映画批評&アニメ

◆ シネマ独断寸評 ◆

基本は脚本(お話)を重視しています。
お勧めできるか否かの気持を総合評価で示しています。

映画寸評「運び屋」

2019年03月15日 16時51分43秒 | 映画寸評

「運び屋」(2018年・米国)
監督 クリント・イーストウッド

元気で気骨ある老人像が爽やか

主演は「グラン・トリノ」で終わりだと思っていたクリント・イーストウッドの主演新作なので早速見た。園芸業で成功していたがネット販売に押されて行き詰り、自宅も差し押さえられた90歳の老人アール・ストーン(クリント・イーストウッド)がうまい話に乗って麻薬の運び屋となる。最初は麻薬と知らずに受けたアールだが、途中でそれに気づいた後も平然とこなし、稼いだ大金を断絶していた家族や、退役軍人会の仲間のために使っていくという話。それまで仕事と仲間との交流のみにかまけて、家族を全く顧みなかったことで、妻にも離婚され娘からは縁を切られ拒絶されているが、大いに後悔し、孫娘の結婚を機に何とか修復したいと考えている孤独な老人という設定である。

しかしそれは一面に過ぎず、アールは元気いっぱいである。75歳以上免許返納検討など何のことかという感じで、古い歌を口ずさみながらドライブを楽しんでいる。麻薬組織のボスや指示を押し付ける幹部にも物おじせず、相手の立場による差別をしないので次第に組織の若者たちに溶け込んでいく。麻薬取締捜査官(ブラッドリー・クーパー)にずけずけ意見して「年とった人の言葉には遠慮がなくていい」と言われ、「俺は元から遠慮なんかしない」と我流を強調するが、組織の下っ端にスマホのメールを習うなどの好奇心と柔軟性も持っている。パンクで困っている黒人カップルには手助けを買って出て、「ニグロ」と言って、「今はニグロではなくブラックと言うのよ」とたしなめられ、「そうなのか」と受け入れるのも同様である。組織のボスのパーティではグラマーな娼婦をあてがわれ、積極的な楽しんでいる。年相応によたよたはしているが、特に持病もなく、何の薬も飲んでおらず、介護問題やボケるなど考えられもしないかくしゃくとした老人である。

こういった、誰にでもできることではない老人像は、おそらくイーストウッドそのものであり、彼が理想と考える姿なのであろう。エンドロールに流れる歌の歌詞「老いを受け入れるな」に象徴的に現れている姿勢でもある。それまで自分が積み上げてきたやり方にこだわって生き、法律やモラルにも必ずしも縛られない、しかしその責任はすべて自分が負う、という老人の気骨である。そのことが一貫して表現されているために、十分楽しめて爽快感を与えられる作品である。家族との関係修復というテーマは、どちらかと言うと二次的なものに思えるし、それに真摯に向き合う姿こそが強調されていることのようだ。ストーリーは穴もありそれほど大した出来ではないにも関わらず、最後まで惹きつけられた。

作品宣伝のインタビューなどを見ても、イーストウッドはこの元気さなら、今後の主演作も期待できるのではないかと思えてきた。

総合評価 ④ [ 評価基準: (⑥まれにみる大傑作)⑤傑作 ④かなり面白い ③十分観られる ②観ても良いがあまり面白くはない ①金返せ (0 論外。物投げろ)]

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映画寸評「THE GUILTY / ギルティ」

2019年03月13日 18時37分52秒 | 映画寸評

「THE GUILTY/ギルティ」(2018年・デンマーク)
監督 グスタフ・モーラー

優れた設定を活かした一人芝居

警察の緊急通報指令室に誘拐されたと思われる女性から電話がかかってきて、その携帯電話との繋がりのみで事態を把握・解決しようと奮闘する警官アスガー(ヤコブ・セーダーグレン)が主人公。同様の設定の「セルラー」やその韓国版リメイク「コネクテッド」がかなり面白かったのだが、本作は画面をアスガーの側のみに絞り時間経過も実際の進行と同じに描かれている、という点で全く斬新である。画面上はアスガーのほぼ一人芝居で、相手は全て彼の通話先の声のみである。したがって観客はアスガーと同等の知識しか与えられず、電話のみの利用でどう対応すべきなのかを一緒に考えさせられるのだ。とにかくその設定が秀逸である。

アスガーが外部の上司や同僚にかけた電話での会話により、次第に彼のおかれた立場も明らかになって来るのだが、それにより職務に真摯に取り組む姿勢と、「しょせん電話のみではできることは限られている」という突き放した考えが同居しているのが見えてくる。このあたりのセーダーグレンの演技が非常に上手い。携帯電話の位置情報や女性との会話などから、女性の自宅も分かって来て、そこに残された子供との会話などから徐々に事態が明らかになるようで、どうもすっきりしないもどかしさにとらわれつつ、緊張感は途切れない。どんでん返しもあり、単調な画面に関わらず最後まで退屈するなどということはあり得ない。

やたら派手な展開で惹きつけようとする退屈な大作の対極に位置する秀作である。何度目かの女性の電話でアスガーが女性に反撃を指示するが、これはリスク面でちょっとどうかと思われる。また、最後にもうひとひねりとも期待したのだがそれは欲張り過ぎか。

総合評価 ④  [ 評価基準: (⑥まれにみる大傑作)⑤傑作 ④かなり面白い ③十分観られる ②観ても良いがあまり面白くはない ①金返せ (0 論外。物投げろ)]

