夫は、誤字脱字をみたら「オレにまかせろ」と思うほど、日本語には細かい人です。
そんな夫は、今まで読んだ本は何冊?と聞いたら、
「1500冊で止まっちゃったかな・・・」
「2000冊には届かなかった」
「その中で心に残った本は、2~3冊かな・・」
とつぶやくくらい、本が好きな人。
私の書く文章を読んだ夫が、
「もっと日本語を綺麗に書く人の本を読んだほうが良い」と一言。
あまりにも的を得たことを言われるので、
素直に夫のアドバイスは聞くことにしています。
が、夫おススメの本を読むと、眠気が来るのが早いですが・・。
それと、書き言葉と語り言葉の違いをよーく指摘されるので、
さすがに私の文章も変わってきつつある・・かな?!
そんな夫の母は、やはり本が好きなひと。
義母が読んだ本は、次に私に送られてくるときも。
私も本は好きなので喜んで読んでいます。
義母がチョイスする本は、私も興味がある本が多いので好みも似ている。
読みやすい本が多いのは助かりますね。
ちょっと前に送られてきた本の中に、五木寛之著「元気」がありました。
五木寛之氏の本は、自分では購入してまで読んだことがなかったので結構嬉しかった。
「元気」の中で、こんな一説が載っていた。
韓国では「恨」(はん)と言う言葉があります。
(日本では(こん)と読みますが)
その恨について、韓国で聞いたお話です。
韓国のおっかさんが、子供にむかって・・・
あなた達もやがて大人になっていく。
物心ついて子供ではなくなっていくんだろう。
たとえば、はっきりした原因もないのに、ふっと心が翳って、
えもいわれぬウツ状態になっていき、なんともいえない無気力感に
おそわれることがあるものなんだ、と。
なにも心配することもなく、恐れることもないんだよ。
それは人間には必ず一度はおとずれてくる普通の感情なんだ、と。
全ての人が心のなかに抱いている恨というものがそのとき目覚めて、
あなたのところに訪れてきただけなんだから。
人間はみんな恨を抱えて生きているものなんだ。
そして時々、その恨という厄介なものが訪れてくることがある。
一生のあいだに、何度も何度もそういうことを繰り返しながら
人は生きていくんだよ。
なんにも心配することはない。
そういうときはむしろ、がんばれ、がんばれ、と言って自分を励ましたり、
肩を怒らせて突っ張ったりするよりも、
むしろ背中をまるめて肩を落とし、しゃがみこんで、はぁーっ、、と、
胸の奥から大きなため息を何度も、何度もつくがいい。
はーっ、と何度も全身から大きなため息をついていると、
不思議なことに、それまで感じられていた恨の重さというものが
一瞬ちょっと軽くなったような気分になるものだ。
そうしたら、とりあえずそのときは立ち上がって歩いていけばいいじゃないか。
そのつど、そのつど、それをしのいでやっていけばいいんだ。
そのためには、肩を落として大きなため息をつくということも、
ひとつの方法なんだよ。
なるほどね~~~、と思いました。
ため息は、万国共通の呼吸法かな。
確かに、ツライときは「ため息を思いっきりついてみませんか?」
と言われた方が、気が楽になると思う。
ちなみに、今日は何をやっても上手くいきそうだ!という気分のとき、
こういう心の状態を恨が晴れる「恨晴」と言うそうです。
恨が通りすぎて行ったあとに「恨晴」という明るい世界が見えてくる。
いつまでも、同じ状況ではなく変化があると言うことですね。
プラス思考で変化を受け止めた方が、きっと良いことが待っている。
そう思うと、明日がくるのが楽しみだ。
と思ってため息を出すと、
なんかスンゴイ物が出ている気が・・・
そのあと、身体のシャキッと感が増します。