ロシア留学中・脱力進行中

モスクワ留学滞在記、スポーツ(特にテニス)のこと。他に趣味(漫画や音楽)等いろいろ・・・

愛に生き・・・

2007-06-08 23:01:03 | モスクワ留学記
6月1日(金)、19時40分クールスカヤ駅発。
この2年弱の留学の中で4度目、そして最後の海外旅行。
行き先はクリミア半島、同行者はСнежана。
翌2日(土)午後3時、クリヴォイ・ログ着。
彼女の家で風呂、晩飯を済ませ、8時発のバスでクリミアへ向かった。

20人乗りの小さいバスの車内は窮屈で、道路は悪く車体がガタガタ跳ねる。
8時間の道中、寝るのにすごい困った。しかも結構な音量で映画を流すし。。。
シンフェローポリで大部分が降り、最後の2時間強はやっと楽な体勢で眠れた。
ちなみに前回の日記とかで「ヤルタ」にいくと書いてしまったのだが、
これは俺の勘違いでした。彼女の提案した行き先はアルシタ。
ヤルタから海岸沿いに北西40㌔と少しほどに位置する町で、
世界的に有名なヤルタに対して、こちらは外国人にはかなり馴染みが薄そうな保養地。
これまでまったく名前を聞いたことがなかったし。
街中にも観光用の立派なホテルはかなり少ない感じだった。
ビーチに隣接する公園の一角に立派な建物を建設中だったけど。


3日(日)朝6時頃、アルシタに到着。
バスを降りた目の前で「部屋貸します」のおばさんに遭遇。
2件物件を見て、海岸から徒歩20分だが家具が新しく綺麗な部屋を借りることにした。
1番18ドル、6日間で計108ドル=588グリブナを払った。
滞在予定は2泊3日の予定なのだが、それだと期間が短すぎて
部屋を紹介してもらえないというСнежанаの機転(悪知恵?)で、
とりあえず1週間の滞在ということにし、3日目に急用が出来たとかで
払い戻しをお願いしよう、という事だった。いやいや、逞しいものだ。

シャワーを浴びた後、彼女のお母さんが作ってくれた朝ごはん用の弁当を食べ、
昼まで2人で少し寝た。さすがに10時間も車内にいたら疲れるわ。

1時過ぎ、支度をしてビーチへ出かける。宿泊場所から案外遠くて、
徒歩20分のはずが30分以上は楽にある距離だった。客引きおばさんの嘘つき!
結局3回ぐらい道を聞きながら、ビーチにたどり着いたのは2時近かった。
午前中は雨が降っていたので、気温は少し肌寒い。
いきなり泳ぐのは踏ん切りがつかず、日光浴で体を暖めた後、思い切って海へ。
いやいや、泳ぐのは1年半前のエジプト以来だ。
エジプトの時よりはさすがに暖かいので、気持ち良く泳ぐことが出来た。
ただ、ちょっと遠くのブイまで往復してみたら、死ぬほど息が切れて歳を痛感。
最近なんだか年齢を感じることが多いなぁ・・・とショックだった。

太陽が弱くなった夕方6時頃、ビーチを後にする。
市場で野菜などを買って宿泊場所へ帰る。そう、飯はすべて自分たちで作るのだ!
せっかくの旅行だし、どこかでディナーでも洒落てみたいもんだが、
貧乏旅行だし彼女の料理が食えるので、これで良しとしとこう。

宿泊部屋の台所は使い勝手は悪くないものの、食器や鍋はすごい汚かった。
自分1人だったらまず使おうと思わなかっただろうというくらい。
その辺ウクライナ人(ロシア人も)は変わっていて、
例えばそれなりにキレイな浴槽に湯を張るのは、赤の他人が使ったからと嫌がるのに、
食器は汚くても全然平気で、更に洗剤が無いので入浴剤で洗おうとしよった。
それはさすがに体に危険があるので、俺が走って市場で洗剤を買ってきた。
スポンジも汚いので新品を一緒に買ってしまいたかったが、
見当たらなかったのとスポンジの単語が分からなかったのでそこは諦めて妥協で。
しかし改めて感覚の違いというものが分かった瞬間で面白かった。
アルシタ1日目の晩飯はジャガイモ炒めとトマトときゅうりのサラダ。
その後2人でビールを飲みながらテレビを見ていたら、
Снежанаはいつの間にか寝てしまってた。バスで寝てなかったしさすがに疲れたかな?
俺も風呂&歯磨きをして寝た。夜中に1回起こされたけど。


4日(月)、アルシタ2日目、朝10時頃に起こされると朝飯が用意されていた。
(↑ちょっと新婚ぽい感じでいーねコレ、と一発ノロけを入れてみる俺)
朝飯のメニューは昨日の残りの野菜を使ったサラダに鶏肉のソテー。
やたらうまく焼きあがっている鶏肉に、調理品を買ってきたと思ったんだが、
冷蔵庫にあった肉の塊を見てびっくりした。
Снежанаが朝早く起きて市場に買いに行ってきたらしい。俺が惰眠を貪っている間に!
嬉しかったのと申し訳なかったのとで、食器は俺が洗った。当然か。
2日目はこれまた午前中に雨。俺は晴れ男のはずなんだが・・・ツイてない。
ちなみに彼女は雨女らしい。負けた。。。
2人で昼過ぎまでうだうだ昼寝したりしながら時間をつぶし、
ようやく雨が上がってビーチにいけたのが1時半。前日と変わりないし。
しかも前日よりも空が雲がちで、太陽の出ている時間が少なかった。
結局この日も思う存分日光浴できたとは言い難いが、
一気に日焼けしたら肌に悪いのでまぁいいかと自分を慰めてみる。
ビーチでビールと一緒に売られていた鮭の干物を飼った。
こっちでは、日本とはちょっと違うビーチの売り子たちの光景が面白かった。

この日も同じく6時頃にビーチを後にし、帰って一緒に晩飯の仕度。
メニューは朝飯と同じ。サラダに使う野菜と鶏肉の味付けは少し変えたけど。
で、晩飯を食ってビールを飲みながらテレビっていうパターンは前日と同じ。
ただ前日とちょっと違ってたことが2つ。
1つは晩飯後に高橋さんから俺に陣中見舞いの電話がかかってきたこと。
もう1つはその電話の後で初めて2人の間に言い争いがあったこと。
言葉の違いから来る勘違いというかスレ違いというか。
で、一つ一つすごく丁寧に説明してようやくお互い理解し納得しあえた。
互いの意思疎通が日本語だけで通じる事は簡単だし、
しかもそっちの方が絶対に良いのかもしれないけど、
こんな場合に俺は妙な意地を張って、相手に言い負けたくないために
話をこじらせてしまう場合が多々あるので、今回はロシア語で良かった。
いや~、頑張った。この会話がテストだったら80点は採れてただろう、フフフ。


