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不埒な天国 ~Il paradiso irragionevole

道理だけでは進めない世界で、じたばたした生き様を晒すのも一興

Tra la mente e il cuore 10.12.2012

2012-12-10 23:55:00 | Tra la mente e il cuore
通常のPCのメールも日本の携帯電話メールも
受信拒否とか、ドメイン指定とかしたことがない。
それはなぜかというと、
設定の仕方がわからないとか、
設定するのが面倒くさいとかいう理由も
多分あるんだけど、
一番の理由は「別にしなくてもいいや」と思っているから。
敢えて積極的に受信拒否設定や
ドメイン指定設定する必要性を感じていないだけ、私が。

受信したところで
明らかにスパムだとわかるメールは読まずに捨てればいいし、
そういう意味では
山ほど受信しているDMと
たいして変わらないかなと思っている。
スパムとDMとでは
害があるかないかという点では大きく違うけど。

受信したものを削除して行く作業が
面倒くさいという人もいるんだろうけど、
私にとってはそれはそんなに苦じゃなかったりする。

逆に色んなスパムを受け取っていると
今、こういう詐欺の手口がはやっているんだなぁとか
あぁ、この前ニュースで言っていたタイプのやつだなぁとか
こんな明らかなものに引っかかるほど
お人好しな人もいるんだなぁとか
自分も引っかからないように気をつけようとか
それはそれで、色々と勉強になる。

敵の作戦を知るという意味では
遠くに避けておくよりも
一応近くまで行ってみて確認したほうが
理解できるんじゃないかと思っているから。

このブログのコメントも基本的には書き込み自由なので、
どうしようもないアホなスパムコメントも
いっぱいついてくる。
でもそれはそれで一応目を通してみて、
アホだなぁ、暇だなぁっていう感想を持つこともできるし
こういうことが商売として成り立つ
経済社会ってどんなものだろうって
考えてみたりするのもある意味、面白い。

なんか、どれもこれも社会勉強の一部かなと。
見極める力をつけるためにも
色々見た方がいいのだろうなとは思っているし。

あぁ、
よく「電話に出ない」と友人たちから苦情をいただくけれど、
確かに電話で話をするのは大嫌いなので、
自分からはよほどのことがなければ
着信履歴が残っていても電話をかけ直すこともない。
ただ、電話に出ないのは受信拒否じゃなくて、
本当に手があいてなくて出られなかったか、
聞こえてないことが多いので、
申し訳ないけど、
その場合はネット上で捕まえてください(笑)。


Tra la mente e il cuore 06.12.2012

2012-12-06 23:58:52 | Tra la mente e il cuore

夢や目標がない人生ってどんなものだろう。
このブログの記事を読んでふと色々思い出した。
一部は納得できるのだけど、
まぁ、この記事に全て賛同できるわけじゃない。
そもそも、自分と向き合うための「旅」を
誰かに誂えてもらった時点で
何かが間違っているだろうと思うので、
規制のツアーに参加していながら
自分探しというのは私には理解できない。


たった一度、迷子になったことはあるんだけれど、
自分が常に
大きな夢だったり
小さな目標だったりを追いかけてきただけに、
それがない人生っていうのはあまり想像もできない。

私は本当に幼いときに吉川晃司に出会ってしまい、
多大な影響を受けて「イタリアに行くこと」が
人生のひとつの目的であり、夢になった。
それに向けてひたすら走り続けて
とにかくイタリアに行くことしか考えていなかった。
そんな状態で中学から大学まで突き抜けた。

一応、世の学生と同じように
大学院受験してみたり、就職活動したりしたけれど、
英語の能力不足で大学院の試験には失敗し
担当教授をして
「お前のようなアホは初めて見た」と言わしめ
内定はひとつももらえないような
だめな大学4年生だった。

今思えば、イタリアに行こうと思っているのに、
なぜ日本に残る手段を探そうとしているんだろうって
あの頃毎日思って暮らしていた。
だから半ばやる気ない状態で向かい合っていたので、
大学受験も就職活動もろくな結果にならなかったんだろう。
大学4年の私は
自分の幼い頃からの夢を叶えることではなく
世間的な体裁のために
あの一年を生きていたのかもしれない。
あぁ、もったいないことした。

