Belle Epoque

美しい空間と、美しい時間

能楽観世流特別企画、能楽入門

2020-02-02 | Théâtre...kan geki
JR西日本の企画に申し込み、無事15人の枠に入れたので行ってまいりました。
1月28日、片山九郎右衛門師によるワークショップ。



ここがどんな場所か、ご存知でしょうか。
能楽の観世流の、京都での中心は片山家です。東京の観世宗家と親戚にあたります。
同時に、京舞井上流の宗家は同じおうちのここです。
片山九郎右衛門師のお母様は、井上八千代師。
年頭にニュースで流れる、舞妓さん芸妓さんがご挨拶に続々訪れるのは、まさにこのお稽古場。↓




片山九郎右衛門師は、今JR西日本のポスターにも登場されています。

ワークショップでの撮影は禁止されていたのでアップはできないのですが、当日は、
◆「羽衣」のお仕舞を装束をまとった状態で(特別企画です!!)
◆「高砂」のお謡を片山先生自らがレクチャー(特別企画です!!)
◆そのあとは「HANA吉兆」で昼食
と、豪華な内容てんこもりでした。
1月、2月、3月の全3回開催ですが、どの会も満員、キャンセル待ち多数だそうです。

さて、片山家のこの部屋でワークショップがスタートしました。

(しつこいようですがこの部屋ですよ!)

写真では暫定的にカーペットが並ぶ木の床は、1945年に疎開のため丸太町の稽古場を離れた時、剥がして移築しこちらへ張り直したそうです。
「多くの能楽師、芸妓、舞妓の涙と汗がたっぷり染み込んだ床」
とおっしゃっていました。

1階と2階の稽古場で、観世流能楽と京舞の稽古が繰り広げられるのですが、老朽化で耐久が心配と冗談まじりにおっしゃっていたのも、何だか「時」を感じることでした。


さて、九郎右衛門先生のお話。

まず
【能楽とは何か?】
思い浮かべていただきたいのは雛壇の人形です。烏帽子をつけた五人囃子は、笛、大鼓(おおつづみ)、小鼓(こつづみ)、太鼓(たいこ)、謡手(うたいて)、と楽器を持っていて、これが能楽の基本です。
ただし、「太鼓」というのは、神聖な楽器で、雨降らしなど、ここぞという時にしか使わないそうです。神様の「とき」を示すとっておきの楽器。漆と金で装飾されるのは、太鼓のみだそうです。
もともとが農作物の実りを祈願するという大切な神事であった歴史も手伝い、江戸以降に生まれた歌舞伎とは、音楽のとの関わり方が根本的に違います。


【「羽衣」について】
伝説は、静岡の三保の松原が発祥と信じられているのですが、実は、それは後世に物語を演出したひとの作り出した設定で、全国各地に羽衣伝説はあるのだそうです。京都なら丹後にも、滋賀なら余呉湖にも、その伝説は残っています。
天女の背景に富士山がある…という演劇的な美術効果を狙った優れた作者の意図が、演劇として今日も活きている。とのことです。
天から来た人がまた天に帰るというSF的なテーマは今も昔も魅力的。

それから「羽衣」の演能がありました。
増女の面、紫の透ける装束、金色に輝く肌着(天女の肌を表現している)で舞う様子は、やすやすとは近づけない神々しさと迫力を持った、天人そのものでした。


ところでそもそも…
【能の世界とは。】
あの世とこの世の狭間である、「亜空間」が舞台です。
ホントのウソ…というと謎かけのようですが、その「どこでもない」亜空間においては能面という「装置」が必要なのです。

たとえば「翁」という儀式的な演目では、舞台上で能面をつけ、舞い、舞台上で能面を外します。
これは「能にして能にあらず」とされる、室町以前からも伝わる、古い古い、農作物の豊作を願う祈りですが、仮面を付けることで、「神との邂逅」をあらわすのです。

そしてまた能舞台の舞台の広さというか「狭さ」にも、人間的な意味があります。
京間の三間四方。(※京都の畳は、一枚あたりが関東より大きいです)
これは、能舞台の広さですが、【ひとが集まりやすい】広さであります。
畳一枚の大きさを基準にして、演じ手は、自分がどこにいるか、測ります。「畳なん目」という数え方は、茶道でもしていますが、能においても。(板敷なのに。)


【「能に参加する」ことについて】
能は、参加型の芸能です。祝言のとき、葬送のとき、皆で謡う習わしがむかしはもっとありました。
武士は謡で呼吸を一つにし、敵の軍勢を討ち倒す。農民には一揆予防のため授けられなかった奥義でもあります。

…そこで今日は、「高砂」の謡をみんなで練習することに。

わたしが嬉しかったのは、「強吟は関東弁の発音で。」と言っていただいたことです。謡は奈良発祥なのでもちろん関西弁なのですが、関西弁は、特有の節(ふし)が付いてしまう。
子音で発音するのが、強吟のコツ。と聞いて、「もしかして、わたし有利なんじゃない?♪」と一瞬舞い上がりました。
舞い上がったのは文字通り一瞬で、む、む、難しかったです。
鸚鵡返しに謡いながらだんだんに詞章を覚えるのも、変化するふしの部分にのるのも、難しい。

でも子供にはそのように「ただ縦読みに」教えるのだそうです。一般には、6歳6月6日のお稽古始めが、成長の状態とあわせて、ちょうど良いのだそうです。
そういえば、うちの子は5歳で始めました。かぞえでいうなら、年齢的にはちょうどよかった感じなのでしょうか?
もちろん、玄人は2歳3歳から、お稽古を始めます。


【装束について】
このあと、随行していたJRの社員さんに羽衣の装束を着付ける様子を見せていただきました。
息子の舞台のときにも、師事している先生のなさる様子を間近で見ていますが、毎回感動の細やかさ。昨年秋に息子の着付けをしてくださったのはまさに、今日のシテ方橋本先生でした。
「何故」、この装束をつけるのかの説明を片山先生がしてくださいました。
日本語の表現が素晴らしい説明で、感動しました。
「金粉をまぶしたこの装束は、天女の肌をあらわします。その上に微かに透ける高貴な紫の衣をつけている。それを判って観ると、このeroticismを、馥郁とした感じに見られると思います」
ふくいく。という単語を口語で聴くとはなあと、そこに感銘を受ける。
梅の香りの馥郁と…、そんな連想が働くではないですか。
片山先生のお話は、こんなふうに「どことなく良い薫りがする」。以前も、新作能「世阿弥」のTV放映でのインタビューを見ていて感じたことでした。


わたしは「後を継ぐ」ということをサラリとこなしている方々を尊敬しています。
専門家の技量は、そこに生まれたからって継げるものではないことだって多いです。現に、わたしは父の医業を継いでいませんし、母のように料理の名手でもありません。
継ぐということに対する心理的な抵抗、現実的な技量の問題、すべてをクリアしなおかつ楽しんでおられる九郎右衛門先生の穏やかで涼しげなお人柄に、あらためて尊敬の念を覚えました。

↓このあとのHANA吉兆でも、皆さまお話が盛り上がっていました。



昨年の同じ日には金剛能楽堂でレクチャーを受けていました

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