5日(火)以降は次回に続く

敢えて航空券を手に

2007-06-01 22:31:46 | モスクワ留学記
6月になった。モスクワで過ごす最後の1ヶ月。
いよいよ長かった留学生活も終わりを告げようとしている。

今日、学校の1階にあるスタートラベルという旅行会社で航空券を買った。
6月29日(金)モスクワ発30日(土)成田着のアエロフロート。
学割チケットを買うために作ったISICの国際学生証とあわせて、
航空券代計14,550ルーブル。意外に安く済んでよかった。
この券はギリギリまで買いたくなかった。
買い損ねてもう1ヶ月くらい残ろうかな、とか思ってみたりしたが、
そんな事出来る訳がないので普通に買った。

5月アタマに、ごく最近知り合いになったみってぃ&マーサが、
6月末の航空券は残り少ないって言ってたので、
もしかしたら帰国は6月半ばになってしまうんでは、と心配したが、
29日という最も理想的な日付が取れたので良かった。

そういえば去年も帰国は29日だったな。去年はレーチカと一緒に大韓航空だった。
あの時の帰国は、また2ヵ月後にロシアに来ることが分かっていたので、
同期達との別れを惜しむ気持ちはあれどモスクワに対して思うことは無かった。
今回は、何よりもあと一ヶ月でモスクワを離れねばならないことが悲しい。
良い街だった。まぁ感慨にふけるのはあと1ヶ月思いっきり楽しんだ後で、
まとめてここに書こうと思うので後回しで。


とか何とかモスクワへの思いをつづりながら、2時間後にヤルタに向けて旅立つ俺。
徹底的に楽しんできます。更新はまた1週間後に。

ロシアの英雄 Kap.Ⅱ

2007-05-31 23:53:51 | 体操・フィギュアスケートその他スポーツ
5月31日(木)、ルージニキの小スポーツアリーナで
ネモフの体操ショー『Полёты Времени』を観てきた。
昨年5月17日に第1回のショーが行われ、今回は2度目。
前回はショー自体はイマイチだったものの、終了後の出待ちで
ネモフ、ヨブチェフ、ボンダレンコ、ホルキナ、ザモロドチコワ、パブロワ、
カバエワ、チャシナなど錚々たるメンバーと一緒に写真が撮れて最高だった。

前回は高めのチケットを買っても席はかなり遠かったので、
今回買った席は最も安い300ルーブル。それでも前回とそれほど変わらなかった気がする。
同行者は新4月生のNオコ嬢、Mリエ嬢、Sズエ嬢の3人。
彼女達は全く体操を知らないので、気に入ってくれるか心配だったが、
今回は2回目ともあり演出も洗練され、飽きることなく見ることが出来た。
特に休憩後の後半はトランポリンを2つ並べてその間を飛び交う、
漫画のようなアクロバティックな演技に魅了された。(写真参照)
体操よりこっちの方がすごかったり・・・
ネモフは前半の最後に鉄棒を一度演技しただけだったが、コバチは健在で、
さらにイワンコフ、ヨブチェフが凄く頑張ってくれて、見応えがあった。
ホルキナもサーカスの様な空中に吊るされた輪を使っての演技を披露してくれた。
後から知ったことだが、ツヴェトノイ・ブリバールのサーカスに、
ホルキナが出演していたらしい!なんてこった、見逃した!!大ショック。

終了後は彼女ら3人を半ば強引に誘っての出待ち。やはりこれは外せない。
前回は来て無かったイワンコフや観客で来ていたクリュコフと撮れたのは嬉しい。
他にパブロワや、ネモフの息子、そして勿論ネモフとも!
ネモフは写真の後、彼から手を出して握手をしてくれた。うぉぉ、感激だー!

ちなみに去年の出待ちでも一緒だったグルジア人親子とまた会った。
かーなとゆり、憶えてるかな?写真を送ってくれなかったって恨み事言われたので、
わしが代わりに渡すことになりました。
丸1年越しに同じ場所で再開。会うかもなと思っていたが本当に会えるとは。
娘のニーナは可愛くなっていた。来年は来れないから会えないのが残念だ。

過去へのささやかな旅

2007-05-30 23:41:38 | モスクワ留学記
先週のウクライナから帰着後のことについて。

23日(水)にウクライナから帰ってきて、翌24日(木)から3日連続でガイドのアルバイト。
講演の仕事でロシアに訪れた明治大学教授夫妻のモスクワ案内。
同大学元副学長で現理事、えらい偉い人を案内することになったもんだ。
日本史教授ということで、俺の持てるロシア語知識を総動員して、
教授の歴史学への興味に応えようとしたが果たしてどこまで成功したのか。。。
その関係で、現在NHKロシア語口座に出演中のヴィクトルさんと知り合った。
年下だがさん付け、だって何かパッと見で年上に見えたし。
知り合いになりたい人、紹介しますよ。

翌27日(日)は同室の2人に誘われて(というか頼んで)、
モスクワ日本人会のソフトボール大会に参加させてもらった。
1番ショート。なんと格好いいポジション!!
第1打席はショートゴロエラーで出塁。相手エラーの間に2塁進塁。
第2打席は2アウト満塁の好機でピッチャーライナー。正面・・・ツイてない。
第3打席は止めたバットにボールが当たりファーストゴロ。不覚・・・!
通算3打数無安打、打率0割、出塁1回、得点0、打点もちろん0。
なんと情けない成績だろうか。試合時間30分を過ぎたところで無念の交代。
(ちなみに試合時間1時間制で、他にも多くの人が途中交代です)
ちなみに守備ではゴロを危なげなく(?)捌き、
3度の守備機会でエラー0。守備率は10割を記録。
まぁ守備の要ショートではバッティングよりまず主になのでこれでいいのだ。
と自分を慰めてみる。。。悔しいー!絶対にリベンジをしたるわ!

その後同じ寮の8人で昼食後に大学のコートでテニス。いい汗をかいた。


そして今週末は再度ウクライナへ。Снежанаとヤルタへ行ってきます。
7年前の初めてのロシア・ウクライナ旅行で訪れたときから、
ヤルタは憧れの地だったのでかなり楽しみ。
授業をちょっと休んでしまうことになるが、
先生も理由を言ったら許して(というか半ば諦めて)くれたので、
向こうでの3日間思いっきり楽しんでこよう。
帰ったらヤルタ日記を書くのでご期待を。

それにしても最近多忙すぎて全く勉強できん。
先週から今週に掛けて暇だった日が27日の月曜日だけとは。
試験に関してはかなり諦めた方が良いな・・・

訪問者 Kap.Ⅱ

2007-05-23 23:53:53 | モスクワ留学記
前エントリーの続き

2日目、20日(日)は中心街を散歩することに。
モスクワからウクライナに着いて此の方両替をしてなくて
ルーブルしか持っていなかったので、
街中の両替所で両替。10ルーブル=1.9グリブナだった。
ていうか1日目は両替していない俺に変わってСнежанаが、
タクシー代も遊園地代もディスコ代も酒代も全て払ってくれたので、
この日は代わりに全部払うことにした。しかしこんなことも珍しい。。。

