雀庵の「中共崩壊へのシナリオ(163」
“シーチン”修一 2.0
【Anne G. of Red Gables/262(2021/3/2/火】昨夜は適度なオシメリで、今朝の庭も空気も爽やかな春になっていた。12月頃に「今年の冬は越せるかなあ・・・」と思って、いささか焦り気味に雑文のようなものを書き散らしてきたが、チャリ散歩でコケて骨折しないように注意していれば数か月はイケるかもしれない、運次第か・・・
国家、世界も運次第という要素は常にある。「我々はどこから来たのか、我々は何者か、 我々はどこへ行くのか」。この言葉はしばしば引用されているのだろう、小生もずいぶん昔から口ずさんでいた気がする。キリスト教カトリックの教理問答が原点らしく、ゴーギャンがタヒチで描いた作品の名にしたことから世界中に広まったとか。
我々はどこから来たのか、そしてどこへ行くのか、目指すべき方向は・・・まったく教学・哲学志向の人にとっては悩ましい問題だが、それだけに実に興味を引くテーマではある。
日本のご先祖様、ルーツを探るのはやはり記紀、「古事記」「日本書紀」だろうと4年ほど前にチャレンジしたが、神様の名前が複雑怪奇で、「何となく読めたのは因幡の白兎ぐらい」という、ほとんど討ち死に、死屍累々の荒涼とした戦場ヶ原、諸行無常を思い知るというのが一般的だろう。古事記の最初(漢文の訓読み、青空文庫)から――
<天地の初発の時、高天原に成りませる神の名は、天御中主神。次に高御産巣日神。次に神産巣日神。この三柱の神は、みな独神に成りまして、身を隠れしたまひき。
次に国稚く、浮かべる脂の如くして水母なす漂へる時に、葦牙のごと萌え騰る物に因りて成りませる神の名は、宇摩志阿斯訶備比古遅神。次に天常立神。この二柱の神もみな独神に成りまして、身を隠したまひき・・・
宇比地邇神。次に妹須比智邇神。次に角杙神。次に妹活杙神二柱。次に意富斗能地神。次に妹大斗乃辨神。次に於母陀琉神。次に妹阿夜訶志古泥神。次に伊耶那岐神。次に妹伊耶那美神・・・>
これで挫折しなかったら天才か病気である。現代語訳だって難しい。「現代語譯 古事記 稗田の阿禮、太の安萬侶 武田祐吉訳」から。
<昔、この世界の一番始めの時に、天で御出現になつた神様は、お名をアメノミナカヌシの神といいました。次の神様はタカミムスビの神、次の神様はカムムスビの神、この御三方は皆お独で御出現になつて、やがて形をお隠しなさいました。
次に国ができたてで水に浮いた脂のようであり、水母のようにふわふわ漂つている時に、泥の中から葦が芽を出して来るような勢いの物によつて御出現になつた神樣は、ウマシアシカビヒコヂの神といい、次にアメノトコタチの神といいました。この方々も皆お独で御出現になつて形をお隠しになりました。以上の五神は、特別の天の神様です。
それから次々に現われ出た神様は、クニノトコタチの神、トヨクモノの神、ウヒヂニの神、スヒヂニの女神、ツノグヒの神、イクグヒの女神、オホトノヂの神、オホトノベの女神、オモダルの神、アヤカシコネの女神、それからイザナギの神とイザナミの女神とでした。
このクニノトコタチの神からイザナミの神までを神代七代と申します。そのうち始めの御二方はお独立ちであり、ウヒヂニの神から以下は御二方で一代でありました>
これなら相関図とかメモを書きながらならどうにか人間関係というか神関係が分かる。普及版ではアメノミナカヌシを「アメノミ様」とか略してくれたらいいのだが・・・「普及版『古事記』日本人の物語」・・・絶対売れると思う。
以下の結婚、子作りの話は穏やかな日本の人情風土を象徴しているようでとても感動的だ。
<そこで天の神様方の仰せで、イザナギの命(みこと)、イザナミの命御二方に、「この漂つている国を整えてしつかりと作り固めよ」とて、りつぱな矛(ほこ)をお授けになつて仰せつけられました。
それでこの御二方の神様は天からの階段にお立ちになつて、その矛をさしおろして下の世界をかき回され、海水を音を立ててかき回して引きあげられた時に、矛の先から滴(したゝ)る海水が、積つて島となりました。これがオノゴロ島です。その島にお降くだりになつて、大きな柱を立て、大きな御殿をお建たてになりました。
そこでイザナギの命が、イザナミの女神に「あなたの体は、どんなふうにできていますか」と、お尋ねになりましたので、「わたくしの体は、できあがつて、でききらない所が一か所あります」とお答えになりました。
