Belle Epoque

美しい空間と、美しい時間

地蔵

2009-10-29 | Kyoto sneakers since 2008
留学先の町、トゥールにいるとき、当たり前のように
「待ち合わせはカテドラル(大聖堂)の前で何時にね!」
と、現地の人によく言われました。
サン・ガシアンという有名な大聖堂がそこにはあります。

東京でいうと、新宿のALTA前でね!というのと、だいたい同じ感覚ですが、街のシンボルがカトリック教会の建物であるのと、営業施設であるのと、だいぶ文化の違いが感じられて、おもしろいです。
大聖堂が日常に存在するなんて?!
自分のなかの「常識」が、あっさりグニャリとひずむ感じ。


それを思い出したのは、昨日、京都市内の初めてお邪魔する御宅への道順をいただいたときでした。
地図には、「○○通りから地蔵を左へ」とあり、

地蔵・・・。

地蔵が目印・・・。

カルチャーショックを受けた関東者のわたしです。
そんな普通に、地蔵が街角にいたりはしない!少なくとも、わたしが今まで暮らしていた地域には。

でも、そう、京都には地蔵がやたらと多いのです。目印になるほどに。
住み始めて1年くらいは見過ごしていましたが、「地蔵盆」という伝統行事を目にして以来、にわかに、街の地蔵の存在に気がつきました。
街角にある地蔵に着目すると、その数にはおののいてしまうほどです。

ちなみに地蔵盆とは、このようなもの。
(以下、こちらから抜粋させていただきました。)

「■地蔵盆

長い夏休みも終わりにさしかかった頃に、最大で最後のイベント「地蔵盆」が各地域で行われます。地蔵盆とは,町内のお地蔵さんをおまつりし、子どもたちのすこやかな成長を願う催しで毎年8月23、24日当たりに開かれます。
地蔵盆は京都生まれで、近畿地方の行事として古くから行われてきました。また、北陸地方や新潟、信州では長野市周辺で盛んに行われていますが、東海や関東には、ほとんどないそうです。
なぜ関東には定着しなかったのでしょうか。それは地蔵信仰の歴史のちがいによるもののようです。京都では室町時代に地蔵盆が大流行しましたが、東京では江戸時代になって、やっとお地蔵さんが作られたのです。その上、江戸ではお稲荷さん信仰が盛んだったのです。

地蔵とは、サンスクリット語のクシティガルバの意訳で、クシティは「大地」、ガルバとは「胎蔵」のことであり、合わせて「地蔵」と訳されました。
お地蔵さんは民間の信仰の神様ですが、仏教に属する地蔵菩薩です。この地蔵菩薩はお釈迦様が入滅してから未来仏の弥勒菩薩がこの世に現れるまで、人間界のみにあらず地獄・飢餓・修羅・畜生・天といった六道すべてにおもむき、人々を救済しました。
平安時代以降に阿弥陀信仰と結びつき、地蔵信仰が民間に広がり、道祖神と同じように村を守る役割も果たすようになります。そして、地獄の鬼から子供を救うとして子供の守護神ともなり、現在にいたっています。
地蔵盆の主役は、子どもたちです。京都では、各町内ごと地蔵尊の前に屋台を組んで花や餅などの供物をそなえ、お菓子を食べながらゲームなどの遊び、福引きなどが行われます。」

株式会社 越前屋様HPより


わたしが地蔵盆を見かけたのはちょうど衆院選の期日前投票に行く時でした。
夫と自転車で細い道を通って行ったら、
子供たちがお菓子をねだりに拍子木を打ち鳴らして通りを走り抜けていました。
なるほど、彼が教えてくれたように、ハロウィンを思い出させます。

京都の子たち、地蔵盆でお菓子をもらい、ハロウィンでまたもらい、かわいがられているなあ。。。
(近所では先の週末「北山ハロウィン祭」にて、さまざまに扮装した子供たちが走り回ってました。)

そんなわたしも、地蔵のおかげで、昨日はわかりやすく目当ての御宅に辿り着くことができました。
ありがとう、地蔵。
またひとつ、新しい京都を発見でした。

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。