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映画寸評「ジュリアン」

2019年02月06日 17時47分16秒 | 映画寸評

「ジュリアン」(2017年・仏)
監督 グザヴィエ・ルグラン

ケチなDV男を描いただけの駄作

(以下、ネタばらし有り)

母ミリアム(レア・ドリュッケール)と父アントワーヌ(ドゥニ・メノーシェ)の離婚調停で、判事によりDVの父にも共同親権が認められ、母と暮らす11歳のジュリアン(トーマス・ジオリア)は隔週末に父と過ごさなければならなくなるという始まりである。厭々それに従うジュリアンに対し、妻子に未練たっぷりのアントワーヌが母子の新しい住所を聞き出そうと脅したりすかしたりする。ジュリアンはアントワーヌを拒否し怖がりながら、母のためにとぼけたり嘘をついたりの抵抗を試みるのだが、そういったやり取りがだらだらと続き、映画への期待がだんだんしぼんでくる展開だ。

アントワーヌが強引、巧妙、狡猾に妻子を支配下に置いていて、ジュリアンが如何にそこから脱するか、という話かと思ったら、どうもそうではない。アントワーヌは自分の両親からも愛想をつかされ身を寄せている実家からも追い出されてしまうダメ男で、無理矢理聞き出したミリアムの家に押し掛けて泣いて見せたりする。それに対し、完全に彼を拒絶しているはずのミリアムの対応がいかにもあいまいで、これによってDV支配の根強さを描いたつもりなら全く的外れである。ジュリアンの嫌悪と不安でやり切れない心情は一貫してよく表現されているが、ただそれだけの映画である。

やがてジュリアンの18歳の姉とその恋人が主催するパーティがとってつけたようにあるが、これもまた何の意味も持たないと思える。最後はアントワーヌが猟銃を持って、母子に会うために深夜の住まいに押し掛け、ドアを蹴り続けたり、猟銃を発砲したりの騒ぎで、当然ながらアパートの隣人の通報で警察が駆けつけて逮捕されてしまうという結末。無理心中を企てたようでもなく、単にやけくその後先考えない行動で警察にも言い訳しようとするお粗末。それに対して母子は怯えて震えているだけであり、全く何のひねりも深みもない話である。

ベネチア国際映画祭で受賞したとのことで、誉めた批評や紹介を目にするが、こんなものに「背筋が凍る」とか「心臓が飛び出しそう」とか、宣伝にしても恥ずかしくないのか。ニュースで父親による虐待で死亡した10歳児の作文を読み、その情景をちょっと想像しただけで慄然とするが、この映画には何の感慨も起きなかった。

総合評価 ①  [ 評価基準:(⑥まれにみる大傑作)⑤傑作 ④かなり面白い ③十分観られる ②観ても良いがあまり面白くはない ①金返せ (0 論外。物投げろ)]

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映画寸評「クワイエット・プレイス」

2018年10月22日 09時43分21秒 | 映画寸評

「クワイエット・プレイス」(2018年・米国)
監督 ジョン・クラシンスキー

秀逸な設定を活かしきった傑作

外来種と思われる正体不明の怪物によって、人類が滅亡しかかっている近未来が舞台。目は見えないがあらゆる音に反応して瞬時に襲いかかる怪物に対抗手段を持たない人類は、とにかく音を立てないで生活するしかない。農場に生き残った身重のエブリン(エミリー・ブラント)と夫のリー(ジョン・クラシンスキー)と子供二人の家族がどう生き延びるのか、という設定。この設定が秀逸で、ホラーという分類よりも、むしろサスペンス主体と言うべき映画であろう。

一家は手話で会話し、日常の動線には砂を敷き詰めて裸足で歩くといった工夫を凝らして生活しているが、全く音を出さない生活というのが、いかに緊張感にあふれた困難なものかが、段々と見ている側にも伝わってくる。気がつくと、まさに息を詰めて観ている自分を発見して驚いた。世界がどのようにしてこういう状況になったのかという説明は一切なく、のどかな農場や森の風景と緊迫した生活の対比を繰り返しつつ画面に惹きつけてゆく。夜、遠くの山裾にポツリポツリと明かりが点り、生き延びた人間がいることを示すシーンも印象的である。エブリンは生活の工夫をさらに考え、リーは息子にサバイバルの術を教えつつ、心に葛藤を持つ思春期の娘との関係に心を砕く中で家族愛が描かれていて、違和感なく収まっている。しかし、それは特筆するほどのものでもなく、上記の設定を活かしたハラハラ感で全編を通しているのが成功している基であろう。

せっかく優れた設定で興味を引きつつも、その扱いに失敗してストーリーに齟齬をきたしたり、面白くもない内容を付け加えて台無しにしたり、という映画も多い中で、本作は際立っている。ラストも細かい説明は一切ないのだが、難点は正体不明の怪物の不気味さがみなぎっている前半に対して、後半、怪物の姿をちょっと描きすぎという点であろう。また、細かいことを言えば大きな音を出して、怪物に襲われるまでの2、3秒の間、無音で走って逃げた時はどのようにやられるのかと、疑問を持った。

