ジャワ島、スラウェシ島、フローレス島では、どんな山奥に行っても、彼方にポツリポツリと集落が見える。
高い山を眺めていると、緑に覆われた中腹あたりに、キラリと光るものがある。それは家の屋根のトタンである。そんなキラリが、目を凝らすとあちこちに見える。
遠くから見ていると、あんな山奥にどうやったら行けるのだろうと思うのだけど、
バイクで山道を走っていると、急に10軒ぐらいの集落が道沿いに何気なく現れて、
ああ、こういう集落が、遠くから見ると、ド山奥にキラリと光って見えているようなところなんだと気付く。
日本では山奥の集落は、ホラとかクボとかいわれる、小さな谷筋にあることが多い。
私の住んでいるような中部地方の山間地ではホラ、クボだが、関東では平らなところで、ヤトといったり、中国地方もまた、名前は知らないが平らなところにある。
なので、集落というのは、水が得やすく風もよけられる谷あいにあるというイメージがある。
もっとも、日本のスイスと言われる信州の遠山郷や、紀伊半島の十津川、九州の椎葉村などのように、谷あいとは関係ない大変な傾斜地に集落を作っていることも多い。が、決して尾根ではない。
スラウェシやフローレスでは集落は、明らかに水の得にくい尾根っぽいところにあることが多い。これがとても不思議だった。
けれど、ある先生の示唆で気付いたのだが、谷あいは空気がよどみ、蚊や害虫が多いので、これを避けるためではないかと思う。
昔、出征してスラウェシに行っていた日本人の話によると、脚を出そうものなら真っ黒になってたかってくる、恐ろしいほどの蚊だったという。
今ではインドネシアでもマラリアはかなり少なくなっているけど、昔は日本にもあり、特に八重山諸島では、マラリアで多くの人が死に集落が消えたところがたくさんある。
話が少々脱線したが、フローレスでは、そういう山間の集落は、道をはさんで10軒ぐらいでまとまり、その中央が道幅が広くなって、広場になっている。そこでみんなが集まって世間話をしたり子供たちが遊んだりしている。その横に小さな売店がある。少し大きな集落では、その広場で毎週末バレーボール大会が繰り広げられる。
家が1軒だけで独立しているということは、出作り小屋でない限り、まずないといっていい。村という単位はなくてはならないもののように見える。そうしなければ生活がしにくいのだろう。
日本でも今でも山間地ではまだそうだが、私の住んでいるあたりはだんだん薄れつつある。お葬式を行う業者が現れ、斎場をあちこちに建設したため、地域の班(10軒ぐらい)でお葬式をすることがなくなったためである。
もともと地域の班はお葬式をするための組織だったといってもいいことは、いろいろな人に言及されていることだ。
写真/フローレス島(2012年)
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