中心部の地下鉄の出口で、この日が最後となるサーカスの貼紙を見つけたので、
サーカスに行くことにした。Снежанаも子供の時に行って以来行ってないそうだ。
クリヴォイ・ログは田舎だからさぞ稀にしか興行しないのかと思いきや、
立派なサーカス施設があり、2ヶ月ごとに1ヶ月続く公演をやっているみたいで、
ただСнежанаが行って無いだけか。やっぱり旧ソ連圏はこういう文化が盛んだ。
公演は4時からなのでチケットを買った後散歩。
でもモスクワ以上にクリヴォイ・ログは暑く、散歩しててもすぐ喉が渇いた。
町に1件だけあるというマクドナルドで40円弱のソフトクリームを買って涼む。
その後公園の日陰で2時間くらい話して時間を潰し、やっと4時になった。

サーカスはモスクワのボリショイ・サーカスとはまた違う演出で、
特にアクロバット系がかなり凄かった。命綱をつけてない演目はヒヤヒヤもんだった。
あと、演者が結構ロシア功労芸術家の称号を持つ人が多く、
プログラムを買ってないので分からないがロシアからの巡業のようだった。
次回6月の公演も「ロシアのスター達」という題なので、きっと今回もそうなんだろう。
マジックが無いことだけガックリだったが、40グリブナ(約800円)の価値は大いにあった。
Снежанаも大満足の様子で良かった良かった。

その後、駅に帰りの電車のチケットを買いに行ったが、当初21日出発予定を、
1日延ばして22日まで居ろと言うので1日延ばすことにした。
授業サボりまくりだが、まぁいいか。
ていうか事前に両親に了解とらなくていいんだろうか?

1度帰りシャワーを浴びて晩飯をご馳走になった後、再び前夜にいった遊園地へ。
別の絶叫マシンに乗る予定だったが、前夜と同じ場所で前夜と同じビールを飲んで
話し込んでいたらいつのまにか12時過ぎてアトラクションが全て終わっていた。ありゃま。
ということでタクシーでマクドナルドのドライブ・スルーを買って、
家に帰ったのは夜中の3時頃だった。


3日目、21日(月)。当初この日に帰る予定だったが、延ばしたお陰で全日フリー。
家から歩いて15分ほどの近くにある川に遊びに行った。
川では月曜日だというのに若い人から壮年まで、10組以上を見かけた。
彼らは仕事や学校は無いのだろうか?という疑問はモスクワに居ても常に感じることだが、
そういえば日本でも同じ事があるから深く考えるのはよしとこう。
そこで日陰で飽きもせず3時間くらい話したり散歩したりしながら過ごした。
大して歩いてないのに暑くてやたら疲れた。

家に帰ってシャワーを浴び、晩飯をご馳走に成り、そして3日連続で遊園地へ。
今夜こそ昨日乗れなかった絶叫マシンに乗るのだ。
しかし3日間でこうも夜の過ごし方がパターン化されるとは。。。
で、絶叫マシンに結局2つ乗ったのだが、2つ目は日本にも無いくらい凄く、
怖いとかより降りた後に気持ち悪くなった。
そしてこれまた3日連続で同じ場所で同じビールを飲み始めたのだが、
夜は少し冷えたため、ちょっと早めに家に帰ることにした。といっても夜中1時だけど。
昨日と同じタクシーで、昨日と同じ様にマクドナルドのドライブスルーに寄って帰った。
タクシーの運ちゃんも覚えており(当然か)笑っていた。

4日目、22日(火)この日は帰る日。朝8時半に起きて朝飯食べつつ帰りの準備。
ご両親が「ヒロキ、何故こんなに早く帰るの?もっと居ればいいのに」
と引き止めてくれ、お父さんは写真をバシバシ撮ってくれた。
これだけ歓迎されると嬉しいものだ。これだけお世話になったのに、
こっちは大したことは何もしてないので、ちょっと恐悦至極にございます。
ちなみに、なぜか弟のアンドリューシャも俺の事をエライ気に行ってくれて、
パソコンゲームを教えてあげるだの自分の描いた絵を見てくれだの
オリンピアーダ(小学生の何かの大会)の写真を見せてやるだの何かとかまってきた。
お父さんも自分の仕事の話をしたがったり、息子のオリンピアーダに付き添いで
行ったときのビデオを見せたがったり、やたらフレンドリーな家族だ。
Снежанаが「私の時間がなくなる!」と怒っていたほど。
で、最後に記念写真を撮って、さようなら。
「必ずまた来てね」と言ってくれるのは嬉しい。
基本的にロシア(ウクライナだけど)では社交辞令ではこういうことは言わないので、
本当に来て欲しくて言っている、と思っていいだろう。
ただ8月はもう日本だからと説明しても「来い」と言って聞かないお父さん。
さすがに無理だよ。。。

クリヴォイ・ログからバスで2時間、ドニェプロペトロフスクまで行き、
帰りはそこから発のモスクワ行き列車昼1時4分発で帰国の途へ。
わざわざそこまで見送りに来てくれたСнежана、ありがとう。
この日はウクライナ全域で最高気温が31~32℃。
よりによって発車時間は昼1時。車内はかなり蒸し暑かったが、
暑さ回避のために早めに寝たら夜眠れなくなるという分かりきった悲劇。
関係ないけど同じ車両に凄い美人が2人居た、それだけだけど。。。

23日(水)朝9時20分にモスクワに着き、そこから寮に帰って風呂に入って
宿題をやってリリアの授業に出る体力は、、、なくても出ざるを得ませんでした。
で、1時間ほど遅れて出席。疲れてNHKのバイトはサボり、今に至る。

訪問者 Kap.Ⅰ

2007-05-23 23:10:10 | モスクワ留学記
5月18日(金)夜~23日(水)朝にかけてウクライナに行ってきた。
「ウクライナに行く」と言って、何故か友人達には勝手に
キエフに行っていると勘違いされていたのだが、
今回の行き先はクリヴォイ・ログ。観光地ではありません。
Снежана(スニェジャーナ)という子の家へお客に行っておりました。

18日(金)夜7時40分クールスカヤ駅発ニコラエフ行き電車3等寝台。
寮を出るのが7時になって、かなり際どい滑り込み乗車だった。
ていうか良く間に合ったもんだ。あぶねー。
この週からモスクワは、ていうかヨーロッパは死ぬほど暑くなり、
車内は30℃はあったんじゃないだろうか。汗がたらたらターラタラ。
飯も風呂も歯磨きも済ませてきていたので、お茶だけ飲んですぐに寝た。
明方、ベルゴロドでのロシア出国の際に警官に入国カードにいちゃもん付けられたが、
それ以外は順調に進んで翌19日(土)3時20分頃にクリヴォイ・ログ到着。
電車内は暑くてする事が無いので、2時近くまでとにかく寝倒した。