結局、大学を卒業した翌年には
イタリアの地を踏み、自分の夢を叶えた。
「イタリアに行く」事が夢だった私は
その時点で夢を現実にしてしまって、
確かに、夢の地に降り立ったのにもかかわらず
一時期
「夢を喪失した」暗黒の時期を送ることになり
イタリアにきたばかりのその年は
精神的に不安定で、体調を崩してぼろぼろになった。

夢のない状態って
きっとそういうことなんだね。
自分のやっていること全てが信じられなくて
モチベーションもなく
暗闇をさらに闇に向かって歩いていくような。

やがて、そんな自分に嫌気がさして、
日本に帰るのか
イタリアに残るのかの決断をするときがきて
負け犬のように帰りたくなかったばかりに
いろんなものを犠牲にして
たくさんの大事なものを失いながら
イタリアに残る事を選んだ。

小さな目標と
自分のやるべきことを再び見つけて
イタリアで闘うことを決意して。
いろんな岐路に立ちながら
小さな目標を積み重ねて更新して
今までやってきた。

先のブログ記事で同感できるのは
「自分と対話することで夢を探り当てられる」という点。
日々安穏と暮らしていたら
本当のやりたいことなんて見つからないんだと思う。

誰かに押し付けられる目標は
あるレベルまでは達成感も与えてはくれるけれど、
自分の内側から生まれてくる夢や目標が
与えてくれる喜びと比べたら
まったく味も魅力もない。

でもね、そんなこと、
学生時代にはわからなかったよ。
大人になったからってわかるようなことでもないけれど、
世の中の波にもまれて
痛い思いをしてきたからこそ、
振り返れることもあるわけだ。


Tra la mente e il cuore 03.12.2012

2012-12-03 23:41:15 | Tra la mente e il cuore
新聞のおまけに時々ついてくる
新作本の試し読み。

この前これがついてきた。
Sam Pivnik
L'ultimo sopravvissuto
アウシュヴィッツの生き残りが書いた物語。
L'ultimo sopravvissuto

おまけの小冊子では
最初の数章しか読めないので
作品自体を批評することはできないけれど
70年近く経つ今でも
アウシュヴィッツと人類の愚行は色んなところで
語り継がれていくのだね。

この作品を読んで、
実はこれを突き詰めて読みたいとは思わなかった。
ただある作品をもう一度読みたいなとは思った。
ある作品とは私にとって
多分人生で初めてアウシュヴィッツを
一番身近に捉える機会になった作品。
Primo Levi
se questo è un uomo

Se questo è un uomo. Ediz. commentataSe questo è un uomo. Ediz. commentata
価格:¥ 2,671(税込)
発売日:2012-03


大学の講義で一年かけて
いくつかの章を読んだのが最初。
そのあと、不意にどうしても読みたくなって、
イタリアで暮らし始めてから読み直した。
最初に読んだ時に比べれば、
自分のイタリア語力も上がっているし、
モノの考え方も変わったし、
多分日本にいる時よりも
アウシュヴィッツやユダヤ虐待についての知識が
相当増えてもいるので
今読んだら見えなかったことが見えてくるような気がする。

そんなわけで今また読み直したくなった。
本棚のどこかに隠れているはずなんだけどな。
探さなくちゃ。


Tra la mente e il cuore 02.12.2012

2012-12-02 23:58:32 | Tra la mente e il cuore
ここのところ、
学生によるストライキやらデモが続いたイタリア。

大抵は平和的に終わるのだけれど、
時に過激化した学生たちと
権威を盾にする警察との衝突も生じます。
そして、警察による
度を超えた暴力がニュースに取り上げられることもしばしば。

そんなことを受けて、
アンケートが行われた結果、
10人に7人のイタリア人が
『暴力に訴える警察官を確定するために
各警察官のヘルメットに番号をつける』ことに賛成。

今や、どこの世界も我々市民は
背番号をつけられて
あらゆることを監視されているようなもの。
特に外国で暮らす場合にはなおさら。
背番号制で管理されるのって
とても嫌なものです。

自分たちがそれを課せられる時には
盛大に文句もいうだろうに、
誰かに背番号つけて管理することには
諸手を上げて賛成するような風潮は
なんだかやるせないなぁと。

背番号をつけて
良いことを行った人を判別するのであれば
100歩譲ってまだ許せるけれど、
否定的な事象を判別するためだけに使うのであれば
もう少しちゃんと考えた方がよいんではないの。

