不埒な天国 ~Il paradiso irragionevole

道理だけでは進めない世界で、じたばたした生き様を晒すのも一興

Il restauro del David di Donatello

2008-02-12 07:15:11 | アート・文化

フィレンツェでダヴィデといえば、
ミケランジェロの製作した
精悍で勇猛な青年を題材にした大理石像が有名ですが
フィレンツェ共和制の象徴として好まれたダヴィデは
多くの他の作家たちの手によっても製作されています。
そのうちの一つがドナテッロのブロンズ像。
現在所有保管先の国立バルジェッロ美術館で
2008年末までの予定で公開修復中です。

David_donatello
高さ158センチ、台座部分の円周51センチのブロンズ像は
古代彫刻を思わせるやわらかな流線フォルムの裸体像。
ドナテッロの作品の中でも
最も愛され賞賛される作品ですが
実際の詳細文書はまだ見つかっていないため、
製作の詳細はまだ確定していません。

現在わかっている限りでは、
一番最初にその存在が確認されたのは1469年。
メディチ家のコジモ・イル・ヴェッキオ
(Cosimo il Vecchio)が命じて
ミケロッツォ(Michelozzo)が建設(完成は1455年)した
メディチ邸の中庭の中央に設置されていました。
1469年にロレンツォ・イル・マニーフィコ
(Lorenzo il Magnifico)とクラリチェ・オルシーニ
(Clarice Orsini)の結婚の儀の記録に残っています。

ドナテッロへこのブロンズ像の製作を依頼したのも
コジモ・イル・ヴェッキオであったと考えるのが妥当で
依頼当初から新しい邸宅の中庭に
設置される予定であったと考えられています。

製作年については様々な見解があります。
これまで1420年代からドナテッロがパドヴァへ移動する
1443年までの間というのが定説となっていましたが
昨今ではそのフォルムと他の作品との関係などから見て
1440年代後半から1450年代初めとする説が有力。

依頼主とドナテッロの双方の意図が
絡み合って完成した本作品は
繊細な美青年の姿のダヴィデを実現し、
幼さを残す裸体は慎ましさと勇敢さを秘めています。
どことなく物寂しげで思いに耽ているような
うつむき加減な青年像は
ヘレニズム期の古代ギリシャ彫刻などに
インスピレーションを受けているといわれています。
つばの広い帽子はリボンや房、ローリエの葉で飾られ、
うつむくダヴィデの顔に影を落とし、
更にミステリアスな雰囲気を醸し出しています。

1494年にメディチ家がフィレンツェ追放となり、
このブロンズのダヴィデ像は
フィレンツェ共和制政庁により徴収され
共和制のシンボルとして
ヴェッキオ宮殿の中庭に設置されます。
その後ヴェッキオ宮殿内で何度か移動され、
1600年代にはピッティ宮殿へ移動。
1777年からウフィツィ美術館に保管された後、
1865年からバルジェッロ美術館保管となります。

この小さなブロンズ像は
一部金箔による装飾が施されていることなどから
適切な修復方法がなかなか見つからず、
これまで約100年間に亘り、
通常のメンテナンスと表面的な簡単な洗浄以外の
本格的な修復は一切行われていませんでした。
過去に行われた数々の不適切なケアは
ブロンズの表面に
不自然な膜をつくり上げてしまう結果となりました。
また18世紀から19世紀にかけて、
当時の流行に合わせて施された数々の光沢処理も
オリジナルの色合いを損ねているといわれています。

ここ数年、ブロンズ作品の修復技術が充実し
すでに洗礼堂の天国の扉、
ドナテッロの作品であるアッティス(Attis)や
ヴェロッキオ(Verocchio)のダヴィデ像などの
修復が次々と行われ
その技術の安定性が証明されています。
これを受けて
1400年代の最も重要なブロンズ作品のひとつと評価される
非常にデリケートなこの作品の本格的な修復が実現しました。
2006年12月から詳細の調査が続けられ、
2007年6月からレーザーによる修復が開始されています。
バルジェッロ美術館の2階大広間の、
通常ダヴィデが置かれている場所周辺に
ちょっとしたラボラトリーが無造作に設置され、
一般公開の形で緻密な作業が繰り広げられています。
修復には18ヶ月を要するといわれ、
予定通りに進めば2008年末には修復完了の見込み。

あんまりにも無防備で無造作なラボラトリーですが
その真ん中にこれまた無造作に
木の支えにスポンジを乗せただけの台が作られ
その上に寝かされているダヴィデ像。
その周辺にはいろいろ面白そうな機械が一杯。
バルジェッロは比較的自由に鑑賞できて
作品の5ミリ先まで近寄ってみることができるので好き。
でも修復中のダヴィデは
いつもよりもちょっと遠いところにいるのが残念。