そこでイザナギの命の仰せられるには「わたしの体は、できあがつて、でき過ぎた所が一か所ある。だからわたしのでき過ぎた所をあなたのでききらない所にさして国を生み出そうと思うがどうだろう」と仰せられたので、イザナミの命が「それがいいでしよう」とお答えになりました>
そしてイザナギ様の出っ張った凸状部位を、イザナミ様のへっこんだ凹状部位に入れて赤ん坊が生まれてメデタシメデタシ・・・とはならなかったのである。天の神様に相談すると、愛の告白の手順が間違っていた、まずは男から「好きだ」というのがルールだと教えられる。
<「それは女の方ほうが先に物を言つたので良くなかつたのです。帰り降つて改めて言い直したがよい」と仰せられました。そういうわけで、また降つておいでになつて、またあの柱を前のようにお回りになりました。今度はイザナギの命がまず「ほんとうに美うつくしいお孃さんですね」とおつしやつて、後にイザナミの命が「ほんとうにりつぱな青年ですね」と仰せられました>
かくして日本の島々が生まれてめでたしめでたし。男から誘い、女が了承して、夫唱婦随でいっぱい子供を産み育てなさい・・・大らかでいい神話だ。
古事記の完成した和銅5年(712年)以前から夫婦関係が結構怪しくなっており、一夫多妻や一妻多夫でトラブルが目立っていたのだろう、為政者としては安寧秩序のためにも「夫唱婦随、一夫一妻」を広めたかったのかもしれない。
聖徳太子の「十七条の憲法」が為政者への訓戒なら、記紀は日本の国柄を特徴づけ、方向づけた指針、綱領、家訓と言えそうだ。
戦略研究家のエドワード・ルトワックによると欧州の世界制覇はホメロスの「イリアス」が方向づけたという。イリアスを読んではいないが、ヘンリー・D・ソローの「ウォールデン」にそれについて書かれた箇所があるので読み直すと――
<詩人ミル・カマル・ウディン・マストはいう。「坐して魂の世界をかけめぐる――この利益を私は書籍において得た。ただ一杯の酒に酔う――この楽しみを私は密教の奥儀の酒をのんで味わった」
私はホメロスの「イリアス」を夏じゅうテーブルの上に置いておいた。たまにそのページを見るだけだったけれども。私は家を作り上げ、同時に豆畑の手入れをしなければならなかったので始めのうちは絶え間のない手仕事のためそれ以上勉強ができなかった。しかし、私は今にそういう読書ができるという望みをもって仕事を続けた。
仕事の合間に一、二冊浅薄な旅行記を読んだこともあったが、やがてそんなことをする自分が恥ずかしくなり、いったいおれが住んでいるのはどこなのだ、と自問したものだった。
学生は道楽や贅沢という危険をともなわず、ホメロスやアイスキュロスをギリシャ原文で読むことができる。それは彼がある程度まで書物の中の英雄たちと競い、朝の時間をそのページに捧げることを意味するからだ。英雄時代の書物は、我々の母国語で印刷された場合でさえ、堕落した時代にあっては常に不可解であるだろう。
我々は、日常の用法が我々の持つ知慧、勇気、寛大さから引き出しうるよりもっと大きな意味を推量しつつ、各語各行の意義を骨を折って求めなければならない。
近代の廉価な大量印刷は、あらゆる翻訳を産んでいるにもかかわらず、我々を古代の英雄に関する作家たちにほとんど一歩も近づけていない。彼らは相変わらず孤独で、彼らが印刷されている文字も、相変わらず珍しくて奇妙に見える。
古代語のただ幾つかの単語を学ぶだけでも、世間の俗塵をぬけだし不断の示唆と策励(さくれい)になるものだから、青春の日々と貴重な時間とを費やす値うちがある。百姓が聞いたことのある二、三のラテン語の言葉を覚えていて、それを操りかえすのは無駄なことではないのだ。
世の人はときどき、古典の研究がもっと近代的な実際的な学問に位を譲るだろうというようなことを言う。しかし気概のある学生は、どんな言葉でそれが書かれていようと、いかほど古くあろうと、つねに古典を学ぶだろう。
なぜなら古典とは人間の最も気高い記録された思想に他ならないのだから。それらはまだ滅びないで残っている唯一の神託であり、その内には最も近代的な問いかけに対して、デルフォイのアポロンの神託もドドナのゼウスの神託も決して与えなかったような解答があるからである。それをやめるくらいなら、自然は古いからといってそれを学ぶのを止めてよいことになってしまう>
ソローやルトワックは「イリアス」の中に何か人間の普遍的な性向を見ていたのだろうが、それは何か。次回にも考えていきたい。
目安箱:ishiifam@minos.ocn.ne.jp
https://blog.goo.ne.jp/annegoftotopapa4646
