソ全集と円本で大儲けしたいうが、マルクソ本は今でも商売道具としてはそこそこ売れてるみたいや。皮肉なことにマルクソ流共産主義経済で成功した国は一つもなく、ソ連は自壊、中共は国家独占資本主義に転換して急成長したいうが息切れするんとちゃうか。
ま、どう生きようとアンタの自由やが、“アカ好きんちゃん気をつけて”、ヂヂイの遺言を何ぞの時は思い出してくれや>
遠回り、近道、脇道、裏道、坂道、王道・・・どこを行くのもを好き好きだが、「邪道はやがて身を亡ぼす」ことになるだろう。
目安箱:ishiifam@minos.ocn.ne.jp
https://blog.goo.ne.jp/annegoftotopapa4646
“シーチン”修一 2.0
【Anne G. of Red Gables/267(2021/3/8/月】コロナ菌が滞留しないように窓を開ける、うーっ、へっくしょん、花粉症で鼻はムズムズ、目はかゆい、「たまらんなあ」と花粉を避けるために窓を閉める、暫くして再びコロナ菌が滞留しないように窓を開ける・・・「開けたり閉めたり」、何となく無意味で、シーシュポスの岩の徒労のような感じがしないでもない。
栄耀栄華を極めた古代ギリシャも古代ローマに飲み込まれて遺跡を残すのみ・・・敗者を徹底的に叩き潰して二度と立ち上がれないようにするのがルールだったのだろう。その反面、戦勝国でも、善政だろうが悪政だろうが永遠に続く国はない。シナ大陸では唐(618~907)は289年、明(1368~1644)は276年、清(1636~1912)も276年で、300年を超えて存続できた王朝は一つもない。加藤徹氏の「貝と羊の中国人」にはこうあるそうだ(孫引き)。
<中国史の経験則に照らしあわせると、中華人民共和国はすでに「建国期」を終え「最盛期」にさしかかりつつある。ただ、早くも貧富の格差拡大や環境破壊、少数民族の独立運動など、さまざまな問題が影を落とし始めている。
北宋の最盛期はわずか30年あまりで終わった。官僚主義の蔓延と、国防費の増大のせいであった。中共の最盛期が、北宋なみの短期間で終わるか、それとも清朝なみの長期にわたるか。中国政府が今後、党や官僚の腐欺を一掃して、軍事費の増大を抑えられるかどうかが、重要なポイントとなるであろう>
腐敗を一掃し、軍事費の増大を抑える・・・手を付けたら速攻で中共は内乱になり、再生はあり得ない。1949年建国の中共は100年もたないだろう。驕れるもの久しからず、盛者必滅の理・・・咲いては散り、散っては咲くか。
「年年歳歳花相似たり、歳歳年年人同じからず」、人も相似たりで、建設的に進歩したり、解体的に後退したり。人生は寄せては返す波の如しか。無意味と言えば無意味だが、蓋棺を前に「自分なりに納得できる人生だった」と思えれば上出来なのかもしれない。スパイのゾルゲと手下の尾崎秀実はにこやかに刑場へ向かったとか。「我が心の祖国ソ連のために我らは素晴らしい仕事ができた」という満足感があったろう。二人はロシアでは英雄とされている。
我にも正義、彼にも正義、戦争は正義と正義の衝突だ。勝てば官軍、負ければ賊軍、どんな手を使おうが勝てばいい。エゲツナイが人間世界もジャングルの掟、ボーっとしていれば餌食になる。「ヴェノナ 解読されたソ連の暗号とスパイ活動」からの続き。
<◆浮上した「ヴェノナ作戦」:ソ連諜報組織のKGBから(配下の支部である)コミンテルンへの指令文書を調べるうちに、ソ連スパイの親玉であったフィチン対外諜報部門局長による問い合わせ対象の一人にコプロン(女)の名を発見した。彼女は司法省の調査員で、FBIの防諜関係のファイルにアクセスできた。
1949年、FBIはコプロンがそのファイルを在米のKGB、グビチェフに手渡している現場を押さえて逮捕した。グビチェフは米国人工作員を動かす仕事をしていた。FBIの元捜査官ラムフィアは、「1940年代の末、FBIはコプロンをソ連スパイとして警戒していたが、その情報の出所はNSA(国家安全保障局)で、1944年にモスクワと在米KGBの通信を解読したところ、コプロンがソ連のスパイであることが分かった」と1986年に刊行した回想録に記している。