電車を降りてすぐСнежанаと会い、タクシーで彼女の家へ。
ご両親と弟に挨拶をし、シャワーを借り、夕飯をご馳走に成る。
本場ウクライナの家庭風ボルシチとコーカサス発祥のピラフのようなプローフ。
上手かった。24時間ほど何も食べてなかったので大量に食ってしまった。
で、出かける準備。お父さんから
「酔っ払いには取り合うな、変な奴が近づいてきても無視しろ」など注意された。
まぁモスクワでもどこでも同じですな。。。

2人で中心街にある遊園地に行って絶叫マシンの1つに乗り、
ベンチでビールを飲みながらだらだらと話し、11時過ぎ頃、ディスコチェーカへ。
以前、モスクワで人生初めてディスコチェーカに行ったっていう話をしたら、
じゃぁクリヴォイ・ログでも行こうね、ってことで約束だったのだ。
で、人生初のディスコから3週間で、これで3度目。ハマっとるわ。
1件目の家から歩いていける距離にあるというディスコチェーカに行こうとしたが、
Снежанаが「ここのディスコチェーカは女の子達がいやらしい踊りをする」と言って、
タクシーで別のディスコチェーカへ移動。いやらしい踊りも見たかったが・・・
で、モスクワでは2度とも同じディスコだったので一概には言えないが、
ここのディスコは少し雰囲気が違った。大体踊る場所の規模に比べて人が少ない。
まぁモスクワみたいな超大都会と比べるのが間違いかもしれないが、
人が少ないとモロに踊りを見られて恥ずかしいじゃぁ無いか。。。
途中にショーのようなものがあったのも変わった趣向だった。
バーやビリヤード台等もあり、かなりきれいなディスコだった。
で、ワインを飲みつつ夜中の3時過ぎまで過し、4時に家へ。
家族を起こさないようにかなり静かに寝床に着いた。
結局帰った時間はバレたみたいだけど。

長くなったので次回へつづく

電波到る

2007-05-07 23:57:00 | モスクワ留学記
最近バイトしているNHKについてちょっと書こうと思う。

同じクラスのAキコ嬢に誘われて、2月からバイトを始めた。
まさかモスクワでバイトすることになるとは思わなかったが、これが結構良い。
まず待遇。時給250ルーブルは日本円で1100円オーバー。
しかも出勤日の縛りも労働時間の縛りもなし!バイトしたい日にフラッと行って、
疲れがくるまで好きなだけ続ければよい。2時間で終わっても5時間頑張ってもOK!
仕事内容は過去に収録した映像のデータ入力。
1万本を超えるテープがあり、1人の人がノートに書いて管理しているのだが、
それを誰でも使えるようにデータベース化しようとしていて、
まずはその人の書いた資料ノートをひたすらパソコンに入力する作業。
93年頃から02年頃までの資料ノートがあって、
「あぁこの事件はもう7年も前になるのか」とかノスタルジーに浸ってみたり。
しかもロシアの地名や政治家名は全てロシア語入力なので、
ロシア語入力とロシア政治家の名前が自動的に凄い覚わる。
(つっても引退してる政治家も多々居るけど)

ロシアを目指すものなら誰もが知っているNHKモスクワ支局の
石川支局長や安間記者が目の前で働いているのも素晴らしい。
すぐ隣の一室でBS特番の収録を行っていたり。
そして4月23日は凄かった。
午後5時半頃だっただろうか。ロシア人局員の机に1本の電話が入り、
「え、エリツィンが死んだ??!!」そこから一気に局内が慌しく動いた。
大声で石川支局長に知らせに行く安間さん。
支局長はそれぞれの持ち場に一斉に支持を開始。
映像担当の人には過去のエリツィン映像を探させ、
ロシア人局員にはクレムリンの声明と、過去のエリツィン関係者の声明を取らせ
(「ブリュブリースは?出張中?チェルノムィルジンとプリマコフ、それからゴルバチョフもだ。あ!ベレゾフスキーは忘れちゃいかん!」等)
安間さんにはニュース原稿用にエリツィンの略歴と評価を書かせ、
ロシア人レポーターとカメラマンにモスクワ市民の反応を取材に行かせ、
手の空いているロシア人局員と今後の影響について話し合っていた。
(「政治的には何の影響力も無いエリツィンだけど、今後のプーチンの出方はどう思う?エリツィンの家族に対して何も手を出さないという密約をプーチンは今後も守るかな?娘のタチアーナに何らかのアクションがあるかな?」「来年の選挙を控えたこの時期ということは何か意味がありそうな気がするね」等)
と言ってるそばから安間さんの原稿を厳しくチェックし、注文をつける支局長。
さらにNHK東京本社に電話し、「いつでもモスクワからの中継を入れるから!」

結局特番は日本時間午前7時、モスクワ時間午前2時になった。
ロシア人局員も含めて残業体制が敷かれ、安間さんが中華料理屋に弁当10人分を注文し、
うーん、これこそマスコミだ。
昔、某スポーツ新聞で仕事をしていた時の、
「長嶋茂雄倒れる」の報が飛び込んだときの慌しさを思い出した。
こういう国を駆け巡るニュースに直で関われるから、マスコミは良いんだよなぁ。
少しだけ、もう一度マスコミで働きたくなったこの日の出来事だった。

連戦

2007-04-28 08:54:15 | テニス
4月6日(金)~8日(日)はデビス・カップ準々決勝ロシアvsフランス、
4月21日(土)・22日(日)はフェド・カップ準々決勝ロシアvsスペインに行った。

今年は昨年と違い開催場所がルージニキ。寮から近くなったは良いが、
チケットがオリンピックスタジアムに比べて幾分高い。
安いチケットはものすごい隅のほうの一角しかなく、あまり快適ではない。
だが選手入場口が分からないため、高いチケットを買うにも決め手が無く迷った。
サインをもらうには必ず入場口近くに陣取らねばならないからだ。
結局、一番安いチケットを買い、終了直後に忍び込む作戦で行くことにした。
遠くてもオリンピックスタジアムでやってほしいなぁ。あそこは全席観やすかった。

結果は男女共にロシアの勝利。強い。
デ杯の方は初戦でダビデンコが敗れる波乱。
「Rubber 2」でユーズニーがガスケ相手に大きな1勝を上げ、
2日目ダブルスではダビデンコ&アンドレーエフがフルセットの末、
対フランス戦初めてのダブルス勝利。(よくこれまで勝ち越せてこれたもんだ)
そして3日目「Rubber 4」でアンドレーエフがグロージャンに敗れると、
やはり最後に登場はこの男、マラト・サフィン。
ツアーの不調が嘘の様にデ杯で力を発揮する男は、ストレートでマチューを破る。
昨年覇者のロシアがきっちり準決勝に駒を進めた。
1つだけショックなのは、マラトのサイン“だけ”貰えなかった事。
あんなに応援してるのに、何故俺にくれないんだ、マラトよ・・・
この大会中に初めてロシア国旗を買った。

