1月25日。予定が様々重なり、急いで駆けつけたのですが、前シテが終わってしまっていました。
後半の、老人がこの世を去ってのち、怒れる鬼の形相の姿で登場してからの流れは、つぶさに観ることができました。
『恋重荷』は、屋敷の菊の世話係である老人が、ふと見かけた若い美しい女御に恋をする話です。
ひっそりとただの憧れで終わらせるつもりだったのに、女御の一味は老人の気持ちに気がつき、もし、われわれとの賭けに勝ったら、デートしてあげますよ?と誘いかける。
持てるはずのない重荷を持てたらね、という挑戦を受けることになり、やはり、やはり、過度に重い荷物を持つことが、できない。
笑われ、屈辱を受け、卑劣ないじめに怒りを抑えられず憤死する老人。
ここまでが、前シテ(前半)です。
『恋重荷』あらすじと見どころ
後シテは、怨霊と化した老人が、打って変わって鮮やかに輝く装束で杖を持ち現れ…
自らがあの荷物のように重い石のようになってしまったように動けないでいる女御を、杖で打ち据えます。
白く乱れふさふさと、「気」のように広がる髪から覗く面は、怒れる鬼のごとく。
檜の床を踏み鳴らす拍子は鋭くて澄み切った音で、心が痛みます。
でも。ここからはとりわけ個人的な想いなのですが、いつも感じるのですが、
能では、死者がやたら元気に、復讐とか無念を晴らしにとかで挑みかかってきて生者を責め立て、わりと対等に闘い、最後には気が済んでめでたく成仏するので、
「なんか人って…死んでも、あの世で元気にしてるんだな」
という安心感?が、錯覚ながら味わえ、ちょっとホッとし微笑ましくなり、心が軽くなるのです。
最近、現実的に死との対面が連続して、ちょっと心がついて行けていない気分のわたしですが、
「死んだのち」
の様子を地続きに想像するのを、能に助けてもらっているところが確実にあります。
死んだからって完全にいなくなるわけじゃない、何もかもは同時に起きている、
そんな次元を超えた体験をさせてくれるから能が好きです。
後半の、老人がこの世を去ってのち、怒れる鬼の形相の姿で登場してからの流れは、つぶさに観ることができました。
『恋重荷』は、屋敷の菊の世話係である老人が、ふと見かけた若い美しい女御に恋をする話です。
ひっそりとただの憧れで終わらせるつもりだったのに、女御の一味は老人の気持ちに気がつき、もし、われわれとの賭けに勝ったら、デートしてあげますよ?と誘いかける。
持てるはずのない重荷を持てたらね、という挑戦を受けることになり、やはり、やはり、過度に重い荷物を持つことが、できない。
笑われ、屈辱を受け、卑劣ないじめに怒りを抑えられず憤死する老人。
ここまでが、前シテ(前半)です。
『恋重荷』あらすじと見どころ
後シテは、怨霊と化した老人が、打って変わって鮮やかに輝く装束で杖を持ち現れ…
自らがあの荷物のように重い石のようになってしまったように動けないでいる女御を、杖で打ち据えます。
白く乱れふさふさと、「気」のように広がる髪から覗く面は、怒れる鬼のごとく。
檜の床を踏み鳴らす拍子は鋭くて澄み切った音で、心が痛みます。
でも。ここからはとりわけ個人的な想いなのですが、いつも感じるのですが、
能では、死者がやたら元気に、復讐とか無念を晴らしにとかで挑みかかってきて生者を責め立て、わりと対等に闘い、最後には気が済んでめでたく成仏するので、
「なんか人って…死んでも、あの世で元気にしてるんだな」
という安心感?が、錯覚ながら味わえ、ちょっとホッとし微笑ましくなり、心が軽くなるのです。
最近、現実的に死との対面が連続して、ちょっと心がついて行けていない気分のわたしですが、
「死んだのち」
の様子を地続きに想像するのを、能に助けてもらっているところが確実にあります。
死んだからって完全にいなくなるわけじゃない、何もかもは同時に起きている、
そんな次元を超えた体験をさせてくれるから能が好きです。