すでに続編の制作が決まったらしいが、意外性を持った設定ゆえに、続編は二番煎じなるのではないかと心配される。でもやはり観てしまうかな、と思わせる。

総合評価 ⑤  [ 評価基準: (⑥まれにみる大傑作)⑤傑作 ④かなり面白い ③十分観られる ②観ても良いがあまり面白くはない ①金返せ (0 論外。物投げろ)]

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映画寸評「クレイジー・フォー・マウンテン」

2018年07月30日 08時02分21秒 | 映画寸評

「クレイジー・フォー・マウンテン」(2017年・豪)
監督 ジェニファー・ビーダム

脈絡の無さすぎる山岳映像美

冒頭が命綱無しで垂直の岸壁を登攀するシーンであり、さらにナイフリッジをすすむシーンなどが続き、かなりハラハラさせられ惹き込まれる。このような先鋭的な登山シーンを集めた映画なのだな、と期待してみているうちに、ゲレンデを滑るスキーヤーたちが映り、山岳スキー、マウンテンバイク、パラシュートを着けての崖からのダイビング、バラクライダーなどへと変わっていく。それらはいずれも難易度の高い部分を切り取っており、それぞれ迫力のある映像で、そういう意味ではそれなりに楽しめる。

しかし、始めに期待していたような山岳映像とはかなりずれていき、溶岩流や、山とは関係ないアクロバティックな自転車競技なども出てきてがっかりさせられるのだ。終盤では映像美とも無関係な、行列をなすエベレスト登山の現況報告も入り込んできて、全く全体としての脈絡は消えてしまう。挿入される警句・箴言などの短いモノローグも、もっともと思えるものや、意味深に見えて単に言葉を並べただけのもの、中には意味不明なものもあり、総じてつまらない。また、モノローグ以外の場面には全編を通してオーケストラによる音楽が流れるのだが、ドラマ性の無い内容を無理に盛り上げようとするかの感じで騒々しく感じられるし、過剰である。

ポスターにも使われているような登山関係に絞れば、結構素晴らしいものになったかもしれないが、余りに脈絡の無さすぎる構成に、結局、監督は何を描きたかったのだろう、と思ってしまう。オーストラリアで大ヒットしたというのが不思議だ。

総合評価 ②  [ 評価基準: (⑥まれにみる大傑作)⑤傑作 ④かなり面白い ③十分観られる ②観ても良いがあまり面白くはない ①金返せ (0 論外。物投げろ)]

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映画寸評「母という名の女」

2018年07月18日 08時35分05秒 | 映画寸評

「母という名の女」(2017年・メキシコ)
監督 ミシェル・フランコ

ジコチューの母親を描いただけの退屈
(以下、ネタばらし有り)

メキシコのリゾート地で姉クララと暮らすバレリア(アナ・バレリア・ベセリル)は17歳で身籠って、同い年の恋人マテオも同居している。クララの連絡で、疎遠だった母親アブリル(エマ・スアレス)がやって来てバレリアの世話を焼くのだが、赤ん坊が生まれて面倒を見るうちに自分勝手なふるまいで娘たちを支配するようになる。そのうち子育てに難渋する若い2人を見て、独断で赤ん坊を養子に出してしまうのだが、それに対していくら未熟とは言え2人が何の対抗策もなく嘆き悲しんでいるだけというのは余りに不自然すぎる。自分の欲望のままに行動するアブリルは、赤ん坊をだしにマテオだけを連れ出して誘惑し、ついにメキシコシティで赤ん坊共々生活していこうということになる。マテオは全く言いなりでアブリルに従うのだが、この過程も説得力がない。

欲望と衝動のままに行動し、愛情を注ぐべき娘からあらゆる大切なものを奪うアブリルが、社会通念をくつがえす、驚嘆すべき怪物的な母親である、と宣伝文句や紹介記事でうたっていて、そこに何か目新しいものを描いているように思わせるが、単なる自分勝手な女を描いただけの話に過ぎない。親子や家族の繋がりが絶対的なものだという前提に立てば、そう言う見方もできるかもしれないが、母親が子供を虐待し、夫が妻子を皆殺しにし、子供が親を殺すという事件は現実に次々と起こっている現在である。映画の紹介者たちは、そういう現実を知らない人間であるがごとく、アブリルの「怪物性」に驚いて見せているだけである。

やがてバレリアがアブリルの所在を突きとめ、3人が一緒に暮らしているのを目撃して押し掛けると、アブリルは赤ん坊をレストランに放置して逃げてしまい、バレリアは警察などの力を借りて赤ん坊と親権を取り戻す、というだけのことである。ここでもバレリアとアブリルの間で駆け引きや激しい衝突があるのかと思いきや、そういうものは一切ない。

監督は映画祭受賞の常連で、この作品もカンヌで賞をもらったとのことであるが、宣伝文句で知らされた通りにアブリルが母性愛・家族愛にとらわれない人間だということを承知して観れば、何の驚きもない退屈なだけの映画である。

総合評価 ②  [ 評価基準: (⑥まれにみる大傑作)⑤傑作 ④かなり面白い ③十分観られる ②観ても良いがあまり面白くはない ①金返せ (0 論外。物投げろ)]

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映画寸評「スリー・ビルボード」

2018年04月10日 07時58分57秒 | 映画寸評

「スリー・ビルボード」(2017年・英国・米国)

監督 マーティン・マクドナー

行動から始まるそれぞれの変化
(以下、ネタばらし有り)