“シーチン”修一 2.0
【Anne G. of Red Gables/262(2021/3/2/火】昨夜は適度なオシメリで、今朝の庭も空気も爽やかな春になっていた。12月頃に「今年の冬は越せるかなあ・・・」と思って、いささか焦り気味に雑文のようなものを書き散らしてきたが、チャリ散歩でコケて骨折しないように注意していれば数か月はイケるかもしれない、運次第か・・・
国家、世界も運次第という要素は常にある。「我々はどこから来たのか、我々は何者か、 我々はどこへ行くのか」。この言葉はしばしば引用されているのだろう、小生もずいぶん昔から口ずさんでいた気がする。キリスト教カトリックの教理問答が原点らしく、ゴーギャンがタヒチで描いた作品の名にしたことから世界中に広まったとか。
我々はどこから来たのか、そしてどこへ行くのか、目指すべき方向は・・・まったく教学・哲学志向の人にとっては悩ましい問題だが、それだけに実に興味を引くテーマではある。
日本のご先祖様、ルーツを探るのはやはり記紀、「古事記」「日本書紀」だろうと4年ほど前にチャレンジしたが、神様の名前が複雑怪奇で、「何となく読めたのは因幡の白兎ぐらい」という、ほとんど討ち死に、死屍累々の荒涼とした戦場ヶ原、諸行無常を思い知るというのが一般的だろう。古事記の最初(漢文の訓読み、青空文庫)から――
<天地の初発の時、高天原に成りませる神の名は、天御中主神。次に高御産巣日神。次に神産巣日神。この三柱の神は、みな独神に成りまして、身を隠れしたまひき。
次に国稚く、浮かべる脂の如くして水母なす漂へる時に、葦牙のごと萌え騰る物に因りて成りませる神の名は、宇摩志阿斯訶備比古遅神。次に天常立神。この二柱の神もみな独神に成りまして、身を隠したまひき・・・
宇比地邇神。次に妹須比智邇神。次に角杙神。次に妹活杙神二柱。次に意富斗能地神。次に妹大斗乃辨神。次に於母陀琉神。次に妹阿夜訶志古泥神。次に伊耶那岐神。次に妹伊耶那美神・・・>
これで挫折しなかったら天才か病気である。現代語訳だって難しい。「現代語譯 古事記 稗田の阿禮、太の安萬侶 武田祐吉訳」から。
<昔、この世界の一番始めの時に、天で御出現になつた神様は、お名をアメノミナカヌシの神といいました。次の神様はタカミムスビの神、次の神様はカムムスビの神、この御三方は皆お独で御出現になつて、やがて形をお隠しなさいました。
次に国ができたてで水に浮いた脂のようであり、水母のようにふわふわ漂つている時に、泥の中から葦が芽を出して来るような勢いの物によつて御出現になつた神樣は、ウマシアシカビヒコヂの神といい、次にアメノトコタチの神といいました。この方々も皆お独で御出現になつて形をお隠しになりました。以上の五神は、特別の天の神様です。
それから次々に現われ出た神様は、クニノトコタチの神、トヨクモノの神、ウヒヂニの神、スヒヂニの女神、ツノグヒの神、イクグヒの女神、オホトノヂの神、オホトノベの女神、オモダルの神、アヤカシコネの女神、それからイザナギの神とイザナミの女神とでした。
このクニノトコタチの神からイザナミの神までを神代七代と申します。そのうち始めの御二方はお独立ちであり、ウヒヂニの神から以下は御二方で一代でありました>
これなら相関図とかメモを書きながらならどうにか人間関係というか神関係が分かる。普及版ではアメノミナカヌシを「アメノミ様」とか略してくれたらいいのだが・・・「普及版『古事記』日本人の物語」・・・絶対売れると思う。
以下の結婚、子作りの話は穏やかな日本の人情風土を象徴しているようでとても感動的だ。
<そこで天の神様方の仰せで、イザナギの命(みこと)、イザナミの命御二方に、「この漂つている国を整えてしつかりと作り固めよ」とて、りつぱな矛(ほこ)をお授けになつて仰せつけられました。
それでこの御二方の神様は天からの階段にお立ちになつて、その矛をさしおろして下の世界をかき回され、海水を音を立ててかき回して引きあげられた時に、矛の先から滴(したゝ)る海水が、積つて島となりました。これがオノゴロ島です。その島にお降くだりになつて、大きな柱を立て、大きな御殿をお建たてになりました。
そこでイザナギの命が、イザナミの女神に「あなたの体は、どんなふうにできていますか」と、お尋ねになりましたので、「わたくしの体は、できあがつて、でききらない所が一か所あります」とお答えになりました。
