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教員免許の更新制度より禁固刑喰らった国会議員を再選できなくする法律を作るべきだった

2007-06-23 15:19:07 | クダ

教員の免許の更新制度の導入は安倍首相のかねてからの主張であったらしく、著書にも書かれているそうだ。自分はそれも読んでいないし、条文も見たわけでもないが、国会の質疑やネット上の情報を見た感想を言えば、教員の質の向上も重要だが、国会議員の質の向上は最初から眼中にないのか、と言いたいということと、大学の教員の任期制の話はどこへ行ったのかということだ。

まず国会議員に関しては年齢以外の条件はまったくないに等しい。公民権停止だと選挙に出られないのかもしれないが、いずれにせよ禁固刑を全うしても復帰できるかなり珍しい職種であることは確かだ。

そういう人たちが作る法律だから、世の中のためになるかどうかはわからない。

むろん有馬という東大の総長や文部大臣をやった人が提唱し実行に移された「ゆとり教育」も今見直されているから、学歴の高い人などが言うことが正しいということでももちろんない。

一番の問題は、教育問題というものはどこに原因があるのかはっきりさせにくいと言う点があることで、だから国会議員は好んで教育問題を口にする。

つまり経済や外交などは結果が目に見えて出やすく、失敗すれば責任をすぐに追求されるが、教育問題は、何か問題が起こったり成果が上がらなくてもそれは自分の政策のせいではない、と言ってしまえばそれまでのことで、実際有馬はそういうことを言っているらしい。

文部大臣や国会議員として一体どれだけこの人に税金が払われてどれだけのことをしているのか知らないが、とにかく馬鹿げた話である。

大学の教員というのはもともと資格がなければなれないというわけではないので同一には論じられないが、これも法人化の話のなかで、任期制の話が全体としてはうやむやになってしまったのではなかったか。

ちなみに法人化といっても税金は出るわけだからまったく意味がなかったことはいまや明らかであると思う。

ようするにいろいろ国会議員は教育に口をはさみはするけれど、ろくなことはなかったのである。

特に教員の質の問題というのは、実際に問題になっている教師に対してどのように懲罰を与えられるか、ということであるはずなのに、免許の更新制度が導入されると問題のない教師にまで悪影響や負担が及ぶことになることは必定である。

今回の「教育職員免許法及び教育公務員特例法の一部を改正する法律案」では教員の質の問題はむしろ誤魔化される可能性すらあると自分は思う。

実際に現場にたっている人にも10年ごとに更新のために大学で講習を受けねばならぬというのは一体どういう理由があるのかと思いきや、最新の指導技術を身につけるとか、教師に誇りをもってもらうとか安倍は言ってたようですが、これはまるで教育の実態を知らない人だとよくわかる。

だいたい大学で講習を受けなければ誇りを身につけられないというのはどう考えてもおかしいし、指導技術が10年でそれほど変わるはずもない。

第一、大学で指導技術を教えている人のかなりの人たちは実際に現場で何十年と教えてきた人たちが多い。

また教育関係の雑誌で指導法の論文などを発表している人たちも実際に教壇にたっているひとたちが多く、現場の教師たちによる研究授業などもあるはずである。

つまり現在の大学の教育学部というのは教員を育てる教育機関としては機能しているとしても、革新的な指導法を開発をしているとか、現場の教員に教えるべきノウハウを数多くもっているいるというような状況ではなく、また、もともと現場の教員の指導技術が大学の先生と比べて劣るというような階層秩序は認められない。

むしろ大学の教員が現場に学ぶべきであるとさえ言えるのである。

問題はあくまで問題教師の懲罰や職務停止の制度を確立することにあるが、これではお母さん方のご機嫌は取れても教師を志望する学生が減る可能性がある。

もちろん現役の教師の離職ということも考えられる。

夜回り先生にしろ、ヤンキー先生にしろようするに先生を辞めたくてタレントになったのではないだろうか。

本当に偉い先生ならそのまま教師をつづけるべきだ。

幻想ばかりを語るのも駄目だし、悪い例を持ち出してすべてに当てはめてしまうのも駄目だが、冷静に教育学部と言うものの偏差値を他の学部と比べてみれば、かなり低い位置にあるということは受験生の常識である。

したがって教員試験の倍率がいくら高いといったところでそれは教員の質を保証するものではない。

更新性の導入は教員志望の学生をますます減らせることになって、質の低下にもつながるだろう。

昔、就職難の頃に「でもしか」と言う言葉がはやったらしい。

その頃は企業にいけないものが仕方なく教師に「でも」なるか、教師に「しか」なれないという状態だったらしい。

優秀な学生の間ではそれぐらい人気のない職業だということは理解すべきである。

国会議員も先生と呼ばれるようだが、禁固刑をくらった国会議員でも国会議員にはなれるのだから先生同士仲良くやれないいのにと思うのだが、似たもの同士だとかえって意識しあってかったぱしからこらしめてやろうという意識が芽生えるのだろうか。

それとこの法律の問題点はたとえば企業にいた人で教師になりたくなった人が教壇に立つ可能性を完全になくしたことにもある。

安倍が言う再チャレンジとかそういうことと矛盾するわけだが、実際にそういう例は少なくても、とにかく大学で画一的な教育にがんじがらめになった人間しか教壇に立てなくなってますます授業はつまらなくなるだろう。

私に言わせれば教員の免許などはもっとゆるやかにして校長の判断でいろんな人が教壇にたてるようにすべきだと思う。



校長は民間からも登用しているのに、平教員は免許がますます厳しくなり、総合学習などといって少しは教師の自主性が尊重されるのかと思いきや、免許の更新性で締め付けられる。

何か点数稼ぎをしなければという政治家のその場その場の思いつきの政策で教員はストレス充満し、これからも教育現場は混乱し荒れてゆくだろう。

ようするに安倍は大学の教育学部の既得権をますます強めるだけの悪法をドサクサ紛れに通してしまった(ようだ)。

年金の問題ばかり重症の認知症の患者のように毎日繰り返して、この問題をないがしろにしたマスコミの責任も大きい。

というか私に言わせれば政治家もマスコミも単なる幸せ者の集まりだから現場にいる教師のつらさはわからないだろう。

安倍が1日ゴミひろいをやったからと言ってゴミひろいのつらさがわかるわけではない。やらないほうがましである。

安倍のような人間には毎日ゴミひろいでもやっていたほうが日本のためであることは言うまでもない。

きっと参議院で負けてもなんだかんだ言ってこの人はやめないだろう。

参議院で負けたからといって自民党はどうということはない。

自分に響かないことは気にしないというのがこの人の本性であって、そのことはこの法律がよく示している。