娘をレイプされて殺されたミルドレッド(フランシス・マクドーマンド)が、7か月たっても犯人が判らないことに業を煮やし、道路脇の3枚の巨大広告板に警察署長ウィロビー(ウディ・ハレルソン)を難詰する広告を掲げたことから、南部の田舎町に起こる波紋を描いたもの。

ウィロビーの言うように警察も決して怠けているわけではなく、手がかりもなく行き詰っているのであるが、ミルドレッドはそれを承知の上で自分の怒りをぶつけているのであり、その頑なな態度に、町の人々も人格者ウィロビーの方に同情的である。ましてウィロビーは末期癌で余命わずかと分かっているのだから。周りの忠告に耳を貸さず思った通りに突き進むタフな女は、観客にも反感を抱かせるかもしれないところを、マクドーマンドが好演していることで、まず惹きつける。

そういうミルドレッドに対し、ウィロビーの部下ディクソン巡査(サム・ロックウェル)は特に強い反感を抱く。もともと人種差別主義的で粗暴な行動に出ることの多いディクソンは、どうしようもなく厭な奴だと思えるが、状況によってはすぐに暴力に訴えたり、助けてくれた小男に対する差別的な態度などの点ではミルドレッドも表裏一体である。人間の善悪が単純なものではなく多面性を持っているということが、この映画の底流にある主張であろう。ウィロビーの死で逆上したディクソンは、看板の広告業者に暴行し、やがて看板に放火するなど徹底的な敵役と見えて、警察を馘になった後の終盤に犯人探しに情熱を傾ける様が意表を突く展開で、根っからの悪い奴でもないのかなと思わせるのだが、その変化を全く違和感なく描いているところが素晴らしい。ロックウェルの好演も大いに貢献している。

正義は必ずしも勝たず、自分の主張は強く表明しなければ通らず、ある意味やった者勝ち、声高に叫ぶ者勝ち、という面があり、何が正しいのか定かならぬ南部田舎町の社会を描く中で、一つの規範となるのがウィルソンであろう。それぞれ彼の死後に届くミルドレッド宛とディクソン宛の手紙に、望まれる心の在り方が示されている。次月の看板の広告代を自分が負担するという遺言もその一端を表し、なかなかしゃれている。その関連として、ディクソンに暴行されて入院中の広告業者の隣のベッドに、警察署への放火で大やけどを負ったディクソンが運ばれた時のシーンがある。包帯だらけでディクソンと分からず広告業者がジュースを勧めたり親切にするのだが、ディクソンが暴行のことを詫びて相手が誰だかわかり怒りが再燃するが、一息ついた後で黙ってジュースを差し出すのが印象的である。

看板を出すというミルドレッドの行動から始まり、周りの何かが変わったように、ミルドレッドとディクソンは、持っていき場のない怒りを、新たに見つけ出した標的にぶつけるために、彼を殺すという思い切った行動を起こすことにする。しかし彼らは、本当にそれで良いのかと自問しつつであるところが、彼ら自身の変化なのであろう。ある意味での本作のテーマとも結びついた秀逸なエンディングとなっている。殺人目的や警察署への放火などミルドレッドの意表を突く行動は、面白くても余りに強引すぎて不自然でいくら何でも、と思えるが、やはり傑作である。

総合評価 ⑤  [ 評価基準: (⑥まれにみる大傑作)⑤傑作 ④かなり面白い ③十分観られる ②観ても良いがあまり面白くはない ①金返せ (0 論外。物投げろ)]

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映画寸評「ロープ / 戦場の生命線」

2018年02月22日 09時08分22秒 | 映画寸評

ロープ/戦場の生命線」(2015年・スペイン)
監督 フェルナンド・レオン・デ・アラノア

ブラックユーモア的に描く戦場の援助活動
(以下、ネタばらし有り)

停戦直後1995年のバルカン半島で、國際援助活動家たちの行動を通して戦場の現実を描いたもの。国連の平和維持活動部隊が管理する停戦地帯で、井戸に投げ込まれた死体を引き上げるためのロープを求めて「国境なき水と衛生管理団」のマンブルゥ(ベニチオ・デル・トロ)やビー(ティム・ロビンス)のチームは、あちこち当たるのだがなかなか手に入らず右往左往することになる。

冒頭でビーと新米活動家のソフィー(メラニー・ティエリー)の乗った車が道の真ん中によこたわる牛の死体に行き当たり、そこに地雷が仕掛けられているのをどうやって通行するかというシーンで、彼らの置かれた地域の過酷な状況と、実践に基づく知恵をブラックユーモア的に描くことで、本作のトーンを表現しているのがまず秀逸である。国連部隊は任務の範囲を巡って硬直した姿勢で協力せず、現地商店にたむろする男たちは外国人に敵愾心を持ってそこにあるロープを売るのを拒否し、地元軍隊は通行さえ拒否して彼らを追い返す。その都度マンブルゥたちはぎりぎりのところまで粘って交渉するが、それは一歩間違えば生命の危機さえ伴うことでもあり、彼らはそこで引き下がるしかない。それらの各場面での緊迫したやり取りが生々しく伝わってくる。また、死体の投げ込まれた井戸には、給水車で金儲けのための一団が現われ、死体を投げ込んだのもあるいは彼らの仕業かと思われるが、マンブルゥたちは困った住民が水を買うのを見ていることしかできない。