そこでイザナギの命の仰せられるには「わたしの体は、できあがつて、でき過ぎた所が一か所ある。だからわたしのでき過ぎた所をあなたのでききらない所にさして国を生み出そうと思うがどうだろう」と仰せられたので、イザナミの命が「それがいいでしよう」とお答えになりました>
そしてイザナギ様の出っ張った凸状部位を、イザナミ様のへっこんだ凹状部位に入れて赤ん坊が生まれてメデタシメデタシ・・・とはならなかったのである。天の神様に相談すると、愛の告白の手順が間違っていた、まずは男から「好きだ」というのがルールだと教えられる。
<「それは女の方ほうが先に物を言つたので良くなかつたのです。帰り降つて改めて言い直したがよい」と仰せられました。そういうわけで、また降つておいでになつて、またあの柱を前のようにお回りになりました。今度はイザナギの命がまず「ほんとうに美うつくしいお孃さんですね」とおつしやつて、後にイザナミの命が「ほんとうにりつぱな青年ですね」と仰せられました>
かくして日本の島々が生まれてめでたしめでたし。男から誘い、女が了承して、夫唱婦随でいっぱい子供を産み育てなさい・・・大らかでいい神話だ。
古事記の完成した和銅5年(712年)以前から夫婦関係が結構怪しくなっており、一夫多妻や一妻多夫でトラブルが目立っていたのだろう、為政者としては安寧秩序のためにも「夫唱婦随、一夫一妻」を広めたかったのかもしれない。
聖徳太子の「十七条の憲法」が為政者への訓戒なら、記紀は日本の国柄を特徴づけ、方向づけた指針、綱領、家訓と言えそうだ。
戦略研究家のエドワード・ルトワックによると欧州の世界制覇はホメロスの「イリアス」が方向づけたという。イリアスを読んではいないが、ヘンリー・D・ソローの「ウォールデン」にそれについて書かれた箇所があるので読み直すと――
<詩人ミル・カマル・ウディン・マストはいう。「坐して魂の世界をかけめぐる――この利益を私は書籍において得た。ただ一杯の酒に酔う――この楽しみを私は密教の奥儀の酒をのんで味わった」
私はホメロスの「イリアス」を夏じゅうテーブルの上に置いておいた。たまにそのページを見るだけだったけれども。私は家を作り上げ、同時に豆畑の手入れをしなければならなかったので始めのうちは絶え間のない手仕事のためそれ以上勉強ができなかった。しかし、私は今にそういう読書ができるという望みをもって仕事を続けた。
仕事の合間に一、二冊浅薄な旅行記を読んだこともあったが、やがてそんなことをする自分が恥ずかしくなり、いったいおれが住んでいるのはどこなのだ、と自問したものだった。
学生は道楽や贅沢という危険をともなわず、ホメロスやアイスキュロスをギリシャ原文で読むことができる。それは彼がある程度まで書物の中の英雄たちと競い、朝の時間をそのページに捧げることを意味するからだ。英雄時代の書物は、我々の母国語で印刷された場合でさえ、堕落した時代にあっては常に不可解であるだろう。
我々は、日常の用法が我々の持つ知慧、勇気、寛大さから引き出しうるよりもっと大きな意味を推量しつつ、各語各行の意義を骨を折って求めなければならない。
近代の廉価な大量印刷は、あらゆる翻訳を産んでいるにもかかわらず、我々を古代の英雄に関する作家たちにほとんど一歩も近づけていない。彼らは相変わらず孤独で、彼らが印刷されている文字も、相変わらず珍しくて奇妙に見える。
古代語のただ幾つかの単語を学ぶだけでも、世間の俗塵をぬけだし不断の示唆と策励(さくれい)になるものだから、青春の日々と貴重な時間とを費やす値うちがある。百姓が聞いたことのある二、三のラテン語の言葉を覚えていて、それを操りかえすのは無駄なことではないのだ。
世の人はときどき、古典の研究がもっと近代的な実際的な学問に位を譲るだろうというようなことを言う。しかし気概のある学生は、どんな言葉でそれが書かれていようと、いかほど古くあろうと、つねに古典を学ぶだろう。
なぜなら古典とは人間の最も気高い記録された思想に他ならないのだから。それらはまだ滅びないで残っている唯一の神託であり、その内には最も近代的な問いかけに対して、デルフォイのアポロンの神託もドドナのゼウスの神託も決して与えなかったような解答があるからである。それをやめるくらいなら、自然は古いからといってそれを学ぶのを止めてよいことになってしまう>
ソローやルトワックは「イリアス」の中に何か人間の普遍的な性向を見ていたのだろうが、それは何か。次回にも考えていきたい。
目安箱:ishiifam@minos.ocn.ne.jp
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