Belle Epoque

美しい空間と、美しい時間

狂言「川上」、能「井筒」

2020-02-12 | Théâtre...kan geki

野村萬斎さんの舞台をチェックしているお友達から、春秋座での能と狂言の催しに誘っていただきました。



プレトークには、企画された渡邊守章氏(狂言愛好者)、天野文雄氏(能楽愛好者)、片山九郎右衛門氏(シテ方観世流)が、本日の演目にまつわるあれこれを披露、
されたのですが、渡邊氏の発言が酷くて印象に残り、他御二方の品性豊かさが際立ったのがまた対照的で、印象的でした。

渡邊守章氏といえばポール・クローデル贔屓の仏文学者で演出家です。かの加藤周一先生からも教えられた一人ですが、昨夜は能の普及に貢献しているとは言い難いセリフが多すぎ…
「野村萬斎さんとお父さんの万作さんが出られたら、お客さんも集まるだろうと、こう、ずるい気持ちで企画をした」
なーんて打ち明けるくらいなら、もう出てきてはいけない⚓️こういうえらいお人は、晩節を穢さずにはおれないものだろうか??
最近、「引き際」について思うところ大の日々の中、またまたサンプルをひとつ手に入れた気持ちです。


と、狂言贔屓の方が企画されただけあって、冒頭の演目が狂言「川上」。
「目の見えない男が、吉野の川上地蔵へ参り、再び視界を手に入れた。が、条件として悪妻を離縁すること、と約束して山を降りた。妻は、なんとしても離縁はしない、と言い張るので、夫が承諾した瞬間、またあれよあれよと失明…。しかし妻が夫の腕をとり、彼の杖となって、夫婦は再び歩き出すのであった」
狂言にしてはなんともいえない余韻の残る終わり方。
夫役が野村万作さん、妻役が野村萬斎さんです。

「夫婦の絆」というテーマで引き続き演じられたのが、能「井筒」。

現在の天理市にあたる石上にある在原寺が舞台。旅の僧が、在原業平の妻、紀有常の娘の幽体と会話する。幼なじみから夫婦となり、死に別れてなお、恋慕を語る妻。
この演目をおもしろく観るヒントを、最前九郎右衛門先生がお話しされていました。
「在原業平という固有名詞がスパイスになっているが、この物語はもっと、長く付き合ってきた2人という普遍的な見方で捉えても良いと思う。」
人が人を想う気持ちは、たしかに特別な事件ではなく誰の身にも仕舞ってあるもの。
能を観て癒されたり活力をもらったりするわたしには、しっくりとふに落ちるお話でした。


さてこの春秋座は、歌舞伎舞台なので、舞台装置が能楽堂と違い、とてもメタリックな印象でした。
まず橋掛かりがなく、花道!
鏡板に、松がない。
四隅の柱が、極めて低い。
照明が、青白く照りつけて、床まで白く光ってる。
見慣れないなあとこちらが思う以上に、演者の皆さまもやりにくかったのではないでしょうか。とりわけシテ方の足運びが気になり、無事に演じられるのかしら??懸命に見守ってしまいました。
もちろん花道から落ちるようなこともなく、みごとな舞でした。
しかし、こんな無機質な舞台でなぜこんな繊細な曲を?アイに野村萬斎さんを入れ込むためにではないの?と邪推を拭えなかったです( ; ; )


春秋座を出たら、夕暮れ。
誰がなんと言おうとどう評価しようと、素晴らしいものはただそこに存在している。
舞台が変わったくらいでは品格の高さをまったく揺るがせなかった能楽師の皆様の存在感が胸に残りました。


「井筒」のススキをイメージした組み合わせにしました😉




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