ようやく入手したロープで始めた死体引き揚げ作業も国連部隊に中止させられるのだが、国連部隊があそこまで形式主義で融通が利かないものかと不思議な気もするが、原作は「国境なき医師団」所属の医師兼作家だということなので、実際にそうなのかなと思える。もちろん、各部隊の指揮官たちの考え方や性格に左右されることも大きいと推測されもするのだが。困難でもどかしい現実に直面するマンブルゥたちは、いい加減厭になって投げ出してしまってもおかしくないと思えるのだが、彼らは自虐的なジョークも吐きながらできることを淡々と行っていく。知らない人々に待たれ当てにされているという思いで次の任務に向かう姿はなかなか感動的である。

過酷な現実をブラックユーモア的に描いた上出来の作品だが、ラストでも井戸の死体の問題は自然の力が解決するというオチで笑わせる。ベニチオ・デル・トロとティム・ロビンスは好演である。

総合評価 ⑤  [ 評価基準: (⑥まれにみる大傑作)⑤傑作 ④かなり面白い ③十分観られる ②観ても良いがあまり面白くはない ①金返せ (0 論外。物投げろ)]

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映画寸評「密偵」

2017年12月14日 11時52分09秒 | 映画寸評

「密偵」(2016年・韓国)
監督 キム・ジウン

武装独立闘争のスパイアクション
(以下、ネタばらし有り)

日本統治下の1920年頃に韓国で実在した武装独立闘争組織「義烈団」を描いたスパイアクション。義烈団のメンバー3人が骨董の仏像を売りに行った屋敷で、大人数の警官隊に包囲され、逃亡を試みて逮捕されるまでの冒頭が、屋根の上を走る警官たちを俯瞰するシーンを効果的に使ったスピーディな展開でまず惹き込む。

義烈団の団長、チョン・チェサン(イ・ビョンホン)の逮捕を焦る日本警察の東部長(鶴見辰吾)の指令で、部下の韓国人警官イ・ジョンチュル(ソン・ガンホ)は義烈団リーダーのキム・ウジン(コン・ユ)に接近する。二人が親しくなるが、義烈団はもともとチョンを協力者にしようと目論んでいたのであり、イ・ジョンチュルは言わば二重スパイの立場となる。職務への忠誠と祖国への思いに板挟みになった警官の葛藤をソン・ガンホが好演しており、彼の心が結局どちら側に付いたことになるのかは終盤まではっきりとはしない。

舞台は韓国の地方都市から上海、そして上海から京城(現ソウル)へ向かう列車、京城とテンポよく移り、特に閉じられた空間である列車内の攻防がサスペンスフルで大いに楽しめる。裏切者を突きとめる手法もなかなか良く出来ている。義烈団が爆弾を運ぶ目的の列車は何とか京城まで着くが、結局、京城駅で見破られて一味は捕まり、その場は逃げおおせたキムも隠れていた山小屋で逮捕される。それぞれの場面で山場と言えるようなアクションが繰り広げられ、意外な理由も付加されて上出来の展開である。義烈団はキムたちが逮捕されてそれで終わるのかと思ったが、そこからもう一段、総督府爆破という結末に向けてイ・ジョンチュルが動き、その成功というところまでを描いているので一種のハッピーエンドである。実際はやがて義烈団も消滅し、日本による統治は日本の敗戦まで続くことになるのではあるが。

イが裁判で述べた言葉の真相も最後で明らかにされ、虐げられた民族の気持ちを鼓舞する形でのカタルシスが得られるものとなっている。韓国で大ヒットしたとのことであるが、日韓対立等を抜きに楽しめる作品である。コン・ユや鶴見辰吾も好演しているが、イの同僚で職務に忠実で偏執的な雰囲気を見せるハシモト役のオム・テグが印象的であった。

総合評価 ⑤  [ 評価基準(⑥まれにみる大傑作)⑤傑作 ④かなり面白い ③十分観られる ②観ても良いがあまり面白くはない ①金返せ (0 論外。物投げろ)]

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映画寸評「ダンケルク」

2017年09月27日 13時25分34秒 | 映画寸評

「ダンケルク」(2017年・米国)
監督 クリストファー・ノーラン

臨場感は素晴らしいが説明不足の難
(以下、ネタばらしあり)

第2次大戦初期の1940年、ドイツ軍によりフランス北部の海岸ダンケルクに追い詰められた英仏連合軍の、イギリスへの救出作戦を描いたもの。冒頭よりトミーやアレックスという若い兵士たちの視点で、追い詰められ浜辺で救助を待つ兵士の状況が描かれる。大人数が整列する浜辺を爆撃するドイツ機に対し、彼らは伏せることしかできない。ようやくやって来た駆逐艦に乗り込んだ第一陣は空とUボートによる爆撃で沈められてしまい、桟橋も破壊される。トミーたちが隠れて聞いた指揮官たちの会話によると、40万人の兵士に対し救出作戦は4万5千人を目的としているとのことでもある。絶望的な状況に思える状況が映像と音響で巧みに描かれ臨場感たっぷりで、兵士たちの恐怖が確実に伝わってくる。当欄でも言われているように、IMAXで観なかったのが少々悔やまれるシーンだ。この部分が本作品のクライマックスと言っても良いのではないか。