女子のフェド・カップはシャラポワの欠場表明の影響か(残念・・・)
男子ほどの注目度は無いのか、かなり空席が目だった。
前評判でも明らかにロシア有利なので試合の面白さも男子より薄いが。
ただ2日間の分チケット代は安く抑えられるので、奮発していい席を買った。
男子のときにどこが選手入場口か押さえてあるし。
試合結果は書くまでも無いロシアの5-0。
というかこの日世界中で行われたフェド・カップの準々決勝は、
すべてホーム勝利の5-0だった。この辺が男子デ杯との注目度の違いかな。
2日目、「Rubber 4」終了時の休憩でスペイン応援団のおばさんたちが、
手拍子で民族舞踊を踊っていて、会場中が喝采していた。
対抗してロシア側もカチューシャを披露していた。素晴らしい文化だ。
2日間で出場選手4人(クズネツォーワ、ペトロワ、チャクベターゼ、ベスニナ)
のサインはおろか、全員と写真を撮ってもらうことに成功。
特にベスニナとはちょっと長く会話も出来た!
俺「写真一緒に撮ってください」
べ「あら、あなたとは昨日撮ったじゃない、私憶えてるわよ。」
俺「でもフラッシュが焚けなかったので上手く撮れてなかったんです」
べ「じゃあいいわよ」
関係者が急かす→「私は日本が好きだから、日本人の頼みは断らないのよ」
俺「スパシーバ」
べ「ありがと、でしょ?」
俺「ありがとう!」
ということでテニス選手とこんなに長く会話したの初めてだ。極感動!
もちろんこんな調子なのでカメラにポーズをとるときはベスニナに腕を回しました。
で、年のいったおじさんに写真を撮ってもらったのだが、
あまりにも感動していたため自分でデジカメのダイヤルを合わせておらず、
おじさんはデジカメの操作を良く知らないために、
撮れたと思った写真が撮れていなかったのです・・・!(泣)
それが分かったときにはベスニナは既に関係者通路に去ってしまった後。
結局、前日のフラッシュ無しの少し暗い写真が残った。ああ、俺のバカ。。。

でもどうやって中国人でも韓国人でもなく、日本人ってすぐに分かるんだろう?
ペテルブルクで写真を撮ってもらったプルシェンコも、
「写真お願いします」と話しかけるなりすぐに日本語で返してきたし。
まぁ逆に間違えられるより100倍いいけど。
写真は試合後サインに応じるチャクベターゼ。

儀式から再び幕は上がり・・・

2007-04-26 06:00:47 | モスクワ留学記
2ヶ月ぶりの更新。
gooのマイページが模様替えされててビビったわ。
全く更新してない間にも、1日平均30~40のアクセスが合ったようで。
すみません&ありがとうございます。これからまた出来る限り書いていきます。

その前になんでこんなに死ぬほど更新が滞ったかというと、
2月末から3月末に掛けて死ぬほど忙しくて、
(といっても就活生や、ましてや仕事してる人に比べれば屁でもない忙しさだけど)
あれよあれよと日にちが過ぎていき、一度サボるとなかなか戻せないたちなので、
4月に入っても3週間以上が過ぎる事態となってしまったのだ。
まぁ具体的には2月から始めたNHKでのバイト以外に、
3月中旬に両親が旅行でロシアに10日間ほど来た時の準備とガイド、
3月末のモスクワでの狂言公演の手伝いバイト、ってところかな。
これは無茶苦茶いいバイトだった。しかも結構面白かった。
両親とペテルブルクに行った際には、ペテロパブロフスク要塞内にてプルシェンコと遭遇。
離婚直後なだけあって、新しい彼女を連れていた。すごいきれいな彼女だった。
両親と共に写真を撮ってもらったが、逆に日本語で話しかけられてビビる。
フィギュア選手には親日家が多いなぁ。
要塞内の見物できる場所はすべて休館日というガイド失格のミスを犯してしまったが、
お陰で人気の少ない要塞に散歩に来た金メダリストに会えたってことで大満足。

4月に入って新しい留学4月生組が来た。しかし今回は3人。
このところ2年間の平均を一気に下回る人数減少。まだ5月頭に2人ほど来るらしいが、
値段的に安いペテルブルクの方に人気が集中してるようで。
もったいない。モスクワの方が絶対良いと思うんだけどなぁ。

4月6~8日にはデビス・カップ準々決勝ロシアvsフランスがあり、
21・22日にはフェド・カップ準々決勝ロシアvsスペインがあり、
その翌23日にはエリツィン死去の報が世界中を駆け巡った。
これらについては別件で詳しく書こうと思う。再開後最初の更新はこの辺で。
今後ともよろしくお願いします。

初陣

2007-02-22 06:54:37 | モスクワ留学記
前日の長時間のCM撮影の疲れも癒えぬまま、
17日(土)~18日(日)と、スーズダリに行ってきた。
アーニャとオーリャと3人で!

13日(火)の夜、アーニャに18日(日)のマースレニッツァに行こうと誘ったところ、
(マースレニッツァについては去年の日記「春の嵐」参照)
次の日になってその日はスーズダリに行こうと逆に誘ってきた。
しかも泊まりで!16日(金)の夜から出ましょう、ということだったが、
あいにくその日は例のCM撮影の予定があったため、土曜の朝出発にしてもらった。
まぁ泊まりと言ってもそんな深い意味は無いのだが。。。
アーニャのクラスメイトにオリガという子が居て、その子の別荘がスーズダリにあるから、
2人はそこに泊まり、俺は安ホテルを1人で探して一夜を過ごすという予定。
オリガとは面識無いし、アーニャとも一回会っただけ。女の子2人が過ごす場所に、
あまり深くは知らない外国人を泊めろって無理はさすがに言えませんな。

17日(土)朝9時半、地下鉄環状線クールスカヤ駅に集合。
ロシア人と日にちをまたいで長時間連続で過ごすのは初めてだから、ちょっと緊張。
駅の地上出口目の前から出ているバスに乗ってウラジーミルへ。(180ルーブル)
途中のトイレ休憩を含めて約3時間半、疲れてたのでほとんど寝て過ごした。
ウラジーミルのターミナルでスーズダリ行きのバスに乗り換え。(33ルーブル)
座席番号25番のチケットを買ったのだが、席は24番までしかなく25番が無い!
アーニャとオーリャは23・24番。途方にくれて立ってる俺を、2人はゲラゲラ笑ってた。
ウラジーミルからスーズダリまでは、このおんぼろバスで約50分。
その後スーズダリのバスターミナルからマルシュルートカで街の中心へ。
心なしか寒さもまして雪もたくさん積もっている気が。。。
もっと厚着して来れば良かったかな。。。