警察官のなかにだって
弱者を助ける本当の正義のために
きちんと任務を果たしている人もいるのだし、
外国人だって、
慎ましく暮らしている人の方が多いのだし。

管理される立場ってなってみないとわからないし
なってみたら、そんなのには反対したくなるはずなのにね。

いずれにしても
たとえ警察であったとしても
過剰な暴力はいつの時代も大罪だわ。


Tra la mente e il cuore 01.12.2012

2012-12-01 23:42:00 | Tra la mente e il cuore
世の中のすべての偶然は必然である。
私はそう信じている。
たとえどんな偶然に見えても
すべては仕組まれた必然なんだと。

もう一年以上も前に
日本で行われた「ブクブク交換」に
提供されていた一冊の本。
「チョコレート・アンダーグラウンド」
チョコレート・アンダーグラウンドチョコレート・アンダーグラウンド
価格:¥ 1,260(税込)
発売日:2004-05

気になったので、すぐに注文して手元にあったのに
ずっと本棚の片隅に隠れていた。
それを突然3日前から読み始めた。

それはただの偶然かもしれない。
たまたまそこにあったから手に取ったのかもしれない。
でも一年以上、そこにあったのに
手に取らなかった本に引き寄せられる理由は
やはり「偶然」なんかで説明はできないよ。

なにをもって「必然」だと思ったかというと、
読み始めてまだ50ページも進んでないけれど、
こんな一節に出会ったから。
一節といながら、以下、かなり長い抜粋ですが。

「わかんないよ、母さん」帰宅したハントリーは言った。
「どうして、大半の人に支持されていないのに、
選挙に勝って国を動かすことができるの?」
母さんはちょっと考え、
間をおいてからこう告げた。
「アパシーね、ハントリー」
(ところで、母さんにまでハントリーという
ニックネームで呼ばれてはいるが、
出生証明書に記載された本来の名前は
リチャードだった)
ハントリーは、アパシーの意味がよくわからなかった。
「無気力とか怠慢という意味よ」と
母さんは教えてくれた。
「つまり、多くの人が、
投票所に行って投票する手間をかけなかったの。
だれもが『ほかのみんなも、
あの党に反対にちがいないから、
自分がわざわざ行くことないさ』って思ったのね。
ただ、ほかのみんなも同じことを考えてた。
わかる?」
「うん、まあ」
ハントリーは言ったが、ほんとにわかったかどうか自信はなかった。
「で、それって、なんて言うんだっけ、母さん?」
「民主主義よ。
気に入っても気に入らなくてもね、
今は健全健康党が権力を握っているの。
あと五年は与党として政治を動かすし、
野党がどんなに反対してもむだ。
だから、あの人たちがチョコレートは体に悪いと決めたら、
そうなるの。
砂糖は禁止と決めたら、砂糖はダメ。
座り込みしても抗議の行進をしても、変えられない。」


これを読んできて、感じた必然とは。
一年以上も眠っていた本を、偶然手に取った必然。
今、読まされているという気がしてならないのよね。

都知事選及び衆院選の前の日本。
子供向けに書かれている本ではあるけれど、
書かれている内容は
現在の世界のあちこちで起きていること
もしくは起きようとしていることを示唆するもので
非常に興味深い。
簡単な語り口の物語から、色んなことを汲み取れる。
ただし汲み取ろうという意思をもって読めばの話だけれどね。

誰か任せにしないで、ちゃんと自分の意見を表明しないと
取り返しのつかないことになりそうな今の日本。
どこも似たり寄ったり、政権握ればどこも同じと
私も考えていたこともあったけれど、
最近は、
そうではないんじゃないかと思うようになった。

たとえ消去法で選んで行くしかなかったとしても、
それでも自分の出した結論であることに違いはない。
「少なくともほかよりはマシだろう」
と思える党や候補者に票を投じる方が
なにもしないでいるよりも、ずっと積極的。
なにもしないことが一番危険なんだろうなって。
そうまさに
「アパシーの危険性」ということなんだろうなって。

この本、投票権を持つ多くの人に読んでもらいたいなぁ。