映画はこの浜辺の1週間と、救出作戦の一員として出航した民間の小舟の1日間、援護のために飛び立ったイギリス戦闘機の1時間が交互に描かれる。つまり、最後に戦闘機が燃料切れで不時着した時間からさかのぼっての1週間、1日間、1時間ということになる。それが判ると、なるほどと思えるが、事前に紹介記事をよく読んでいなかったので、冒頭の字幕だけでは理解できず戸惑った。あの字幕だけでこの変則的な構成が理解できる人は少ないのではないか。上述したような起点となる日時等、何らかの表記が不可欠と思われる。

戦闘機の空中戦もなかなか良く出来ていたが、沈没船から民間船に救助された兵士のパニック症状をめぐる出来事や、浜辺に座礁した船にもぐり込んだ兵士たちのエゴイズムと恐怖を描いた、個々のエピソードはあまり良い出来とは言えない。最も気になった点は、序盤の絶望的な状況から終盤のスムーズな救出場面への唐突とも思える転換である。確かに想定以上ともいえる民間の小舟900隻の到着や、イギリス戦闘機の個別的勝利が描かれており、その意味は大きいのだが、それでドイツ軍の攻撃が終了したかのような描かれ方だ。特にUボートはどうなったのだ。結果的に33万人が救出されたとのことだが、実際はイギリス軍、フランス軍それぞれが別の地点で救出作戦成功のために犠牲的防衛戦を遂行しており、イギリス空軍もかなりの犠牲を出しており、ドイツ軍内の戦況判断の問題等も絡んでいたとのことである。もうちょっと大局的な戦況説明が欲しいところである。

大局的な戦況云々よりも、戦場の迫力、大画面の臨場感が評価されるべき映画ではあるのだが、戦況の位置づけがないままに、落ち込んで帰還した兵士たちを迎える最後のイギリス国内の万歳状況を描いたため、そのシーンがとってつけたように浮いて見えるのであろう。

総合評価 ③  [ 評価基準:(⑥まれにみる大傑作)⑤傑作 ④かなり面白い ③十分観られる ②観ても良いがあまり面白くはない ①金返せ (0 論外。物投げろ)]

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映画寸評「ジョン・ウィック:チャプター2」

2017年08月01日 11時06分08秒 | 映画寸評

「ジョン・ウィック:チャプター2」(2017年・米国)
監督 チャド・スタエルスキ

敵の弾はジョンには当たらない

前作は見ていないが、今回もストーリーはともかくとしてアクションがすごい、という紹介記事につられて観たところがっかりである。冒頭のカーチェイスの果てに車が止まり、ジョンが車から出てきたところを敵が襲ってくるのだが、当然銃撃してくるものと思うと何故か全員素手で向かってきて格闘技となる。ジョンが次々と倒すが最後に巨漢が出てきてやられそうになると、突然拳銃を出して射殺するのである。DVD鑑賞ならここでやめるところであろう。

その後も中心は延々と続く銃撃戦なのだが、ジョンの強いわけは敵が撃った弾は当たらない、ということに尽きる。建物内を動き回りながら撃ち合う時に、ジョンが先に敵を見つけた場合や同時に気づいた場合はともかく、敵が先にジョンに気づいて撃った弾は当たらずジョンが反撃して倒す、というシーンが何度もあり、白けてしまった。射撃の腕が良いとか、早撃ちとか、物陰に隠れて撃つのが上手とかではなく、単に運が良すぎるだけとしか思えないシーンだ。そうであるから、敵が何十人もいる催物会場に何の工夫もなく正面から乗り込んで行くこともできるのであろう。また、敵方の中には、ただ撃たれるためにのみ登場したかのように見える者もいたりする。この基本のリアリティが無視されている以上、所どころそれなりに良く出来ている細部の凝った設定も楽しむことはできない。

ストーリーに期待はしていなくても、最初は裏社会のルールを真剣に理解しようとしていたが、それも屁理屈を並べたようなものに思えだした。1対多数の闘いは、チャンバラや格闘技ならともかく、正面切っての銃撃戦では成立しにくいのであるが、それ故に何らかの工夫が必要なのであり、それによって映画の出来不出来が決まる。本作はその点で全く失格であり、ただ次々と多数を殺し続けるというだけで、殺した人数の多さでスケールアップしたと勘違いしているのではないだろうか。

総合評価 ②  [ 評価基準: (⑥まれにみる大傑作)⑤傑作 ④かなり面白い ③十分観られる ②観ても良いがあまり面白くはない ①金返せ (0 論外。物投げろ)]

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映画寸評「ハクソー・リッジ」

2017年07月26日 05時55分26秒 | 映画寸評

「ハクソー・リッジ」(2016年・米・豪)
監督 メル・ギブソン

戦争の矛盾を体現する主人公

人を殺さず銃も持たないという宗教的信念を持って、1945年5月の沖縄戦に衛生兵として派遣された米兵の話。デズモンド・ドス(アンドリュー・ガーフィールド)は当時のアメリカではある程度認められていた良心的兵役拒否の道を選ばず、宗教的信念のもとでも国に貢献したいと衛生兵としての参戦を希望して入隊する。