彼は「NSAによる暗号解読により米で原発開発に当たっていた英物理学者のフックス、ローゼンバーグ夫妻も“原爆スパイ”として逮捕された」と書いていたが、ヴェノナ文書について1990年代前半には米国でも世界でもほとんど知られていなかった。
◆「ヴェノナ公開に踏み切るべきだ」」:1995年頃までNSAはヴェノナ文書公開に否定的だったが、実はNSA内部でも「公開すべし」という動きはあり、(ソ連の弱体化が顕著になってきた)1980年には「ヴェノナは諜報作戦として続けていく価値がない」として(解読と摘発の)中止が決定していた。ヴェノナは「歴史」になっていたのである。
我々はこうしたNSA内部の議論はまったく知らなかったから、NSAが1995年7月11日に我々(歴史家)も招いてヴェノナ文書公開を発表、実行した時は本当に驚いたものだ。以来NSAは2年間で1900以上の文書、計5000ページ以上を公開していった。これらを読み(スパイ網の関係性や内容を知り)理解するのは大変な作業であったが、極めて重要な作業である。
なぜなら、それによって多くの歴史の空白部分を埋めることができ、これまでしばしば証拠として「不十分」とされてきた多くのFBIファイルや議会証言をはっきりと確証することができるからである。「ヴェノナ文書」という新しい証拠の出現で、これまで我々の行ってきたいくつかの歴史の評価や判断を修正する必要がある、ということも明らかになった。
◆ソ連諜報部の僕だった米国共産党:「ヴェノナ文書」公開以前の1992年、我々は「アメリカの共産主義運動 大いなる自虐」を出版した。この中で我々は「米国共産党員の中には米国に敵対するソ連の諜報活動を支援した者がいた」という動かぬ証拠を明らかにしたが、当時は証拠の数は限られていたので、慎重を期して次のように書いていた。
「確かにイデオロギー上は、米国共産党は合衆国よりも“共産主義の祖国”(ソ連)に忠誠を誓っていたが、実際にソ連のスパイとなった米国共産党員はごくわずかしかいなかった。ソ連が米国の共産主義活動家の中からスパイをリクルートしていたことは事実だが、諜報活動が米国共産党の本来的な活動であったわけではない。
共産党は、飽くまで政治活動を通じ共産主義運動とソ連の利益を推進するのが務めであり、他方、諜報活動はソ連諜報機関の仕事として区別されていた。米国共産党を、ソ連の対米諜報活動のための手足だったとか、ソ連の『第五列』(隠れ支援者、適性国民、売国奴)だったとみなしてしまうのは行き過ぎだと言わねばならない」
しかし我々がリッツキドニー(モスクワのロシア現代史資料保存研究センター)で発見した大量の証拠文書や「ヴェノナ」の解読文で明らかになった多くの事実をパソコン上で繋ぎ合わせてゆくと、「ごくわずか」どころか、膨大な数の米国共産党員が合衆国におけるソ連の諜報活動を進んで引き受け、積極的に推進していた事実が明らかになった。
特に「ヴェノナ文書」を詳細に検討していくと、米国共産党の各地の地区書記や党の最高権力機関である政治局の多くのメンバー、そして党書記長自らが、はっきりそれと知りつつソ連のスパイ活動に関与していたことが分かる。つまり、諜報活動は米国共産党の本来的・組織的な活動として行われてきたのである。
もちろん米国共産党のことを徹頭徹尾、冷戦における『ソ連の第五列』そのものであり、それ以外のものでは全くなかった、とまで断じれば、やはり誇張のそしりを免れないだろう。米国共産党の最大の目標は、やはり政治活動を通して共産主義の大義やソ連の国益を推進することにあったのだろう。
しかし他方で米国共産党は実際には米ソ冷戦時代に合衆国の内部で、合衆国に敵対する形で『ソ連の第五列』として活動していた、ということも同様に真実だった、と言わねばならないのである>(つづく)