中心部に着くと見たことのある懐かしい風景が。
実はスーズダリには去年の6月に一度エクスカーションで行った事があるのだ!
(去年の日記「スーズダリ・エクスカーション、そして…」参照)
このことはアーニャとオーリャには内緒。誰と行った、とか説明が面倒くさいので・・・
で、中心部に立つ安いホテルに行ったのだが満室。
翌日がマースレニッツァのお祭りなので、たくさんの旅行者が来てるらしい。
なので中心部から遠く離れた「ГТК」というホテルへ。
街の中心には歩いていくのはしんどいが、すごく大きくて近代的なホテルだった。
たぶんスーズダリでは一番のホテルだな。空き室もまだあった。
ただ値段も近代的で、ツインに1人で泊まると1泊2,160ルーブル(約1万円)。
高い!アーニャが「ちょっと高すぎかな?」と申し訳無さそうに聞いてきたが、
ここで「問題あり」と言ったらどうなっただろうか・・・
さすがに家に泊めてって言うのもあつかましい気がしたし、
「昨日バイト代をたくさん貰ったから問題なし」と答えておいたんだが・・・
ということでこのホテルの33番部屋に宿泊することになった。

ホテルに荷物を置いてから、街を散歩しようと3人で外へ出ると、
ホテルの前の小高い丘で、早くもお祭りのように酒盛りやダンスが始まっていた。
なんて気が早い。混じって少し踊ってきた。
目の前には滑り台のようなものがあり、子供も大人もソリのようなもので滑っている。
アーニャがどこから拾ってきたのか、壊れたソリとダンボールを持ってきて、
一緒に滑ろう、と言うのでやってみることにした。
「私のソリのが早いから、私が前ね。さぁ捕まって」
え!一緒に滑るの!?ラッキー。
ということで後ろからアーニャに捕まって坂を滑り降りたんだが、
結構なスピードが出たために、ドサクサ紛れで胸の辺りをわしづかみしてしまった・・・
嫌われたかなー、と心配したが、「もう1回!」と言ってくれたので一安心。
でも次は俺が前だったけど・・・

この間オーリャは煙草を吸いながら俺たちを眺めていた。
父親の両親はドイツ人のようで、祭りのノリにあまりついてこないのは、
その典型的ドイツ人的性格によるものだとアーニャは言っていた。
まぁ当たってるかどうかは知らないけど。
ちなみに俺はロシア人に近いらしい。祭りで一緒に踊ってたから。
単純な性格診断だな!

再び歩いてオーリャの家へ向かう。やばい、道を全く覚えてないぞ。
ただ、オーリャの家はすごく中心に近く(歩いて15分くらい)、
しかも前回のエクスカーションで最初に行った「野外木造建築博物館」のすぐ近くだった。
なんていいロケーションなんだ!!

オーリャの家は一戸建てで、とても快適な広さの家だった。
(ちなみにスーズダリは建築の高さ制限があり、マンションのようなものは無い)
地下室には卓球台やちょっとしたトレーニング器具が合ったり、
テレビでは衛星放送でEuroSportなどの多チャンネルが受信可能!!
リューシャという猫をかっていて、これがまた可愛いの何の!
家族はモスクワにすんでいるので、一家がスーズダリの家にいない間は、
リューシャはお隣さんに世話をしてもらっているらしい。ロシア的だなぁ。
で3人で簡単な夕食を作って食べた後、団欒していたら、
エジプトに行ったという話になって、エジプトの水煙草の話に。
スーズダリにも安い店があるそうで、アーニャが水煙草を吸いに行こうと提案。
俺は酒とギャンブルはOKだが、麻薬と煙草は一生やらないと誓っているのだが。。。
誘いに負けて行ってしまった。
(長くなったので続きは次回へ。写真はオーリャの家の猫リューシャと戯れるアーニャ)

俳優の新しい仕事

2007-02-20 07:58:11 | モスクワ留学記
16日(金)、ロシアでのCMデビュー!
この1本を足がかりに、大手プロダクションの目に留まって
末は1本5,000万のギャラを受け取る売れっ子に・・・
と、妄想だけが膨らむ。。。あ、財布も少し膨らんだ。
CMのスポンサーは「Nestle」、商品はチョコレート「Nuts」。超大手!

事の起こりは2日(金)、元同じモスクワ大学の留学生仲間で、
今はプーシキン大学に留学しているGトウさんからの電話。
「4日(日)は暇ですか?暇だったらCM出演の依頼の話しがあるんだけど」
「行きます」
ということでその日に某プロダクションに行き、
カメラの前に立って簡単なプロフィールを言った後、
今後のスケジュールを聞いて終了。
出演OKだった場合には、13日(火)に衣装合わせ、15日(木)~16日(金)で撮影。
集合時間その他は追って連絡するとの事。
しかし待てど暮らせどその後のスケジュールの連絡が来ないので、
こっちから電話をかけてみたら、
「あなた達には出てもらうことは決まっているから、金曜日の朝に集合ね」
だと。13日も15日も必要ないなら早く連絡よこせよ!!
TV撮影にも拘らず、適当なのがいかにもロシアっぽい。

で、16日(金)、朝8時半に地下鉄マルクシスツカヤ駅に集合。
そのままマルシュルートカに乗って撮影スタジオへ。(工場のような場所だった)
倉庫の中には大きなセットが組まれており、ホテルのロビーのような感じ。
1時間ほど何もすることがなく、Gトウさんと中をウロウロ。
その後、用意された衣装に着替え、役柄は日本人ビジネスマンの役だと判明。
でも心なしかスーツの柄がホストっぽいぞ。こんなサラリーマン日本には居ねぇ!
衣装への着替えは3人の女の子が担当し、何もやらなくても着せ替えしてくれる。
着替えが済んだら次はメイク。本物のメイキャッパーの女の子が、化粧をしてくれた。
といってもメイクは顔色を少し明るくしただけなんで、死ぬほど早く済んでしまったが。
初めて顔に化粧なるものをした。結構気持ちよかった。

で、撮影。女性ディレクターが会場を仕切り、監督はインド人。
この監督は全くロシア語が出来ないため、女ディレクターが英・露語を自在に操り、
会場のすべて取り仕切っていた。かなり格好良かった。印象的な言葉↓
「Приготовились к съёмке!Тишина пожалуйста!Видео!Камера!Мотор!И--и Начали!!」
メインの役柄は3人。
ナッツガール(女優)、その元彼氏(俳優)、彼氏の新しい彼女(モデル)。
俳優は全く普通の人間だったが、女優とモデルはやばいくらいスタイル良かった。
その他は俺たちを含めて素人のエキストラだが、そのエキストラの中でも
日本人ビジネスマンの役はかなり扱いがでかかった!
ピン(というか2人)で映るシーンも3秒くらいあるかも。
カットされなければだけど。う~ん、全ロシアデビュー、悪くない。

大勢が素人なのでかなり撮影時間が押し、予定では夜9時頃終了だったのが、
結局12時過ぎまでかかった。これはしんどい。
しかも最終盤のシーンでも出演予定だったのが、時間の関係でカットされ、
結局最後の4~5時間くらいは居ても意味無かったし。
この時間はほとんど女優とモデルのデジカメ撮影に終始してた。
あと、共演の素人ロシア人の若者との会話と電話番号交換(悲しいながら全員男)。