軍隊での訓練の中で、周囲から臆病者・厄介者と見られてリンチに会ったりもするが、本人も自分の位置づけを理解しているため、それらに反発することなく人一倍熱心に訓練をこなす。リンチの犯人を上官に問い詰められても明かさず、ひたむきに進む姿勢に、同期兵たちも次第に一目置くようになる過程がうまく描かれ、前半も飽きさせることは無い。沖縄のハクソー・リッジ(のこぎり崖)に着いてからは一転して至近距離での銃撃戦が始まり、頭を撃ち貫かれ、手足が引きちぎれ、はらわたがはみ出し、火だるまになる凄惨な場面が続くが、それらを徹底的に描写することで戦争のひとつの真実を伝えているのは確かである。このシーンの凄惨さが過去の多数の戦争映画を上回るのは大方の認めるところであろうし、監督の狙いは成功している。

ドスは一人でも多くの人命を助けたいと、殺し合いのさ中で手当てして回る。しかし手当てする余裕を得るためには、攻撃してくる敵兵を防がなくてはならず、味方が敵兵を銃撃し続けることよってドスの行為が成り立っているのである。負傷兵を引きずって逃げる最中に、引っ張られる負傷兵が追ってくる敵兵を一人また一人と殺し続けないとたちまちドス共々殺されてしまうのである。ドスが自ら手を下さないとしても、「殺すなかれ」というドスの信念は、「救うために殺す」という事実とはっきりと矛盾しているのである。これは戦争という絶対悪のもとでは避けられないことであろうし、大きく言えば「正義のための戦争」などという言葉の自己矛盾と同列のものであろう。とは言え、ドスの立場としてどのような選択肢があるのかと言えば、絶対的な正解は無く、良心的兵役拒否よりも銃を持たない参戦を選んだドスとしては、その是非を問うことは無くても、それを貫き通す困難に打ち勝ったのであり、やはり立派であると言えよう。

難点は、当欄でもすでに指摘されているように、なぜ日本兵は縄梯子を切り落とそうとしなかったのかということである。崖上を制圧した状態で、なぜドスがいる崖際まで追撃してこなかったのだろう。またもうひとつは、崖から次々と負傷兵が降ろされて来るのを見た米兵が、見ているだけで誰一人応援に行こうとしなかったのかということである。ドスが75人の命を救ったという実話を基としての映画なのだが、実際のそのあたりはどうなっていたのだろうか。また細かいことでは、ドスがベジタリアンであると中盤以降に唐突に明かされるのだが、それまでの軍隊での食生活はどうしていたのだろうか。しかしながら、これらの穴にもかかわらず、全編を通しての緊迫感と迫真性は十分に優れており、監督としてのメル・ギブソンの手腕を評価したい傑作である。

日本兵の描き方に特に問題は感じないが、終盤とエンドロールを見るとアメリカにおける一種のハッピーエンドと描かれているような感じがする。それでも、前述の戦闘の凄惨な描写の徹底に於いて、監督の意図か否かに関わらず、一つの反戦映画となっているのは確かである。

総合評価 ⑤  [ 評価基準: (⑥まれにみる大傑作)⑤傑作 ④かなり面白い ③十分観られる ②観ても良いがあまり面白くはない ①金返せ (0 論外。物投げろ)]

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映画寸評「コンビニ・ウォーズ ~バイトJK vs ミニナチ軍団~」

2017年07月19日 07時38分34秒 | 映画寸評

「コンビニ・ウォーズ~バイトJK vs ミニナチ軍団~」(2016年・米国)
監督 ケビン・スミス 

身内で遊んでいるだけの大駄作

ジョニー・デップの娘と監督の娘が女子高校生役で主演したコメディ。二人のバイト先のコンビニの地下で眠っていたミニナチ軍団が目覚めて現われ、二人がそれらと戦うという話だが、見るべきところは全くない。いろいろな映画であらゆる角度からテーマに取り上げられているナチスという素材に便乗し、今風の女子高生・コンビニバイト・ヨガを組み合わせてみただけのもの。

最も馬鹿馬鹿しいことは、ミニナチ軍団と戦うと言いながら、それらは二人がモップで叩き潰すだけでやられてしまう弱いクローンでしかないことであろう。気がつかないうちに男の肛門から体内に入り込んで移動し口から出てきて殺す、という登場の仕方をしたミニナチの脅威はどこにもない。二人はヨガの技などと口走るが、ただ手足を振り回しているだけのアクションである。何のひねりも無く、単にSF・ホラー・アクション・ドタバタなどの思い付きを並べて遊んでいるだけの映画である。親ばかB級映画などとも紹介されたりしているが、B級映画とは、金をかけていず傑作とは言えなくてもそれなりに楽しめるところのある映画を言うもので、こんな単なる親バカのお遊びをまともに取り上げる批評家に腹が立つ。映画館では、冬眠から覚めた元ナチス派幹部の男がとってつけたように行う映画俳優の物まねシーンで笑っている人もいたが、そのほかはほとんど笑いは起きなかった。

エンドロールでは、楽屋うちのひそひそ話が流れ、仲間内でクスクス笑う声が入るのだが、当然面白くも何ともなく煩わしいだけで、この映画の性格を端的に表している。今まで観た映画の中で最悪のエンドロールである。

総合評価 ①  [ 評価基準: (⑥まれにみる大傑作)⑤傑作 ④かなり面白い ③十分観られる ②観ても良いがあまり面白くはない ①金返せ (0 論外。物投げろ)]

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映画寸評「家族はつらいよ2」

2017年06月12日 09時50分06秒 | 映画寸評

「家族はつらいよ2」(2017・日本)
監督 山田洋次

笑いは大きくないが社会性で深み

家族内の他愛ないドタバタを手慣れた手法で描いた喜劇で、爆笑するような面白さはないが、高齢者問題という社会性を取り込んだところにそれなりの深みが感じられる作品である。