・・・・・・・・
アカは乙女チックな夢物語、理想を説くが、結局は党益=私益=独裁主義者で、権力を握れば人民を暴力で反論もできないように押さえつける、あるいは容赦なく拘束する、殺す、その手のヤクザ、ゴロツキ、詐話師と認識していた方がいい。アカはその悪逆非道を「正義」と思っているからブレーキが利かないのだ。
アカの国はいずこも死屍累々。アカは「思想」「正義」「平等」の仮面をかぶった殺人鬼、強盗、悪政ウイルスであり、本来は情け容赦なく隔離、除菌、処刑するのが一番いいのだ。「それは思想信条宗教の自由があるから・・・」とためらっていると、オウムや世界赤軍のように無差別大量虐殺を起こしかねない。「違法行為がないから」と野放しにしておけば甚大な被害を被ることになる。アカは異端を決して許さず、気に食わない者は異端者、反革命分子とレッテルを張り、まるで家畜伝染病の動物のごとく情け容赦なく殺処分するのだ。ソ連、中共、カンボジア、北朝鮮・・・死屍累々。
すこぶる怪しいイカレポンチながら野放しされていた岡本公三は1972年5月30日、テルアビブ空港乱射で仲間2人とともに26人を無差別殺戮、負傷73人という大事件を起こした。狂気・凶器的な岡本らを予防拘禁にでもしておけば事件は防げたのだ。人道、人権を言うのなら、まず被害者のそれを優先すべきだろう。
失敗から学ばないどころか「犯罪者に寄り添う」「身代金を払う」ような愚劣な“私は正義病”志向がオウムの地下鉄サリン事件になってしまったのではないか。アカやカルト、原理主義者などイカレポンチを甘い目で見ていると大怪我をするぞ、警戒すべし、ということだ。
小生は再発を恐れるキ○ガイ≒カガイシャ系だから、その際は適切な治療を受けたいとは思うが、寄り添って欲しいとは思わない。被害者にこそ静かに寄り添い、慰めるべきだろうが、日本では被害者を見捨ててゴロツキに寄り添う外道ばっかり。日弁連、学術会議はアカの巣窟。
大体、自由民主人権法治支持者はアカへの警戒心が薄過ぎる。米国の共産主義者は今は“リベラル仮面”を被っているが、本質はキューバ応援団のサンダースのように一党独裁志向だ。
アカに洗脳されると除染に10年20年もかかる。“一度アカ、一生アカ”が初期設定。
「ヂヂイの余計な節介や、うざったいがな、やめてんか、てアンタは思うやろうが、ワシみたいに遠回りする人生はマイナスが大きいさかいな、老婆心や。青春彷徨、さ迷い歩いて疲れ果てて、そいで死に神が憑りつきやすくなるんやで。視野狭窄になってもうて厭離穢土欣求浄土、さよならだけが人生だ、てな絶望感に陥ったり。知らんやろ? 亀の甲より年の功や。遠回りせんで、しっかり観察しながら歩けば躓いたり穴に落ちることもあるまいて。
邪教のマルクソ本なんぞ全部嘘やで、読めば読むほど脳ミソが壊れていくんや。そう言えば大先輩の奥浩平の命日は3月6日やったなあ。マルクソ読み過ぎて脳ミソいかれて22歳で逝ってしもうた。女も人生も知らずに・・・生きていれば78歳や。そうそう、奥先輩も師事した田中正司先生は去年亡くなったそうや。96歳の大往生。マルクソを教えると長生き、師事したゼミ生はワシが知っておるだけで3人自殺や。ワシは蘇生してもうたが・・・
山本実彦の改造社は戦前、マルクソ全集と円本で大儲けしたいうが、マルクソ本は今でも商売道具としてはそこそこ売れてるみたいや。皮肉なことにマルクソ流共産主義経済で成功した国は一つもなく、ソ連は自壊、中共は国家独占資本主義に転換して急成長したいうが息切れするんとちゃうか。
ま、どう生きようとアンタの自由やが、“アカ好きんちゃん気をつけて”、ヂヂイの遺言を何ぞの時は思い出してくれや>
遠回り、近道、脇道、裏道、坂道、王道・・・どこを行くのもを好き好きだが、「邪道はやがて身を亡ぼす」ことになるだろう。
目安箱:ishiifam@minos.ocn.ne.jp
https://blog.goo.ne.jp/annegoftotopapa4646