ちなみに撮影セットの横ではちょっとした食事が提供され、
コーヒー・紅茶・ココア・コーラ等が飲み放題、
ブッテルブロードやハムエッグ、サラダやカツレツなどが振舞われていた。
暇な時間はほとんど食べていたので、お腹が空くことは全く無かった。
ロシアにロケ弁はないよなぁ、と思っていたけど、これはかなり良かった。

それにしてもちょっとくらい商品を貰えるのかと思いきや全く貰えず、
さらに画面に映っていた形跡もほとんど無い。こんなんでCMになるのかな?
あ、死ぬほど長い拘束時間(16時間ほど)で、給料は100ドルでした。
安いかな?まぁこんなもんか。第2弾の依頼があることに期待。

写真は華麗に撮影されるわし(ウソ)。ナッツガールとモデルの写真が見たければこちら

肖像

2007-02-11 23:55:00 | モスクワ留学記
先週の日曜日のこと。
最近知り合ったアーニャという可愛い女の子から、
携帯にメールが。『良かったら電話ちょうだい』
おっと、これは!!早速電話を掛けてみる俺。
ヒロキアイス「こんにちは。元気?」
アーニャ「こんにちは。プーシキン美術館って知ってる?」
H「クロポトキンスカヤの?知ってるよ、行ったことないけど」
A「そこで仮面などの面白い展示会が開かれてるから行ってみる事を薦めるわ」
H「(心の声;お~っと、これはデートのお誘いか!!?やったぜ!)面白そうだね。行きたいな」
A「もうすぐ展示が終了だから、行くなら早めの方がいいわよ」
H「勿論すぐ行くよ(心の声;あれ?誘ってるにしちゃ動詞が2人称だ、変だな)君も行くの?」
A「私はたった今行ってきたのよ」
もう行ったんか~い!!

ちなみに上記はマッキーの日記に書いたコメントを拝借してきました。
ということで、11日(日)にプーシキン美術館に行ってきた。
展示会は「マスク;神話から仮面舞踏会まで」11月28日~2月18日まで。
アーニャには行ったこと無いと言ったが、実は2000年の旅行の際に、
一度だけ来た事がある、が、ほとんど記憶にはないので行ったことないも同然だ。
特別展示会の常で、終わりに近づくと人がたくさん押し寄せる。
小さい子達も多く来ていて、チケット売り場は結構な列が出来ていた。
学生証を提示したらチケットを渡されたので、幾らか聞いてみると、
「無料よ」マジか!!
学生料金は普通の外国人料金と比べて破格に安くなるのはロシアの常だが、
まさか無料とは!!これはビックリだ。今まで行かなくて損した。

1階には絵画や彫刻が並んでいるが(ミケランジェロのダビデ像まで!模造品だけど)
入ってすぐに特別展示は2階と聞いたので、一目散に2階へ行った。
アーニャが気に入ったといっていた「キツネの仮面」をとりあえず探し、
日本の能で出てくるキツネだと分かって一安心。
教えてもらったこれの名前を忘れる可能性があったので、
他には目もくれずに探したのだ。見つかって良かった良かった。
あとはゆっくり鑑賞。日本の能、中国の獅子舞、エジプトのミイラの面のほかに、
北アメリカ&メキシコやアフリカ、オセアニア、インド・スリランカまで、
世界中の仮面があった。中でもブリャート地方の仮面が気に入った。
基本的に館内での写真撮影はダメなので、面白い仮面があっても載せられないのが残念。

全体の数はそれほど多くはないので、1時間ほどで見終わって、
あとは他の美術品を鑑賞。といっても順路を適当に見て回っただけで、
ほとんど観ちゃいないが。少しだけ、エル・グレコの作品とギリシャ彫刻の模造
(ラオコーン、アテネ像、瀕死のガリア人、サモトラケのニケとかがある)はしっかり観といた。

帰りにクロポトキンスカヤ駅目の前の「救世主キリスト聖堂」に寄る。
ここは活動している教会なのでもちろん入場無料。いやいや、安い観光だ。
ここの地下には今まで行った事がなかったのだが、初めて入った。
イコンなどのほかに、ソビエト政権によって一度破壊されて97年に再び再建された、
波乱の生涯を持つこの教会の写真や設計図などの展示があった。
あと、現総主教のアレクシー2世の若い頃の写真がたくさんあったが、
恐ろしく美男子でビックリした。あの顔で総主教になるなんて勿体無い。。。何が?

夜、早速アーニャに、今日展示会に行ったことをメールした。
実はこれが目的だったりして。しかしアーニャは誰と行ったんだ~?う~む。

突然の新しい仕事? Kap.Ⅴ

2007-02-09 23:59:57 | モスクワ留学記
9日(金)、寝坊して会話の授業グッバイ。。。
今週2回目の寝坊、今年に入って3回目、いかんいかん。

夜6時半、久しぶりの日本語家庭教師。
前回と大分期間が開いてしまったので、参考までに過去の日記リンクでも。
(突然の新しい仕事?Kap.ⅡKap.ⅢKap.Ⅳ)
前回のすっぽかしからようやくの再開。
しかも、その再開第1回目も、先週からお互いの事情で延び延びになって、
ようやく今日、それが実現した。
エレベータを上がりユリアのアパートの玄関前に着くと、ユリアが待っていて
「ひさしぶり!」と言っていきなりきつく抱きしめられた。
ロシア人に抱きつかれたのは初めてなのでちょっと緊張。
でも家に入ると彼氏と思しきサーシャ(アレクサンドル)という男が居たので、
これもロシア流の挨拶なんだろう、親しい間柄での、かな?
このサーシャは、家庭教師休職中に何度となく俺に電話をかけてきた男で、
一応話したことはあった。電話で聞いた声から思ってたよりかなり若く格好良く、
しかも英語で書いた日本を題材にした小説を読んでいるインテリ。
その本の題名は「SHOGUN」。何が書いてあるか聞いてみたら、
キリスト教伝来以降、16世紀の九州地区とポルトガル等との貿易を書いているようだ。
九州あたりの聞いたことないような大名が登場人物らしいが、
何で題名が将軍なのかは意味不明。将軍はロシア語でもショーグンと訳されてるので、
売れるためにキャッチーな言葉を題名に据えたのだろうか、はてさて。

