「コリーニ事件」(2019年・独)
監督 マルコ・クロイツバイントナー
ナチス犯罪への対処をめぐる法廷もの
(以下、ネタばらし有り)
新米弁護士カスバー・ライネン(エリアス・ムバレク)は、殺人で拘留されたコリーニ(フランコ・ネロ)の国選弁護人となるが、被害者はライネンの若き日の恩人であった富豪のハンス・マイヤーであることがわかる。そしてコリーニは黙秘したままでその動機も背景もわからない、という状況の中で事件の解明を目指すライネンの活動が始まる。しかし、冒頭から出てくる「謀殺」「故殺」の違いが何の説明もないのでよく判らない。後で調べると、どちらも故意に殺すことには変わりないが、謀殺は「あらかじめ計画して人を殺すこと」または一歩進めて「動機や方法、態様が特に高い非難に値するもの」であり、故殺は「一時の激情によって人を殺すこと」であるとのこと。諸外国には多くあるとのことだが、現在の日本国刑法にはこの区別はないので聞きなれず余計に判りにくいのだろう。しかし、中盤でライネンがコリーニに言う「このままだと謀殺とみなされて終身刑だが、自ら語ればおそらく7年の刑、模範囚なら3,4年で出られる」というのはドイツにおいて本当だろうか、と疑わしく思える。特に、この時点ではライネンは事件の真相に気づいていないので、明らかに先走った脚本のミスであろうが。
前半は、ライネンが手掛かりを得られず、旧知の被害者遺族を訪ねる邪道ともいえる捜査のみで、なぜコリーニの経歴等当たらないのかといぶかしく思えたり、また過去の回想シーンが多用され、進展の無さにちょっと退屈する。後半になって、どうやらカギはコリーニの出身地イタリアが絡み、1944年の事件ということで、ナチス関係ということが判ってくる。マイヤーがナチス親衛隊員であったことも暴露され、そうすると、予想通り動機は当時の虐殺事件の復讐ということが明らかになり、コリーニも法廷でそのことを陳述するに至る。
そこから、被害者側代理人として参加している大物弁護士マッティンガー(ハイナー・ラウターバッハ)の、「では何故コリーニはマイヤーを告発しなかったのか」、という問いかけを基に、当時のドイツの刑法改定に絡んでの重大な問題をめぐる法廷闘争が始まり、どんどん面白くなる。数多くあるナチス関係の復讐劇の一つに見えていたものが、戦争犯罪への対処の仕方の問題として現在のドイツにも繋がってくる。戦後、ドイツでも戦時中の犯罪者を擁護しようとする勢力、もしくは自分たちを犯罪者の範疇から除外しようとする勢力は、一貫して根強く残っており、1968年の「ドレーアー法」という法律により、「法や命令に従って」戦争犯罪に加担した者たちの時効を短縮することで大量に免罪したことが説明される。ドイツも現在ではこの法律が間違っているとして、見直しが進んでいるとのことだが、この法律が正義に反するということを、ライネンから追及されたマッティンガーもやがて認めることとなる結末である。
ラストでは満足したであろうコリーニが、拘置所内で判決前に自殺するのであるが、当初なぜナチスの背景ともども動機を黙秘し続けたのかやはり判らず、ちょっと釈然としない。
映画でも散々描かれてきたナチス犯罪ものが、今も手を変え品を変えて作り続けられているのも、ドイツ人の戦争に対する真摯な向き合い方の現れに思え、都合の悪いことは無かったことにしようとする勢力が幅を利かす日本との違いを改めて痛感させられる。
エリアス・ムバレクの新米弁護士ぶりも良いが、フランコ・ネロとハイナー・ラウターバッハの存在感が強く印象に残った。
総合評価 ⓸ [ 評価基準:(⑥まれにみる大傑作)⑤傑作 ④かなり面白い ③十分観られる ②観ても良いがあまり面白くはない ①金返せ (0 論外。物投げろ)]
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