どこで笑わすかも考えて教案を作っていた。
また、「疲れてきたな・・・」と感じたら、ポンと笑いを放り込んできた。
そんな教師であっても、意外な質問にはしっかりと答え、学生を唸らせていたから不思議である・・・。
それなりに努力していた。
常に自己研修は怠らなかった。
後にたった一人の日本人教師を5年続けることになったのだが、ネットでは日本語に限らない外国語教師たちのブログを読み、学内を歩き回り、様々な教科の教師の手法をさりげなく観察していた。
それでも、私の笑いをちりばめた授業が通用したのは、外国であったからなのかもしれない。
それを考えたとき、「日本では大丈夫だろうか・・・」不安に思う。
帰国後は教師として学生、学習者に教えていないので、その不安が正しいのか、正しくないのかという現実には直面していない。
一昨年「合格してもしなくても、今年が最後」と決意して臨んだ試験。
合格予想点より数点低かった。
翌年、このブログに記したとおり受験を止めるつもりでいた。
それなのに「数点差」というもったいない根性から受けてみたくなった。
しかし、外で勉強すると、様々な邪魔が入るということで、受験を止めた。
その胸騒ぎは正解であり、昨年はとても疲れる試験の勉強と受験をしなくて大正解であった。
今年は受けた。
面の皮厚くも・・・。
それでも今までと同じ魔のゾーンの中だと思われる。
実際年末にならないとわからない。
それでも、もし以降受験するのであれば、不合格者としての再×※チャレンジではなく、合格した者としての自己研修にしようと思ったことは以前記しておいた。
何故今年受けたのであろうか。
それはやはり「公認日本語教師」という資格を見据えてのこと。
420時間卒と大卒、そうでなくても経験という面で暫定措置にひっかかるとは思う。
それなのに、日本語教育能力検定試験を受けたのは日本語教師への未練だけではない。
以前の仲間たちに負けていたくはないのだと思う。
離れていたけれども、日本語教育の世界に帰っていった仲間たちに。
私は元々かなりどんくさい人間だと思っている。
それがわかっているので、必死にジタバタあがき、様々なことを手にしていった。
20代半ば。
中学の頃から夢見ていた大学への入学。
それができたことが大きな転機となり、倍々々と加速していった。
世の中の方々に負けたくない。
せめて、苦楽を共にした日本語教育時代の仲間たちに方が届かなくても、同じ土俵の中にはいたい。
置いてけぼりにされたくない。
それが本音かな。
あのとき、苦楽を共にした仲間たちの前では自然で飾らない自分でいられるから。
自分らしくいられたから。
【アップして数分後の追記:公認日本語教師という資格が怪しい雲行きになっていることは知っている。
それはけっこう腹立たしいことである。期待させておいてさ・・・。
何があったのかは知らないけれどね。
それでも、ある意味私にとっては良かったのかもしれない。ある意味。
そう考えておくことにする。】
また、「疲れてきたな・・・」と感じたら、ポンと笑いを放り込んできた。
そんな教師であっても、意外な質問にはしっかりと答え、学生を唸らせていたから不思議である・・・。
それなりに努力していた。
常に自己研修は怠らなかった。
後にたった一人の日本人教師を5年続けることになったのだが、ネットでは日本語に限らない外国語教師たちのブログを読み、学内を歩き回り、様々な教科の教師の手法をさりげなく観察していた。
それでも、私の笑いをちりばめた授業が通用したのは、外国であったからなのかもしれない。
それを考えたとき、「日本では大丈夫だろうか・・・」不安に思う。
帰国後は教師として学生、学習者に教えていないので、その不安が正しいのか、正しくないのかという現実には直面していない。
一昨年「合格してもしなくても、今年が最後」と決意して臨んだ試験。
合格予想点より数点低かった。
翌年、このブログに記したとおり受験を止めるつもりでいた。
それなのに「数点差」というもったいない根性から受けてみたくなった。
しかし、外で勉強すると、様々な邪魔が入るということで、受験を止めた。
その胸騒ぎは正解であり、昨年はとても疲れる試験の勉強と受験をしなくて大正解であった。
今年は受けた。
面の皮厚くも・・・。
それでも今までと同じ魔のゾーンの中だと思われる。
実際年末にならないとわからない。
それでも、もし以降受験するのであれば、不合格者としての再×※チャレンジではなく、合格した者としての自己研修にしようと思ったことは以前記しておいた。
何故今年受けたのであろうか。
それはやはり「公認日本語教師」という資格を見据えてのこと。
420時間卒と大卒、そうでなくても経験という面で暫定措置にひっかかるとは思う。
それなのに、日本語教育能力検定試験を受けたのは日本語教師への未練だけではない。
以前の仲間たちに負けていたくはないのだと思う。
離れていたけれども、日本語教育の世界に帰っていった仲間たちに。
私は元々かなりどんくさい人間だと思っている。
それがわかっているので、必死にジタバタあがき、様々なことを手にしていった。
20代半ば。
中学の頃から夢見ていた大学への入学。
それができたことが大きな転機となり、倍々々と加速していった。
世の中の方々に負けたくない。
せめて、苦楽を共にした日本語教育時代の仲間たちに方が届かなくても、同じ土俵の中にはいたい。
置いてけぼりにされたくない。
それが本音かな。
あのとき、苦楽を共にした仲間たちの前では自然で飾らない自分でいられるから。
自分らしくいられたから。
【アップして数分後の追記:公認日本語教師という資格が怪しい雲行きになっていることは知っている。
それはけっこう腹立たしいことである。期待させておいてさ・・・。
何があったのかは知らないけれどね。
それでも、ある意味私にとっては良かったのかもしれない。ある意味。
そう考えておくことにする。】