引退して自由に暮らしている平田周造(橋爪功)・富子(吉行和子)夫妻と3人の子供たち及びその配偶者とが、家族内の問題でやり取りする中で、交わされる会話の端々に現われる本音とのズレをすくい取って笑わせる。今回、富子は序盤で北欧旅行に出かけてしまい、厄介ごとの元となるのは頑固おやじの周造であり、周造対他の家族というパターンは、「男はつらいよ」の寅さん対家族、の焼き直しである。橋爪功が好演してはいるが、寅さんと比べると灰汁が弱いのは当然で、監督の職人芸的な技で笑わせはするが、新味のない古典的なやり取りとも言え、笑いは小さい。その分、つまずいて転んだり等の無理なドタバタを多用しすぎており、特に、周造が家に泊めた高校時代の同級生・丸太(小林稔待)が急死しているのを翌朝見つけて、看護士をしている義理の娘・憲子(蒼井優)以外の全員が怖がる様は余りにオーバーだ。殊にうなぎ屋の出前など極端すぎて白けてしまう感じだ。

家族はつらいよ、と言いながら、全員が安定した生活で仲良くやっており、経済的にもそれなりに恵まれた中流家族の小さな波紋を描いているだけで物足りなさを感じるのだが、それでも確かに前作より良いと言えるのは、高齢者問題という現代の社会性を取り入れているためであろう。周造の自動車運転に絡む高齢者の運転免許問題や、特に事業に失敗して妻子とも別れ、73歳の現在でも工事現場の警備員で働いている丸太に表される、孤独で貧乏な高齢者問題と死体の引き取り手もいない孤独死という問題だが、憲子の祖母が認知症であることもさらりと写して見せる。それらについて、周造が嘆いてみせるがそれ以上声高な主張をするのではなく、掘り下げもないが、喜劇の背景としてさりげなく問題提起をしているバランスが良い、のであろう。さらに周造のそれなりに立派な戸建て住宅や息子・庄田(妻夫木聡)のマンション、憲子の母親と祖母が住むアパート、丸太のアパートなどを写すことで、それぞれの経済力の格差を自然に描いているところも印象的である。

役者はそれぞれ好演しているが、前作に続いて真面目でおとなしい末っ子を演じた妻夫木の抑えた演技が良いと感じられた。

総合評価 ④  [ 評価基準: (⑥まれにみる大傑作)⑤傑作 ④かなり面白い ③十分観られる ②観ても良いがあまり面白くはない ①金返せ (0 論外。物投げろ)]

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映画寸評「太陽の下で ー真実の北朝鮮ー」

2017年02月03日 09時31分13秒 | 映画寸評

太陽の下で-真実の北朝鮮-」(2015年 チェコ・ロシア・独・ラトビア・北朝鮮)
 監督 ヴィタリー・マンスキー

明らかな「やらせ」の裏を撮ったとて
(以下、ネタばらし有り)

ロシアの監督が北朝鮮の庶民家庭の生活をドキュメンタリーで撮ろうとし、実際には全て北朝鮮側の監督の演出に基づくものを撮らされるので、隠し撮りをしてそれを映画にしたものだそうだ。北朝鮮の隠された真実が描かれているという宣伝につられて観たのが大失敗。

確かに、隠し撮りしたフィルムはその実態を暴いており、食事時のたわいない会話にもセリフが指示され、「アクション」という掛け声でシーンが始まるのには笑ってしまうが、そのようなシーンが続くのかと思うとそうではなく、8割がたは基になる映画を見せられるのである。主人公の幼い少女がエリートのための「少年団」に入り、その授業風景や、金日成の誕生日である「太陽節」に向けてのダンスの練習が描かれる。さらに青年たちの同儀式に向けての行進練習などを延々と見せられる。その中で物事のいちいちに「われらが敬愛する金日成大元帥様」のおかげという注釈がつけられ、街中に飾られた金父子の写真や銅像に皆が順番にお辞儀をしていくシーンが繰り返され、退屈そのものでうんざりさせられる。隠し撮りのシーンとしては、上記の食事場面の他は、工場の一つの班の成果発表の場面、少年団の一人が足を負傷したことにして皆が病院へ見舞いに行く場面、ラストで主人公の少女が思わず涙をこぼす場面、くらいのものである。

監督が2年間かけて粘り強く撮影許可の交渉をしたそうだが、そもそも監督はそれによって北朝鮮の真実が撮れると思っていたのだろうか。一般の一家族といってもそれは北朝鮮の指定した家族になるのが目に見えているではないか。不特定多数の家族を撮るのならまだしもだが。いかにもドキュメンタリー映画に見えるものが実は「やらせ」であり、その裏を撮ったフィルムなら見る価値があるが、どう考えても「やらせ」でしかないものの裏をいっしょに見せられても特に面白くはないはずだ。ついでながら、「やらせ」であるのは冒頭の食事シーンでセリフに関係なく、とても食べきれない量の豪華な食卓を見ただけで誰にでもわかるであろう。

総合評価 ①  [ 評価基準: (⑥まれにみる大傑作)⑤傑作 ④かなり面白い ③十分観られる ②観ても良いがあまり面白くはない ①金返せ (0 論外。物投げろ)]

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