この日は勉強の前にユリアがネットからプリントアウトした日本の自社仏閣の資料を見て、
「~県にある」「行った事がある」「仏教にも宗派がある」などをお喋り。
でも18のうち3分の1近く知らない寺社があって、ちとショック。
で、本題の勉強はというと、前回の続きで「動詞」。
ほとんど日本語の単語を覚えていない人間が手をつけていい分野じゃない!
でも生徒が早く進みたがるのだから仕方ないと、しゃぁなしで説明に力を尽くす。
Kap.Ⅲで書いたような、動詞の規則変化・不規則変化をもう一度説明し、
思い出したところで練習問題。会話形式の文章の動詞の直後の空欄に
「~ます」「~ません」「~ました」「~ませんでした」のどれかを当てはめる。
能動形と否定形、現在・未来形と過去形という分かれ方だが、
日本語は現在形と未来形が同じなのか!と、ユリアはサーシャと2人で大笑いしていた。
まぁこの練習問題は文章の意味が分かれば非常に簡単な作業だが、
ユリアは単語をほとんど覚えていないので、一文一文説明するのが一苦労。
さらに何故ここには「~ました」があてはまるか、などを何度も何度も説明して、
10個ほどある練習問題の最後にようやく理解をしてくれた。良かった良かった。

バイト代の300ルーブルを受け取り終了。今日も頑張って教えた。
サヨウナラの時にも1回強めのハグがあった。サーシャが怒るぞ。
なんだかんだ2時間以上も長居してしまい、家を出たのは9時丁度。
今夜はクラスメイトのヒロリンクルの誕生日。早く帰らねばならぬのに。
帰り、風が強くて死ぬほど寒く、この冬一番の冷え込みだと思ったが、
帰ったら隣室のヒラシェンコに「気温は大したことないっすよ」って言われた。
あんなに寒かったのに!分かってくれないもどかしさよ。
誕生日会は総勢6人、盛大に行われました。おめでとう、ヒロリンクル!

終わりなき協奏曲 Kap.Ⅳ

2007-02-04 04:16:34 | 音楽・コンサート・バレエ・オペラ
3日(土)、ロシア人の友人スヴェータ、ウリアナと
チャイコフスキー・ホールへコンサートに行く。

5時、少し早めにマヤコフスカヤ駅で落ち合い、
以前にも行ったことのあるクレープ屋へ。(参考→聖地)
そこで1時間少しお喋りをしてから、目の前にあるホールに向かった。

チケットは最も安い200ルーブルの1階バルコーン、
しかし観客が少なかったせいもあって自由な場所に座ってOKという事になった。
それですごく良い席に座れた。ラッキー。

演目は「若き天才達」
パガニーニのヴァイオリン協奏曲第1番 ソリスト=セルゲイ・ドガディン
リストのピアノ協奏曲第2番 ソリスト=アーシャ・コレパノワ
ラフマニノフのピアノ協奏曲第3番 ソリスト=ドミトリー・カプリン
アレクサンドル・スルツキー指揮、ロシア国立アカデミー交響楽団の演奏

最初のパガニーニは、少しソリストがイマイチだった気がするが、
(高音部分でかなり音がかすれていて、あまり良い気はしなかった)
パガニーニのヴァイオリン協奏曲はやっぱり超絶技巧だなぁ、ということが分かった。
2曲目のリストは、ソリストの熱演が良く、あまり聴きなれない曲ではあったが、
かなり満足。他の2人もやっぱりこっちが気に入ったらしい。
でも俺たちだけでなく観客も含めて全員、お目当てはラフマニノフなんだよな。
で、結果はとても良かった。変に情感にうったえない演奏のが心を揺さぶられる。
演出過多はどこの世界でも気をつけなければいけないものだとつくづく思う。
一昨年11月にもここで「若き天才達」のプログラムを聴いたが(参考→終わりなき協奏曲)
その時もソリストは違えどこのラフマニノフの3番は素晴らしかった。
このプログラムはかなり気に入ったので、機会があれば次にも行こう。

ちなみにこの日、スヴェータには、かねてからの約束であった、
ショスタコーヴィチの交響曲全集を貸した。
ロジェストヴェンスキー指揮とルドルフ・バルシャイ指揮の2つを持っており、
前者の方がよりお勧めだが、後者はボックスごと貸せるので、
曲名とか知らないスヴェータにはこっちの方がよい。
前者は箱から出してCDケースで持ってきているので、
貸すとなるとケースごとになるので他のCDも大量に貸さなきゃならないし。
まぁバルシャイの方はかなりオーソドックスに弾いてくれているので、
最初に聴くならこっちの方がいいかもしれない。
これで半月後には彼女もショスタコの虜だろう、フフフ。

ちなみに写真は上層階から撮ったホールのブッフェ。

さらば、遠き日

2007-02-01 23:37:51 | モスクワ留学記
全豪OPも全く盛り上がりなく相変わらずの王者の完全優勝で終わろうという中、
留学仲間の4月生の3人が日本へと帰っていった。

まずは1月25日(木)、Rョウ。
この男は、いやこの方は俺の師匠と呼ぶに相応しい。
Eロに関しては留学生仲間随一の資質を持ち、
そのジャニーズな風貌からは想像もつかない含蓄のある言葉を紡ぎだす。
最後の2ヶ月間で急激に仲良くなったのも、この方の知識によるところが大きい。
Kバラ嬢を目の前にしての2人の絶妙な掛け合いは、
モスクワ一を誇ったと自負している。
あの瞬間、俺たちはモスクワ一のアホだった。
いつか俺が成長したら、是非コンビを組んで欲しい。
その時の誘いの言葉ももう決まっている。
「史上最強の男が史上最強の男を誘いにきた
 Aチ君と組んだのも一度なら私と組むのも一度
 機会が二度君のドアをノックすると考えるな」

次は1月28日(日)、Aチ。
この男は、モスクワでも1、2を誇る、いやダントツで1番のダメ男だった。
決め台詞は「神様・・・!」ナンでもこれで救われると思っているのか。
注意力が足りない、配慮が足りない、経験が足りない、長さが足りない、
他にもたくさんの足りないものがある。
だからこそ今後の人生が面白いと思ってみないかね?
Aチよ、お前はとてもいい奴だ。これは俺の本心だ。
色々書いたがお前に本当に足りないものは、自信だけだ。
自信があれば他のものは自然に身についてくるよ。
これからの彼の人生に幸あらんことを。

そして最後。留学仲間の4月生全11人の大トリを務めるのはこの男しかいない。
1月29日(月)、Sゲル。
モスクワ一のロマンチストだったこの男は、最後まで己を貫き通していった。
妙な風貌に似合わず、純愛を語らせたら№1だ。こんな奴、初めて会った。
思えば4月生で一番コイツにお世話になったかもしれない。(金の面だけじゃなく)
ありがとうと言いたい。お前と酒を飲んで大騒ぎをした11月末の2日間は、
忘れたくても忘れられそうにない。だからいっそずっと忘れずにいられるように、
あのときの写真を送ってください。


日記に書くと少し寂しくなるので書かなかったが、
これを書かないと次の日記が書けないのでやっぱり書いた。
あれだけ賑やかだったのに、今は10人しかいないからなぁ。洗濯機も使い放題だ。

2月になった。9月生にしてみれば、10ヶ月間の留学の折り返し地点だ。
時間の経つ早さを、今年もまた肌身に感じながら、後半に賭ける。